チェコで学ぶ日本人学生からみたヨーロッパの難民問題 〜メディアの役割の考察〜

難民受け入れに対しての意見の違いはなぜ発生するのでしょうか。テロや治安の悪化を懸念する考えとは異なる理由もあります。

ヨーロッパでテロが続いた関係か、日本に一時帰国した際チェコは大丈夫なのかよく問われました。難民の影響で治安は悪化していないか、心配されたのです。実際は、チェコは難民の受け入れに反対しているので、治安にあまり影響は出ていません。

このことから、「テロが頻発し、ヨーロッパは危ない」というイメージを持つ人が多い印象を受けました。そして、ヨーロッパ各国の難民受け入れに対する姿勢は、あまりメディアで取り上げられていないのではないかと思いました。

「情報を制する国が勝つ」という一文が表しているように、メディアは人々の意見や行動に影響を与え、世論を作り上げ、国を動かす力を生み出す事ができます。このような影響力を持つメディアの役割について、難民問題の観点から考察していきます。

冒頭で述べた印象を持ったことをきっかけに、EUの難民受け入れに関する日本のニュースを集めてみました。ドイツやフランスが難民受け入れに積極的な姿勢をとる反面、中・東欧は受け入れを拒絶している状況を把握することができました。

なぜ、意見の対立が起きるのか。そこまで踏み込んだ報道は見つけられませんでした。日本に関しても述べれば、日本での難民受け入れはあまり進んでいません。このような立場の違いはなぜ発生するのでしょうか。その背景を報道することで、問題解決にメディアが貢献できるのではないかと私は思いました。

難民受け入れに対しての意見が割れているのには、テロや治安の悪化を懸念する考えとは異なる理由もあります。

チェコ人の友人に難民について尋ねてみて、チェコが反対の立場をとるのには、三つの背景があることが分かりました。

1. チェコはゲルマン民族やドイツ・ソ連といった国々から自国を守る為に戦ってきたこと

2. イスラム教徒を受け入れた歴史がなく、他宗教の受け入れに対し恐怖があること

3. ロマ(ジプシー)の問題を既に抱えていること

これらのことから、難民受け入れに対する姿勢の違いには、各国の歴史背景、宗教、民族主義が大きく関係していると考えられます。

チェコはスラブ系に所属する民族チェコ人が多数を占める国です。第一次世界大戦後、「民族自決」が認められ、チェコスロバキアは独立した国家になりました。第二次世界大戦中はドイツ、(スロバキアは一時的に独立、戦後再び合併)冷戦中はソ連の支配下におかれました。プラハの春をきっかけに連邦制が取り入れられ、最終的にビロード革命が起き、チェコとスロバキアは独立しました。

チェコスロバキアが分離した背景には、元は一つだった民族がチェコはハプスブルク帝国の、スロバキアはハンガリー帝国(後にチェコ同様ハプスブルク帝国)の支配下で歴史を刻んでいた経験があると考えられます。二国が現在の独立した一国家を築くのには、長い道のりが必要でした。

同じく受け入れに反対しているルーマニアは、オスマン帝国やハプスブルク帝国の支配下に置かれ、民族独立の実現が困難だった歴史を持ちます。

ヨーロッパの歴史の中で、弱い立場だった国々と強い立場だった国々の間には、独立に至るまでの道のりの違いがあります。強い立場にいた国は独立を保ちやすかった事の他に、受け入れに肯定的な立場にたてる要因があります。例えばフランスのように、植民地支配をしてきたことから、他民族が自国に移住してきた経験を持つことです。

受け入れに積極的な姿勢を示すドイツは、憲法で難民を保護する義務を規定しています。敗戦直後から1950年代の間、約1650万人の難民を受け入れてきました。ユーゴスラビア紛争中は、多数のユーゴスラビアからの難民を受け入れていた過去もあります。これらの姿勢の背景には、ナチス時代の負い目があると考えられます。

そして、ヨーロッパにはキリスト教とイスラム教が対立してきた歴史もあります。今年の1月末にチェコ政府は、キリスト教徒の難民の受け入れをしています。ヨーロッパになじみのあるキリスト教徒は受け入れやすい意識があることが反映されている一例です。

友人が三つ目に挙げたロマの問題は、未だにヨーロッパに根付いています。ロマとは北インドが発祥の流浪の民族です。ヨーロッパの歴史の中でロマは、ユダヤ人のように迫害されてきました。

現在のチェコにあるロマの問題は、例えば教育差別です。ロマの子ども達が、教育水準の低いロマだけのクラスや学校、軽度の知的障がい者用の学校に通わされるケースが発生しています。2015年には、人権保護の団体がチェコ政府に状況改善を求める署名を届ける活動をしました。

ロマの問題から、ヨーロッパでは民族差別が身近な問題である事が分かります。難民を受け入れることを視野に入れるには、先ずこの問題の改善に取り組む必要があります。

歴史や宗教とは別の視点からも難民問題をみることができます。

EUが難民受け入れの分担をしようとしている背景には、ダブリン協定とシェンゲン協定があります。ダブリン協定はEU内の難民保護に関する取り決めです。「最初に難民が到着した国が、難民の扱いに責任を持つ」ことが決められています。

シェンゲン協定は、出入国調査を受けずにヨーロッパの協定国間を自由に移動できるシステムです。現在問題となっているシリア難民が最初にたどり着くのは、バルカン半島周辺です。シェンゲン圏の国に入国後、難民はドイツや北欧を目指します。

ダブリン協定があるため、この難民の動きは、各国の負担に不平等さを生じさせます。協定のルールに従うと、バルカン半島周辺の国が難民に対し責任を負う事になるからです。

しかし、これらの国は北欧や西欧とは異なり、経済が不安定であり、20年程前には紛争が起きていた地です。受け入れる余裕がない国に負担が集中してしまいます。不平等さへの不満からも受け入れに関する対立が生まれています。

ヨーロッパと比べ日本はどのような問題を抱えているのでしょうか。

日本は島国であることから、他民族を受け入れる機会はあまりありませんでした。けれども日本が、難民の受け入れをしてこなかったわけではありません。過去に多数のインドシナ難民を受け入れたことがあります。

インドシナ難民とは、1970年代後半から80年代にかけて、ベトナム・カンボジア・ラオスのインドシナ三国が社会主義体制に移行した際に、自国を逃れた人々のことを指します。ボート・ピープルと呼ばれる船で逃れてきた難民が日本にたどり着いたため、政府は受け入れを決めました。

受け入れ開始時、日本は難民条約に批准していませんでした。その為、難民認定制度と言語や文化の壁への対策が不十分であることがこの時問題になりました。

インドシナ難民の受け入れ以降、日本は難民の受け入れに消極的です。難民受け入れに伴って、偽装難民と呼ばれる移民が増えたことが原因に挙げられます。その影響か、日本では難民条約を満たしているか厳重に調査されます。難民と認められるまでの平均期間は、現時点で六年弱であると言われています。

条約を重視するため認定に時間がかかること、そして認定数が少ないことが日本の特徴です。そして、インドシナ難民受け入れによって露呈した問題は改善されていないままです。異なる文化を持つ人を受け入れる体制が整っていません。これは日本が難民に対してだけでなく、外国人に対して優しくない社会だとも捉える事ができます。実際に、訪日しているチェコ人の友人は、日本は住みづらいと言っていました。

日本の報道状況から「難民が増えることで移民も増え、治安が悪化しテロも発生している。だからヨーロッパは危ない。」というイメージが生み出されていることに納得しました。このイメージから、難民受け入れ&外国人の流入=危ないという意識も生まれていると思います。

冒頭で述べたように、メディアは世論を動かす力を持っています。そのことが分かる一例があります。

『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』(*1)の中では、メディアを利用したPRによりセルビアへの悪印象が作り上げられていく過程が描かれています。情報操作によって作られたセルビアを悪とする世論が、NATOによる空襲を正当な物として引き起こしたと考えられています。

難民問題の背景には何があるのか。受け入れに対する姿勢の違いがなぜ生じるのか。世論に影響を与えることができるメディアが、背景知識も含めて報道することで、理解を深めるきっかけとなる役割を果たせるのではないでしょうか。

ヨーロッパは陸国ならではの、日本は島国ならではの歴史と規定の問題があります。日本には陸路で難民がたどり着くことがないため、これらの問題に対する国民の関心は低いと感じます。問題解決の第一歩は、まず「知ってもらうこと」だと私は思います。

ユーゴスラビア紛争では、メディアにより一部の国への偏った意識が作られてしまいました。けれど、メディアは難民や外国人が日本で暮らす事を身近な問題として捉える機会を与えることもできます。国際理解が進んだ社会を作り上げて行く発端を、メディアが担うことは可能ではないでしょうか。

*1

高木徹著 講談社文庫

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