瀬戸正夫(せと・まさお)さん、86歳。
戦前にタイで生まれ、戦後の激動のタイや周辺国を記録してきた現役のカメラマンだ。瀬戸さんがカメラを手にしてから、来年で70年になる。その目とカメラは、何を切り取ってきたのか。
膨大な写真の中から瀬戸さん自身が選んだ約40点を展示する写真展が、9月16~28日に東京で、10月24~28日に京都で開かれる。
1931年、日本人の父とタイ人の母との間に南部のプーケット島で生まれた。8歳の時、「盤谷日本尋常小学校(後に国民学校)」に通うためにバンコクに移り、両親と離れて暮らす。アジア・太平洋戦争の戦況が激しくなると、厳しい軍事教練を受けた。
日本の敗戦で戦争が終わると、ほかの日本人とともに抑留キャンプに収容され、キャンプの学校に通いながらしばらくの間を過ごした。
その後、自らタイに残ることを希望。収容所を出た後は、飲食店や商社など様々な職を経験した。日本国籍が得られず、タイ国籍を得るまで戦後約20年間を無国籍状態で過ごすなど、戦争が生んだ過酷な境遇も経験した。
そんな中で、ずっと続けてきたのが48年に手に取ったカメラだ。写真は独学でマスターし、64年からはフリーのカメラマンに。
67年から朝日新聞バンコク支局(現アジア総局)の助手兼カメラマンとなり、愛車の「三菱ランサー」を駆ってベトナム戦争やカンボジアの内戦で戦火を逃れてきた難民や、タイで繰り返されてきたクーデター、ミャンマーの少数民族武装勢力の拠点、自国民を虐殺したポル・ポト派のキャンプなど、激動する東南アジアの最前線で、歴史の瞬間をカメラに収めてきた。
愛車の走行距離は50万キロを超え、崖から車ごと転落して九死に一生を得たこともある。
一方で、今やめざましい経済発展を遂げたタイ社会を見つめ続け、日本のNGOなどの活動も手伝いながら、少数民族やスラムの子どもたちなども撮り続けてきた。
また、若いころから教え続けている水泳の弟子がタイの各界におり、今も師として慕われ続けている。
今回の写真展は、特派員などとして瀬戸さんとともに仕事をした朝日新聞の有志が、瀬戸さんへの感謝を込めて企画した。
東京の会場は朝日新聞東京本社2階コンコース(東京都中央区築地5-3-2)、京都の会場はロンドクレアント(旧梅棹忠夫邸、京都市左京区北白川伊織町40番地)。瀬戸さんは京都での写真展の時期に合わせて来日し、東京と京都でトークイベントを予定している。戦前、戦後のタイ社会と、そこで暮らしてきた日本人の実情を知る貴重な時代の証言者として、参加者との対話に臨む。
今回は有志の手弁当(ボランティア)によるこの企画を実現し、できるだけ多くの人に瀬戸さんの貴重な写真と話に触れてもらうために、朝日新聞社のクラウドファンディングサイト「A-port」で支援を募ることにした。
瀬戸さんは「カメラを手にして、来年で70年になります。この間、タイをはじめ、カンボジアやミャンマーなどの取材現場を走り回り、写真を撮り続けてきました。節目の年を迎えるにあたって、後輩のジャーナリストたちが『この機会に日本で写真展を』と背中を押してくれました。皆様に会場でお目にかかれることを楽しみにしています」と話している。
クラウドファンディングの詳細は、https://a-port.asahi.com/projects/setomasao/。
(朝日新聞アジア総局長 貝瀬秋彦)