仕事をやめたら「さみしい」がどこかへいった

「退職したら全てから解放される」と明るい気持ちで退職の日まで過ごしてた。
えるあき

2016年は暗闇だった。

何をやってもうまくいかない日々で、自己嫌悪、自己否定の繰り返し。

「こんなダメな人間を誰が愛してくれるんだろう」

「愛される資格も、存在を認めてもらう資格も私にはない」

満員電車は寂しくない

「会社にいかなきゃいけない」、重い身体を起こして、"今日"を乗り越えるための服を選ぶ。

電車はいつも満員。ぎゅうぎゅうに揉まれながら会社にいく。

でも、なぜか安心感があった。

「誰かが私を立たせてくれてる」

そう思うだけで救われたし、帰りの電車も同じで、「家に帰るまで誰かが一緒にいてくれる」と帰宅ラッシュにあたるのが嬉しかった。

とにかく「寂しい」がつきまとう

何をしてても虚無感と寂しさが襲ってくる。

だから仕事中、友だちとのLINEのやりとりが救いだった。

心配した友だちが社食に遊びにきてくれたときは飛び跳ねるほど嬉しかった。

でも、ランチを終え、帰る友人を見送ると寂しさとオフィスに戻る怖さで涙が勝手にあふれていた。

家に帰れば旦那に「寂しい」と泣きつき、「なんで愛してくれないの」と暴力をふるう。

異常な頻度でセックスを求め、食事中もテレビを見ている間も身体を密着させてた。

そんな日々を送って数ヶ月、気づけば髪の毛が抜け始め3カ所、大きな円形脱毛症ができた。

別の「さみしさ」がやってきた

精神的にも身体的にも限界な私をみて、「もういいんじゃない?」という旦那の一言に背中を押されて退職を決意した。

「退職したら全てから解放される」と明るい気持ちで退職の日まで過ごした。

でも、仕事をやめても気持ちはまったく変わらなかった。

「友だちは会社で仕事してる、私は家にひとり」

「やっぱ私はダメなんだ...」

今度は旦那のいない家でひとりで過ごすさみしさ、社会においていかれるさみしさとの戦いがはじまった。

楽しいことを探した1年

退職してから様子が変わらない私をみていた旦那が「今までやってないこと片っ端からやんなよ」と言ってきた。

そこから毎日、自分がしたいことや今までやってないことを考えることから、2017年が始まった。

「おもしろそう」と思うことを手当たり次第やってみた。

育児コラムを再開し、沖縄イベントの運営に携わったり、友だちとインターネットラジオをやってみたり...

他にも「死ぬまでにやってみたいことリスト」をつくって、達成することに努めた。

そんなことをしていたら色んなとこから声をかけてもらい、気づけばお金が入ってくるようになった。

仕事を辞めたときに感じていた「お金が無くなる」、「社会に戻れなくなる」、「もっとさみしくなる」という不安はいつしか消えていた。

「さみしい」の正体は「会いたい」

2018年に入って、ふと気付いたことがある。

昨年、頭に会いたい人が思い浮かんだら、すぐに連絡して会いに行ってた。

無職だから時間は無限大、退職金だって貯金だってある。

だから、時間を場所を選ばず、近くに住んでいる友だちから、アメリカに住んでる家族、香港にいる友だち、そして、25年間音信不通だった実の父親。

「あ、会いたい人に会えるとさみしくないんだ」

仕事がうまくいかなくても、上司に怒られても、先輩にいじわるされても、会いたい人に会って楽しい時間を過ごせれば、私は幸せなんだ。

保育士時代、友だちよりも旦那よりも一緒に時間を過ごしたかったのは子どもたちだった。

金曜の夕方、お母さんたちと家に帰る子どもたちの姿をみると寂しかったし、日曜の夜は「明日はなにしてあそぼうかな!」「あーやっと会える!」とワクワクしていた。

会社員になって平日1日8時間拘束される。満員電車で往復1時間。

友だちも忙しいので会いたくても会えない。

旦那ともすれ違いが増えた。

仕事がうまくいかないことや会社に馴染めないのはもちろん辛いことだったけど、私に追い打ちをかけた原因は確実に「会いたいときに会えない」こと。

それに気づいた瞬間、頭の中がすごくスッキリして、身も心も、何かあたたかいもので満たされた。

だから、もう、さようなら。

今まで以上に、友だちが大好きだ。

もちろん今まで以上に旦那も大好きだ。

この人たちがいてくれるおかげで、私は幸せなんだと、強く実感してる。

人の幸せはそれぞれ。

もしかしたら、1人で過ごすことが幸せな人もいるかもしれない。

でも、私はあなたに会えると幸せなので、一緒に過ごす時間がかけがえのないものなので、これからも会いにいくよ。

だからもう「さみしい」とはバイバイ。

いつか、また、よろしくね。

(2018年2月9日「えるあきnote」より転載)

注目記事