「もうおねがい ゆるして」と書き残して亡くなった船戸結愛ちゃん(5)。虐待があったとして児童相談所が関わり、問題を認識していたにもかかわらず、なぜ彼女を救えなかったのか。
この事件で、注目されていた児相の対応。児相で働く現役職員たちは、どう見ているのか。虐待対応の経験が豊富な児相職員が、匿名で取材に応じた。
「見守り」態勢による支援は効果があるのか
今回の事例では、香川県の児童相談所は、少なくとも2回目の一時保護のあと、定期的に家庭訪問をして話を聞いたり、市の児童センターや子どもの通院先の病院と連携して健康状態やあざ・傷の有無を確認したりしています。9月に幼稚園を辞めてしまった後にも、病院に行く頻度を増やしてもらうなど、子どもの「見守り」体制をとても綿密に敷いていたことが見て取れます。
一時保護から家庭に帰す際に、こうした「見守り」態勢を敷いて虐待の再発をすぐにキャッチできるようにしておくことはよくとられますが、香川県児相はとても丁寧に子どもの様子を確認しようとしているなと感じました。担当者は再発のリスクを感じ、手厚く連携したのだろうと思います。
そうした態勢は抑止の効果もあったのかもしれません。転居して2カ月弱で虐待死までさせてしまうにも関わらず、香川県に住んでいる間は少なくとも重篤な虐待は起きなかった。もしこのままこの家族が香川に住んでいれば、見守り態勢が継続して、このような結果にならなかったのかもしれません。
ただ、残念なことに起きたのは最悪の結果でした。何に課題があったから、バトンをつないでいくことができなかったのでしょうか。
つながらないバトン
香川県から東京都にバトンをつないでいくことを難しくしたものがあります。それは転居を控えた状況で「児童福祉司指導」という指導措置を解除した点です。転居で虐待のリスクが高まるのは常識で、過去の死亡事例でも転居を伴っていたケースが多くあります。新しい環境で保護者にも子どもにもストレスがかかる中、今までの支援者も居なくなってしまい、見守り体制もすべてなくなってしまう。その結果、しわ寄せが子どもにいくリスクが高まります。
「児童福祉司指導」は行政処分の一つで、保護者のニーズの有無に関わらず、「児相が必要と判断するので関わります」と示すものです。そうすると例えば親から「干渉するな」と言われても「児童福祉司指導が、香川県でかかっています。関わらなければいけないということなので、(子どもに)会わせてください」と言う根拠になり、保護者も渋々ではあったとしても納得せざるを得ないでしょう。
しかし、この指導措置が解除されているということは、「児相はもう関与する必要は無いと判断しています」と保護者に告げていることになります。転居後に電話をかけてきた香川県児相に、父親は「これは強制なのか任意なのか」と反発しているのはその証拠です。そうすると、転居先の東京都児相は一から説得しなくてはなりませんが、保護者の抵抗が非常に強くなるため、指導措置が続いていた場合と比べ、難しい対応を迫られることになります。
もちろんだからと言って、東京都が踏み込んだ対応を選ばなかった理由にはなりません。東京都の対応は、今後検証されていくことになるでしょう。しかし、この「児童福祉司指導」の解除によって、相手が受け取りにくいバトンの渡し方になってしまったのではないかと思います。
「安全」より「関係」を優先
もう一つ気になる部分があります。転居後に香川県児相が電話で父親に関わりを持ちたいと伝えた際、父親が「児相が関わるのは、強制なのか、任意なのか。児相が来るとなると、変な目で見られるから嫌だ」と反発していますが、児相の担当者は「引っ越したばかりで結愛ちゃんも落ち着かないだろうから、香川県の児相もまだ関わりを持たせてもらいます」と説明している点です。
児相は本当に「引っ越したばかりで子どもが落ち着かない」から関わらなければならないと思っていたのでしょうか?そうでは無いはずです。ではなぜ「子どもが落ち着かない」ことを関わる理由にして、関わる「本当の理由」を曖昧にしなければならないのでしょうか。この点は、今回のケースでもっとも考えるべき課題の一つ、と私は思っています。
児相が家族に関わる「本当の理由」は、「子どもが家庭の中で安全に暮らせているかを知りたい」ということです。そしてうまくいっているなら何がうまくいっているからそれができているのか?、逆にうまくいっていないなら何がうまくいっていないからそれができていないのか?を知りたいし、うまくいっていないことがあるなら、そこから何ができるかを一緒に考えていきたい、ということです。つまり、まずは「安全」に焦点があり、それを実現するためにどんな「支援」が必要かを一緒に考える、ということです。
こうした点が親に理解してもらえていたのかどうか。「引っ越したばかりで子どもが落ち着かないから」という言葉からは、この「安全」への焦点が曖昧になっているように感じます。関わる理由が「安全」を焦点にしたものから、いつのまにか親子関係の改善のため、支援のため、と目的が変わってしまっていないでしょうか。
「安全」よりも「親子関係の改善」を焦点にあてている点は、2017年8月31日の対応からもうかがえます。この日、医療機関からあざがあると通報を受け、児相は3度目の一時保護を検討して親子に面談します。ここで子どもは「お父さんが叩いたの。お母さんもいたんだ」と話す一方、母親は「気づかなかった」「(娘は)最近よく嘘をつく。家ではしつけも厳しいし、一時保護所の居心地が良かったので、そこに行きたいがためにそういうことを言っている」と全く反対のことを話しています。
ここで香川県児相は「介入的関わりで関係を切るのが危険。ケアや支援が必要なケース」として保護を見送りました。もし「安全」が焦点にあったのなら、そのまま帰すのはすごくリスクが高いと判断でき、少なくとも、「どうすれば子どもが安全に暮らせるのか」を父とも母とも話し合って、具体的な安全作りを行う必要があると判断したでしょう。
「安全」と「親子関係」は表裏一体に見えるかもしれません。しかし「安全を守るために何が必要か」を話し合って、手段のひとつとして親子関係の改善を支援するのと、「安全」への焦点を曖昧にして親子関係だけを支援するのは、似ているようで違うものです。これが児相では無い相談機関や医療機関であれば、「親子関係の改善」を第一の目的に置いて支援するのはいいのです。ただ、児相はそうではありません。児相は「子どもの安全を守る」のがその第一の使命だからです。
実は、こうした対応は珍しいことではなく、全国の児相の現場で良く起こっています。「安全」という本質を焦点にやりとりすると、「家族が強く抵抗してつながりが切れてしまうかもしれない」「児相は支援をしなければいけないので、関係を切ってはいけない。」「だから介入を見送らなければならない」と考えてしまうからです。
親は「支援」と思っていないかもしれない
ただ、保護者はこの児相の「支援」をどう受け止めていたのでしょうか。目黒区に転居後、父親は「児相が来るとなると、近所から変な目で見られるから嫌だ」と香川県児相に言っていました。この言葉からは児相の「支援が必要」という思いとは裏腹に、保護者から見える景色は全然違っていたことが見て取れます。家族にしてみたら「支援」とは思っていなくて、ただ「監視されている」と息を潜めて生活していただけかもしれません。
「殴らない」の誓約は意味を持たない
安全を焦点に話し合うということは、何も怖い顔で「これは虐待です」と宣告し、親権停止などの法的対応をちらつかせ、「叩かない」と誓約書を書かせることではありません。ただ、こうした誓約書を取って約束させるやり方は「訓戒・誓約」と呼ばれ、香川県児相も一時保護の解除の際に行っており、児相がよくやる対応ではあるのですが、実際には「訓戒・誓約」をした後でひどく殴られて再度通告が入ることなんて珍しくなく、虐待防止には全く役に立っていないと感じています。
「仕組み」で環境を変え虐待を防ぐ
誓約書を書かせるのはある意味、「親が変わる」ことに期待していることになります。しかし、現実には「親が変わる」ことを前提にした対応策ではうまくいきません。どんなに「もうしない」と言っていて、その気持ちがウソでなかったとしても、同じ状況にあれば同じ行動をしてしまうからこそ、虐待の問題は難しいのです。そのため「虐待はしない」と誓わせたり、虐待の有無を確認するだけの「見守り」だけでは、いずれ再発することになります。
安全を焦点に話し合うということは、虐待が起こりそうな状況に陥った時に、どうやって虐待を起こさずに済む仕組みを作っていくのかを話し合う、ということです。誰にどうやって関わってもらえばその危機をやり過ごすことができるのか、そうした具体的行動計画を立てることによって子どもの安全を守る仕組みを構築していくことに他なりません。
こんな話をしたら親は怒って関係を切ってしまうのでしょうか。実際はそうではありません。子どもを取られてしまうのではないかという不安の中にいて、攻撃的になっている保護者であっても、「児相は子どもの安全を問題にしてるのであって、親の全てを否定しているわけでは無い」と伝わると、安全をテーマにした建設的な話し合いがをできていきます。
もし「安全」について話し合えていたなら
関係を切らさないことが目的ではなく、安全について話し合える関係を作ることが重要なのです。そして今回のケースも、安全について話し合うことを避けてきたツケが、転居を機に出てきてしまっているように感じます。
もし、常に保護者と「安全」を焦点に話し合うことができていたならば、転居後に香川県児相が電話で父親に関わりを持ちたいと伝えた際、父親が反発したとしても、こう言えたのではないでしょうか。
「お父さんの気持ちももっともです。ただ、私たちはお子さんの『安全』について話し合ってきました。そして、お父さんたちが香川県でそれをやってきてくれたのは知っています。だからこそ、転居先でもそれが出来ていることを見せて欲しいんです。でも、もしそれが出来ないとなると、私たちも、転居先の児相の人も、子どもにとって何かとても悪いこと、例えばケガをしているとか、ご飯を食べさせてもらっていないとかを心配しなくてはならなくなります。確かに安全なんだ、こういう仕組みがあるから大丈夫なんだということを分かるようにしてもらえれば、私達も安心して関わりを終えられます。でも子どもが安全な状態かどうか、何も証明できないなら関わりを終えられないんです」と。
「再虐待率」で児相の仕事の質の「見える化」を
児相の仕事は子どもの命に直結する仕事です。しかし児相の仕事の質は何によって計られるのでしょうか。虐待死はもちろんのことですが、児相が関与しているのに虐待を止められなかった事態、つまり再虐待をいかに少なくするかは児相の使命であり、それこそが児相の仕事の質を示すものでは無いでしょうか。
しかし、「再虐待率」の公的な統計は存在しません。これでは何が効果的な虐待対応なのかわかりません。統計として公に出てくれば、これを下げることは政策目標になるでしょうし、何が効果的な対応なのかも検討されるのではないでしょうか。
児相の仕事は、家族を引き離すことではない
今回の事件で、香川県児相はなぜ親から子どもを引き離さなかったのかという批判がありました。親権停止すべきだったという意見もあります。ただ、その後はどうするのでしょうか。児相の仕事は家族をバラバラにすることではありません。子どもが虐待のない環境で過ごせるようにするのが仕事です。そのため、このケース例え2回目の保護の後、もしくはその後の通告の時点で施設入所や里親委託がなされていたとしても、家庭復帰を行うための支援を行っていったでしょう。「虐待があるからとにかく親から離してしまえばよい」という分かりやすい話で解決できるものではないと考えます。
部外者が思うほど、子どもは親から離れたいとは思っていません。たたかれても愛着をもっていることもあります。子どもの権利条約でも、子どもは親に養育される権利と同時に虐待を受けない権利が保障されています。つまり虐待を受けない限りは親に養育される権利はある。子どもの最善の利益を尊重し、家庭でかなうかどうか、保護者と話し合い、子どもが安全に暮らすための計画を立てる。それでもこの子はやられてしまうという時、分離という手段を取ります。
児相に家族をめちゃくちゃにされたと思っている子どももいる
虐待対応の先進国と言われる国では分離が強く勧められた時期もありました。もちろん子どもの健全養育を考えてのことだったと思います。しかし、よかれと思って分離したものの、里親の元で何度も不適応になる子どもがいたり、子どものアイデンティティに影響したりする問題も出てきました。そうした歴史を踏まえて、虐待対応の先進国では、いかに安全に家庭に帰せるのか、そのことが議論されています。
日本の虐待対応は確かに遅れている面がありますが、海外が踏んだ轍を再度踏む必要はないと思っています。虐待対応の先進国と言われる国の取り組みに追いつくことだけではなく、その先進国が見ている未来を目指して、虐待対応に取り組む必要があるのではないでしょうか。
【結愛ちゃんが亡くなるまでの経緯】
重大な虐待事件が起きるたびに、注目される児童相談所の対応。なぜ5歳児の命が失われなければならなかったのか。船戸結愛ちゃんの事件をもとに、専門家の目や、現場の職員、そして警察や捜査関係者への取材を通し、検証を進めます。