私は、愛の二流市民ー36歳の既婚者と恋をした【これでいいの20代?】

私以外にもう一人、タバコを吸っていた男性が庭を眺めていた。
鈴木綾

私の本当の名前は鈴木綾ではない。

かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。

22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話、この連載小説で紹介する話はすべて実話に基づいている。

もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。

ありふれた女の子の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。

◇◇◇

その大使館パーティーでは、広い会場に外国人のバンドが演奏する騒がしい音楽が流れ、その中で絵に描いたような美しい人たちが立ち話をしていた。

私にとって初めての大使館パーティーだった。入社して初めて夜に出かけた日でもあった。東京ソサイエティでデビューしたぞー!と楽しいパーティーの様子を見て思った。

連れて行ってくれたおばさんの先輩が人混みに紛れて見えなくなったのを見計らって、片手にシャンパン、片手に名刺入れでパーティーを歩き回った。

大使館か大使公邸のどちらか覚えていないが、お客さんが少なかった一階の奥にベランダを発見した。

10月の夜の空気は長袖が要らないほどまだ暖かかった。途切れない緑が目の前に広がった。庭の真ん中に池があり、そのとなりの木々の間で小さな三重塔が静かに身を隠していた。虫の鳴き声が時には大きく、時には小さく聞こえてきた。

東京にこういう空間があったんだ。

私以外にもう一人、タバコを吸っていた男性が庭を眺めていた。

何百万人も人が住んでいる東京では、他人同士が同じ景色を隣で満喫していても一言も交わさずに別れることが多い。私は社会人になりたての身として自己紹介を練習したかったので隣の男性に声をかけた。

男性が驚いた顔をしたけど、タバコを消してジャケットから名刺入れを出した。

大手企業の銀行員だったが、肩書きを見てどんな仕事をしているのかを読み取れなかった。普段は名刺をもらって何をコメントすればいいかわからないときは住所(大手町ですね!八重洲の方ですね!)について話すが、名刺を見て、彼の名前が目に入った。

「下の名前が太郎ですね。よくある名前ですけど、実は太郎という人に会ったことがないです」

太郎は笑った。

「名前が普通すぎて、子供のときは大嫌いでした。同じクラスに3人ぐらいました」

一緒に笑った。

太郎は他のパーティーの参加者より若干若く見えた。30代後半?渋めのイケメンだった。身長が普通で腕と足がムキムキだった。魂のこもった目が柴犬のように柔らかくて真っ黒だった。彼の目をみたら、中からチェット・ベイカーがそっと聞こえた。

「素敵な名前だと思います」

「うん、私の両親はあまり想像力がない」

20分ぐらい立ち話をしたけど、太郎はなぜか私をあやでもなく苗字でもなく、「あなた」と呼んだ。

そしてお互いが下北沢によく行っていることが分かった。

運命の人に出会った予感がした。

「下北はいいまちですね。バンドを練習するときは下北です」

もっと仕事のことを聞けばよかったのかもしれないが、彼のプライベートの方が面白そうだった。

「よろしければ今度知り合いを紹介します。外資系企業でとても偉い方ですけど、あなたに色々なアドバイスができると思います」

「本当にありがとうございます。ぜひお会いしたいです」

自分たちの会話に没頭していて、中のパーティーを完全に忘れていたら「太郎!」と人の声が聞こえた。太郎の同僚だった。

「女を口説いていたのか。ははは。もう会社に戻らなきゃ。早く!」

会場の中から時計が9時を告げた。

「また連絡します」と太郎が言って、会場の中に消えた。

私はシャンパンと夜とチェット・ベイカーと一人になった。

その後、太郎との出会いが頭から離れなかったので、

翌日メールした。

「昨夜のパーティーでお目にかかりましたあやです。」

30分後に返事がすぐ来た。

「お話した方をぜひ紹介させていただきたいです。日程調整いたしますので、少々お待ち下さい」

飲み会が一週間後に決まった。太郎が紹介したかった外資系金融機関の女性が世田谷に住んでいたので、太郎は下北沢のカジュアルな居酒屋を待ち合わせ場所に選んだ。

スタイルがよくてかっこいい金融機関の女性の前で私は急にシャイになってあまり話せなかった。しかし、ハイボールを飲みながら太郎と彼女の会話を楽しく聞いてできるだけ多くの情報を吸収した。

その夜に太郎が36歳だということを知った。銀行の東京本社の市場部門で働いていた彼のキャリアパスをその女性は称賛した。2人は私があまり詳しくない金融規制と金融庁の話をして、日本の企業は本当にスタートアップに投資しないね、など日本の経営者を批判していた。私もそういう話をできるようになりたいな、と思った。

女性が少し酔い始めると、話がプライベートの方向に進んだ。

「奥さん元気?」

その質問を聞いて私の頭からお酒が消えて、胃がムカムカしてきた。

「うん、お陰様で相変わらずです」

と太郎が笑って話を変えた。

飲み会が終わったら、3人で下北駅まで歩いた。「私は歩いて帰ります。」と私は言った。「タクシーで帰ります」と太郎が言った。「じゃね。楽しかった。」とおばさんが言って改札を通った。太郎と手を振って見送った。彼女がホームに消えたあとも長い間手を振っていた。

その間に、私は思わず手をまだ振っていた太郎に聞いてしまった。

「もういっぱい飲みに行きません?せっかくですから。」

「もちろんいいですよ。あそこのバー、やってるかな...」

(つづく)