サイボウズ式:マネジメントがつまらない人は、「ゲームマスター」の魅力に気づけ

マネジメント業務は「自分がタスクを片付ける」というのが仕事ではありません。
マツナガエイコ
サイボウズ式編集部より:著名ブロガーによるチームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。読者のみなさまからご相談を募集したところ、たくさんのお悩みが届きました。届いたご質問やご相談をいくつか取り上げて、ブロガーのみなさまに回答していただきます。今回は、桐谷ヨウからの回答です。

ご相談内容

ルイス:現在、仕事でマネジメントをしています。ですが個人的にはマネジメントがあまり好きではなく、どちらかといえば孤高が好きなタイプです。

同じように、マネジメントが嫌いだけどせざるを得ない状況の人はどうしたらいいのでしょうか? 会社が求める人材像と自分がやりたいことがマッチしない場合のアドバイスがほしいです。(ルイス/マネジメント層)

「マネジメントがあまり好きではない」のはなぜ?

はじめまして、ルイスさん。ご質問ありがとうございます。

孤高という言葉、僕も好きなタイプです。他人に媚(こ)びることなく自分の理想を追求して圧倒的なパフォーマンスを出し、周囲からの尊敬をも集めることができたら超カッコイイですよね。が、そううまくいかないのが現実だったりします。

さて、ご質問には「マネジメントがあまり好きではない」とありますが、ここで言うマネジメントとは「協調性をもって人をうまく使う」ということなのではないかと推測されます。孤高と共存しないとお考えのところから。

なお、僕自身はマネジメントとは組織を機能させるために「チームメンバー・納期・バジェット(予算)」を適切に配置していくことだと認識しており(この考えに至った背景についてはこちらの記事をお読みください)、「孤高」と「マネジメント」は共存すると思っています。

もう少し、ご自身で「マネジメントがあまり好きではない(孤高ではいられない)」と表現している部分を、分解してみませんか?

マネジメントが好きではないのは、管理職として業務を遂行しているなかで「自分でやったほうが早い」から? それとも「自分が思った通りに動いてくれる人がいない」から? 「自分のビジョンを共有してくれるメンバーがいない」から? あるいは、それ以外の何かなのか。

「自分の仕事」の捉え方を変える必要がある

いずれにせよ、マネジメント業務は「自分がタスクを片付ける」というのが仕事ではありません。割り振られた自分の役割の仕事を片付けるのではなく、メンバーが片付けられるように役割や納期、予算を配置していくことがメイン業務になっていきます。よく優秀なプレイヤーが、優秀な監督に必ずしもなりえない......と表現されるように、プレイヤーとマネージャーでは「自分の仕事」の捉え方を変える必要があるわけです。

おそらくルイスさんは非常に優秀なプレイヤーで、それを買われてマネジメントをする立場を求められるようになったのでしょう。素晴らしいことだと思います。

いまはルイスさんが「チームで仕事をする意味」を問われているタイミングなのではないでしょうか。そして誰かと関わらずにすむという意味で「孤高」というのは会社員にはありえません。誰かに仕事のテリトリー(領域)を与えてもらって、そのなかで結果を出しているのにすぎないのですから。マネージャーですら、そのさらに上にいるシニアマネージャーからテリトリーを与えられていますよね。

マネージャーになったということは、自分がテリトリーのなかで最大限のパフォーマンスを出すのではなく、チームメンバーのためにテリトリーを整理して提供してあげて、彼らに思う存分暴れてもらうための環境づくりをする、いわばゲームマスターという立場になったわけです。優秀なプレイヤーだったからこそ、その役割を期待されるようになったわけです。喜ばしいことじゃないでしょうか。

10人のチームで10人分のパフォーマンスを出しているチームはけっこう少ない

とはいっても、「他人をうまく使う」というのは本当に難しいことだと思います。自分ではない誰かに、自分が期待している何かを代行してもらうということですから。考え方も、スキルも、仕事の進め方もすべて違います。10を言って、5もやってくれない人が大半ではないでしょうか。自分ならば簡単に出来そうなことに、多くの時間を費やしてしまう人もいるでしょう。

何よりも、人は機械ではありませんから感情がつきまといます。気分次第でパフォーマンスにムラが出る人はけっこうな割合でいます。そこの不確実性に目を向けるとイラっとしてしまうかもしれませんが、その手綱(たづな)を握っているのは自分だと考えれば、なかなかにやりがいがある仕事だと思います。

その人の心のスイートスポットを抑えた言葉を投げかけるだけで、別人のようなパフォーマンスを出してくれることは多々あります。そのためにはその人に期待をかけ、敬意を持ち、言葉を尽くす必要があります。困っていることを把握したり、この仕事で成し遂げたいことを把握したり、あるいは成し遂げたいことがない人に目標を与えてあげたりする必要があります。

そして「自分が期待している何か」ではない何かがメンバーから上がってきたときに正当に評価できるか? という度量も試されます。自分の想像している形ではないが、引いてみたときに素晴らしい価値を提供できるもの、というのは意外に多いものです。

また、実のところ組織において10人のチームで10人分のパフォーマンスを出しているチームはけっこう少ないです。だいたいが7掛けか8掛けになっているのではないか? と個人的には思います。それほどまでにマネジメントは難しいし、多くの人数が集まるほどにムダやムラが多くなるものなんでしょう。でも、1+1を3にするマネジメントが難しくとも、1+1をちゃんと2にするマネジメントをするだけで、凡百(ぼんびゃく)のチームの中から突き抜けたチームになっているはずです。それを楽しむことはできそうでしょうか?

ひとりで出来ることのスケールには、どれだけ優秀でも限界がある

ここで少し視点を変えてみましょう。

これはルイスさんがそうというわけではないですが、孤高を気取っている人にありがちなのは「あの人は面倒だけど、仕事を振っていれば良いパフォーマンスを出してくれるし、それだけをやらせておけば良い」と周囲に思われてしまっているケースが多い印象があります。年次を重ねるほどにこの傾向は強くなっていきます。これはすごく悲しいことですよね。

組織に属しているかぎり「誰かと一緒に仕事をする」というのは避けられないことです。そして、ひとりで出来ることのスケールには、どれだけ優秀でも限界があります。だからチームやプロジェクトを組み、ひとりでは達成できないことを多くのメンバーで達成しようとするわけじゃないですか。

こればっかりは価値観です。自分が優秀なプレイヤーとして仕事をしていくのが好きか、自分が主役でなくても誰かと一緒に仕事をしていくのが好きか。これに良し悪しはありません。

仕事に対してパラダイムシフトを起こすしかない

まとめましょう。

「マネジメントが嫌いだけどせざるを得ない状況の人」に対する処方箋は、自分自身が仕事に対してパラダイムシフトを起こすしかありません。自分が個人としてあげる成果物に価値を置くのではなく、チーム全体であげる成果物に価値を置くようにする。そして、それが達成できる環境づくりの方に注力する。

自分にしかできないことは成果物だけではありません。自分以外の誰かが気持ち良く働ける環境を整えるというのは、多くのビジネス書が出るほどまでに難しく、やりがいがあり、「その人の個性」が出る領域です。そしてもちろんこの領域において、孤高の存在としてカリスマ性を発揮していける人は存在します。

そして「会社が求める人材像と自分がやりたいことがマッチしない」ことに対する処方箋ですが、今回の僕の回答を読んでもやはり「やりたいこと」になりえないとお考えであれば、優秀なプレイヤーとしての自分を迎え入れてくれる会社に転職するか、大小は問わず一国一城の主として独立するしかないと思います。

ただし、(会社の規模によりますが)多くの企業では一定の年齢になれば職務としてマネジメントを求めるようになっていく企業が多いように思われます。よって個人としての優秀さ(≒孤高)を評価してくれる相手と仕事をしていく個人事業主として仕事をしていく方が求めている働き方に近いかもしれません。

自分が求める「孤高」が、単純にプレイヤーとしての立ち位置なのか、マネージャーとしては達成できないことなのか、あるいはそれを超えたルイスさんの在り方についてなのか。再考する機会になればこれ以上のことはありません。

イラスト:マツナガエイコ

」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。 本記事は、2017年5月 2日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。

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