汚染水、Fukushima water…記者や議員は「福島の12年半の歴史を何もわかってない」【インタビュー】

処理水の海洋放出で記者や議員らが「汚染水」や「Fukushima water」などと発信している問題。東京大学大学院情報学環の開沼博准教授は「差別や偏見を助長する」と指摘しています。【インタビュー】【メディアと差別】【Fukushima water】
東京電力福島第1原子力発電所(8月24日午後、福島県[時事通信チャーター機より])
東京電力福島第1原子力発電所(8月24日午後、福島県[時事通信チャーター機より])
時事

 東京電力福島第一原発の処理水の海洋放出を巡り、一部の記者・議員らが「汚染水」や「Fukushima water」などと発信している問題。

こうした科学的根拠に基づかない情報の流布は、復興に向けた被災地域の努力を踏みにじり、差別や偏見を生み出す行為だ。

実際、結婚や出産といったライフイベントや避難先での生活などで、様々な理不尽な扱いを受けてきた。

本来は差別をなくす役割がある記者・議員らは、なぜ差別を助長するような発信をしてしまうのか。

「福島ではこの12年半、デマを流され、時には社会的に抹殺されそうになりながらも、住民や専門家たちが積み上げられた問題を一つずつ解決してきた」ーー。

福島の被災地を研究する社会学者で、東京大学大学院情報学環の開沼博准教授に話を聞いた。

開沼博准教授
開沼博准教授
提供写真

福島は「不幸であり続けるほうがいい」人たち

ーー処理水の海洋放出を巡り、共同通信などの一部メディアが英字記事の見出しに「Fukushima water」と記載しました。

非常に無神経かつ配慮がなく、科学的な議論、社会的な合意形成に向けた被災地域の努力を踏みにじるものだ、といえます。

例えば、新型コロナウイルスでメディアは「武漢が」や「中国が」とは言いません。

社会学的には「スティグマ」と言いますが、地名を入れるということが、そこに住む人たちへの差別・偏見を生み出すことに繋がります。例えば、水俣病がそうですね。

福島では、結婚や出産といった様々なライフイベントなどで理不尽な扱いを受けてきました。

その程度のことを想像できないのであれば、「情報発信はやめてしまえ」という思いです。

ーーなぜ「Fukushima water」という表記が差別・偏見を生み出すのか、わかっていない記者も多いと思います。

「Fukushima」という言葉から連想されるようなことと、そこにある人々の暮らしを安易に結びつけることは、かなり現実と乖離した不必要なイメージを喚起させてしまいます。

福島という概念は非常にイデオロギー的な議論の中に置かれてきました。

一部の思想信条を持った人たちにとっては、福島は「不幸であり続けてくれる」ほうが自分たちの運動に役立つし、利用できます。

一方、最近は「風評加害」という概念を持ち、そこに差別や偏見があるということを告発していく地域住民の動きもあります。これを「クレイム申し立て」と言います。

「Fukushima water」と安易に表記するメディアは、福島が過去に受けてきた差別、そのような地域住民の動きに配慮がなく、教養もかけたレベルの低い対応をしていると思います。

ーーなぜ一部の記者やメディアは「福島への差別」に対して無頓着なのでしょうか。

一つ目は、イデオロギーです。

イデオロギッシュな議論に浸り、無自覚の中で福島を特殊なものとしてスティグマを与えようという動きがありました。

もう一つは「空虚の正義感」です。

「自分たちは間違っていない。世の中を正せる超越的な立場にいる」と思っている。もしかしたら勘違いかもしれない、ということに常に自覚的であるべきです。

また、アテンション・エコノミーと言われるような、「それを言った方がバズるんだ」という下品さもあるのではないでしょうか。

さらに付け加えるのであれば、「無謬(むびゅう)性への過信」もあります。

自分たちは間違っていない。自分たちが批判すべき対象は間違っている。指摘をしてくる人が間違っている。

そういった解釈をしながら目の前の批判を無視する。そういう無謬性があるんだと思います。

「Fukushima water」と記載した共同通信の記事
「Fukushima water」と記載した共同通信の記事
Keita Aimoto

無意識的に取り込まれるジャーナリズム

ーーメディアには、このような差別・偏見をなくす役割が本来あるはずです。

別の事例を出すと、例えば「生活習慣病」という言葉は使われなくなりました。

遺伝で糖尿病になっている人もいるのに、生活習慣が悪い人の病気だ、という印象を植え付けるからです。

このような「レッテル貼り」を避けようと、言葉は変わっていくものです。

メディアは指摘があれば、開き直るべきではない。「Fukushima water」という表記が誤解や偏見、差別を生むという声が上がっているのだから、それに対応しなければなりません。

そもそも「差別や偏見はいけない」と表看板で掲げているはずなのに、福島の差別に関する声を無視するのはなぜでしょうか。

そこに触れたら傷つく人がいるのではないか。差別が生まれるのではないか。このような自覚がないために、12年半たっても様々な問題がでてくるのではないでしょうか。

ーー処理水の安全性を記事で伝えると、「記者なのに政府側に立っている」と批判されました。イデオロギーにとらわれることなく、何が福島にとって最善なのか考えるべきだと思います。

私が「ALPS小委員会」の委員で経験したことですが、政府は重要な課題をひたすら棚上げしました。

例えば、選挙が近くなると会議が止まります。「政府側に立つ」と言うのは、ずっと課題を棚上げすることだと思います。

安倍政権時代、福島のことをよくわかっている大臣や政務官レベルでは、東京五輪前に処理水を放出するべきだ、という「雰囲気」がありました。

しかし、放出しませんでした。むしろ支持率を気にしていて、我々からすれば「福島の話なんて見ないようにしたい」と思っているように感じ取れました。

また、アメリカ大統領選やロシアによるウクライナ侵攻、新型コロナウイルスなどでもみられましたが、背後には陰謀論の存在もあります。

世界は白か黒かでできていて、自分側の意見ではないとわかった瞬間に、「政府や資本家の手先だ」とレッテル張りをする人たちがいます。

そこにジャーナリズムが無意識的に取り込まれてしまっているのは、由々しき事態だと思います。

東京電力福島第1原発の敷地内に並んだ処理水を貯蔵するタンク(8月24日、福島県[時事通信チャーター機より])
東京電力福島第1原発の敷地内に並んだ処理水を貯蔵するタンク(8月24日、福島県[時事通信チャーター機より])
時事

メディアの「寝た子は起こすな論」

ーー共同通信は「Fukushima water」と表記した理由を、「字数制限のため」や「他のメディアも使っている」と回答しています。思考停止していると思います。

最近は多くのメディアが処理水と表記するようになりましたが、昔は朝日新聞など他のメディアでも「『処理水』とは言いたくない」と受け取れるような記事を書いていました。

ただ、当時から処理水と書いている媒体もあったわけで、要するに強固なイデオロギーと無謬性を信じて疑わない特権意識があったのだと思います。

あとは経路依存性。これまでこう書いてきたからこうするべきだ、というものです。

ーーメディアには偽情報を潰していく役割もありますが、ファクトチェック記事はほとんど出ていません。

メディアはこれまで、「寝た子は起こすな論」に逃げてきました。

政治家とメディアは最大のインフルエンサーです。しかし、やけどしそうな話題には触れません。福島や処理水の問題に関する誤情報や差別に対してほとんど動きませんでした。

例えば、2022年に実施された東京都民1000人を対象とした三菱総合研究所の調査で、「現在の放射線被曝で子どもや孫などへの健康影響が福島県の人々にどのくらい起こると思うか」という問いがあるのですが、およそ35%の人が「可能性は『高い』・『非常に高い』」と回答しています。

これは、次世代に遺伝的な健康影響が生じるという誤った理解です。

福島では「子どもを産めない」や「福島の人とは結婚させられない」、「放射能がうつる」といった差別が数えきれないほどありました。

データに示されているように、今でも差別はあります。

被差別部落の問題もそうですが、差別がある地域に対して言葉を丁寧に扱わなければならないというのは当たり前のことです。

共同通信国際局の回答
共同通信国際局の回答
ハフポスト日本版

「汚染水」と呼ぶ記者・議員たち

ーー処理水のことを「汚染水」と呼ぶ記者や議員もいます。

これだけの指摘があるのに変わろうとしない人たちが多いですね。

例えば、共産党は「汚染水」と言い続けていますが、最近はインボイスなど別の話題に移り、処理水の話から遠ざかっています。

結局、多くの人が処理水について詳しくない、つまり無知であるということに乗っかり、福島を利用していただけではないか、と感じています。

共産党だけでなく、野村哲郎・前農林水産大臣も「汚染水」と言いました。結局、福島が経験した12年半の歴史を何もわかっていないんです。

さらに、「無知で知らない人の不安も大事にする必要がある」と、科学的な理解を促そうとする人を攻撃する人もいます。

風評加害という言葉を使う人に「政治的に偏っている」とレッテル貼りをする人もいます。

そんな中、政府がこの1年で科学的な情報を発信し続け、処理水に関しては世論調査で賛成が反対を大きく上回りました。

市民や民主主義を信じていいんだと、改めて実感しました。

また、地元の方々がSNSで情報を発信し、本当の意味での「市民科学的なもの」が生まれています。

皆が啓発され、知識を得ていく。このような学びのプロセスもありました。

ーー自主避難者の問題に象徴されるように、根拠のない不安を煽られて帰還できない人たちもいます。正しい情報をきちんと届けるというのは大事です。

一部の議員やメディアがなぜそれをできないのか、という理由は3つあると考えます。

一つ目は、これまでつくってきた自分たちの言説や流れを否定することになる。二つ目は、福島の話はものすごく勉強する必要がある。三つ目は、地味なネタで普段は注目されない。

私も処理水の話で久々にメディアに出ましたが、それまでは静かなものでした。

また、陰謀論は発信する人間が極めて少数であってもたやすく社会を操縦できてしまいます。

そのため、福島の偽情報に関するファクトチェックはどんどんやるべきですが、これだけ偽情報であふれ、あらゆる差別を受けているにも関わらず、なぜかほとんど行われません。

ヘイトスピーチやコロナワクチンの陰謀論をファクトチェックするのと何が違うのでしょうか。

正しい情報をきちんと届けるため、ほかの問題と同じようにファクトチェックを行っていくべきです。

岸田文雄首相との面会後、首相官邸を出る野村哲郎農林水産相=(8月31日午後、東京・永田町)
岸田文雄首相との面会後、首相官邸を出る野村哲郎農林水産相=(8月31日午後、東京・永田町)
時事

「予言の自己成就」住民らへの誹謗中傷も

ーー福島は震災関連死が高い値で推移しています。一部の記者や議員は簡単に「汚染水」と呼びますが、そのような科学的根拠のない情報が福島の人々のメンタルヘルスにも影響を及ぼしてしまうのではないでしょうか。

社会学的には「予言の自己成就」という言葉があります。

例えば、「ピグマリオン効果」と言いますが、「この子は良い子です」と言うと、本当に良い子になり、「この子は悪い子です」と言うと、本当に悪い子になる。

言説、自己認識、周りからの扱い。そのような環境下に置かれ続けると、本当にそうなっていく、ということです。

銀行の取り付け騒ぎも同じです。「あそこの銀行が潰れるらしい」と噂が広まり、皆がお金をおろしにいった。そして、本当に銀行が潰れてしまった。

つまり、一部の記者や議員が「汚染水」と騒ぎ続けてしまうと、「本当に汚染水なんだ」となり、それが市場に反映され、魚の値段が下がったり、忌避されたりする。

そうすると、漁業者たちが仕事を失い、メンタルヘルスを悪化させ、健康にも影響が出る。

こういったことは、あり得る話なんです。

ーー最後に、福島に降りかかる偽情報や差別と闘う人に対し、「不安な人たちを否定すると社会の分断が深まる」や「科学のこん棒を振り回すと傷つく人や固執する人が出るから逆効果だ」と言う人がいます。福島の声をかき消そうとしているようにも思えます。

例えば、ヘイトスピーチをしている人たちは不安だらけの烏合の衆とも言えますが、不安な人たちのことを否定して社会の分断が深まるというのであれば、まずヘイトスピーチ団体の中に入り、その不安を否定せずに「分断を埋めてみせた」という実践結果を見せてもらいたい。

また、「逆効果だ」というなら、ワクチン陰謀論などの「ニセ科学」にはまり、時に暴力も辞さない人たちに、正面から向き合って「対話」や「説明」を自ら実践した上、ニセ科学を信じて亡くなった被害者の方々の命を蘇らせてほしい。

「人に(対話や説明を)求めるからには自分はできるんでしょ?」と言いたい。

福島では、専門家を超越するだけの科学的知見を自ら身につけた住民や、それをサポートする一部の専門家が誹謗中傷を受けています。

デマを流され、時に社会的に抹殺されそうになりながらも、12年半の間、目の前にある問題を一歩ずつ解決してきたのです。

開沼博(かいぬま・ひろし)さんプロフィール

開沼博准教授
開沼博准教授
Keita Aimoto

1984年福島県生まれ。立命館大学准教授などを経て2021年4月より東京大学大学院情報学環准教授。他に、東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員、東日本国際大学客員教授など。著書に「はじめての福島学」や「福島第一原発廃炉図鑑」(編著)、「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」など。

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