「漫画 君たちはどう生きるか」が今日も、近所の書店で一番目立つ棚に並んでいる。
ストレートなタイトルと、こちらを見透かすような眼差しを向ける少年の表紙が印象的だ。
原作は日中戦争が始まる昭和12年(1937年)の出版。15歳の少年・コペル君が、学校のいじめや同級生の貧困、友人関係などを、メンター的存在である「おじさん」に相談しながら、生きる意味を自分に問い続ける。
異例の大ヒットで、新装版と合わせて200万部を突破した。
でも、なぜだろう。この本を読んでいる自分の姿を知り合いに目撃されるのは、何だかちょっと恥ずかしい。中学生のようにウジウジ悩んでいる、と思われたくない。
夜の歌舞伎町を生き抜き、悩みたっぷりの大人たちと接してきたカリスマホストの手塚マキさんは、今40歳。この本から、"いい大人たち"が学ぶべきことを聞いた。
人生の「もめごと」について考える
コペル君は、上品な家庭に生まれ、頭も良いです。そして、いつも悩んでますね。その度に、教養あるおじさんが、アドバイスをくれる。多くの読者は「君たちはどう生きるか」を、エリートでインテリ少年でもあるコペル君が生き方を学んでいく"成長ストーリー"として読んだようですが、僕は少し違った味わい方をしました。
この本は僕にとって、人生の様々な「もめごと」について考えさせられた作品です。
コペル君は立ち上がれるか
コペル君の通っている中学校では、いじめや喧嘩など様々な「もめごと」が起こります。
実家が貧しい豆腐屋さんの浦川君は、ずる賢い山口君にバカにされています。毎日のお弁当が同じオカズであることを馬鹿にされて「あぶらあげ」と陰口を言われるんですね。
「誰も(浦川君に)手をさしのべられてないんだ...」。家の縁側に腰掛けながら、コペル君は、山口君による"いじめ"をどう解決したら良いかをおじさんに相談します。
「そりゃあ コペル君 決まってるじゃないか 自分で考えるんだ」というのがおじさんのアドバイス。
でもここって考えたり、悩んだりしている場合ですかね。
実際、こんなにオイシイ状況ないと思いませんか?貧しい友達が悪者にいじめられていて、そいつを助けられるチャンスなんて。僕がコペル君なら間違いなく、"下心"で立ち上がる(笑)。
だって、その喧嘩に勝っても負けても、弱い同級生を守った、ってことになってクラスのヒーローまっしぐらですから。でも結局、コペル君は立ち上がらない。
これを読んでいる皆さんならお分かりのように、そもそも現実社会の「もめごと」に、「正義感にかられて、立ち上がることが出来る」完璧なシーンって滅多にないんです。コペル君、もったいないです。
争いや対立って、実際は被害者と加害者が、いともたやすく入れ替わりますからね。
謎多き「ビール瓶事件」
ちなみにホストの世界では、年齢、店で働いている年数、売り上げなど 複数の評価軸が絡み合って、上下関係が生まれます。
僕は若くして売れましたが、僕より年上だけど経歴が浅く、売り上げも鳴かず飛ばずの「後輩ホスト」に、頭をビール瓶で殴られたことがあります。お客様も見ている前で僕は流血。すぐに病院に行って7針縫いました。
病院から戻った僕を待っていたのはなんと、店長のお叱りでした。僕は被害者だと思っていたのに、あれって思いました。
「ビール瓶事件」は、今でも殴られた理由も、叱られた背景もよくわかりません。どっちが立場が上で、どっちが弱者なのかも、ごちゃごちゃ。結局、現実の「もめごと」なんてそれぐらい意味不明ってことです。
「なし崩し的」に進む現実社会
物語の中で、コペル君が目にする「もめごと」は大きく分けて二つありました。
一つ目は、正義感の強い「ガッチン」が、いじめっ子の山口君の胸ぐらを掴んでやっつけるシーン。みんながガッチンに加勢しますが、いじめられていた浦川君が、「やめてっ!!」と喧嘩を止めるんです。自分が普段いじめの被害者だから殴られている気持ちがわかったのでしょう。そこにコペル君は感動します。
二つ目は、ガッチンが上級生に因縁をつけられているシーン。ほかの同級生がガッチンを助けようとしますが、コペル君はビビって何もできない。コペル君は何もしない自分のことを卑怯だと激しく後悔し、おじさんに泣きつきます。
二つ目の「もめごと」でコペル君が自分に腹を立てるのはわかりますが、コペル君、一つ目の時には「何もしなかった自分」を特に恥じる様子もありません。それどころから「浦川君ってすごいな」と、違うポイントに感激している。
どちらも目の前で起きていることは誰かが誰かを傷つける「もめごと」なのに、一度は感心して、一度は絶望している。
コペル君は賢くて、感受性豊かな少年だと思います。ただ、何につけても「他人を理解したい」、「自分を成長させたい」という気持ちが前面に出すぎて、近視眼的になっているようにも見えます。
現実の「もめごと」って、悩んだり問題を整理したりすることなく、結構なし崩し的に、前に進んでいくじゃないですか。僕も「ビール瓶事件」の後輩と何となく仲直りしていましたし。事件を通して、学びもなければ、特に成長もありませんでした。
だから「もめごと」って、ある意味ドライに捉えないといけません。そうやって、全体像をつかまないと、見失う点が多いのではないでしょうか。特定の誰かが悪いのではなく、事象が起きてしまう構造に課題があるわけで。
漫画版にはないのですが、原作の小説では、ガッチンをいじめていた上級生たちはその後、先生たちに懲らしめられます。有力者であるガッチンの父親が学校に抗議したからです。上級生たちは親の力に頼れない分、かわいそうですよね(笑)。つまり、弱者と強者が入れ替わります。コペル君が悩んでいる間に、もめごとの構図が移り変わっていく。
複雑な社会で成長する方法
僕は、本当に大事なことは、もめごとの「問題」を乗り越えることではなく、複雑な事象をそのまま、ずっと忘れないで覚えておくことだと思う。
ホストクラブの経営者になってみると、組織には絶対に「山口君」のような、いじめっ子タイプはいることに気づきます。ただ、誰もがいつでも山口君みたいになるし、100%の悪者はいないし、100%の正義もありません。
経営というのは、組織全体を、"ややっこしいもの"として、動かし続けるということです。そうしないと、加害者と被害者が入れ替わる瞬間とか、複雑だけど、大事な出来事を見逃します。
「君たちはどう生きるか」では、山口君の心の葛藤は描写されず、ひねくれた性格は解決されませんよね。僕はそれがいいと思う。むしろコペル君のように、反省や学びがあると、もめごとが、うまく処理されてしまって、かえって忘れられていく気がする。
白黒はっきりしないグラデーションの中で、社会が回っていくことの尊さも忘れないでほしい、そう思います。それが、40歳の大人ならではの、「君たちはどう生きるか」の読み方じゃないすかね。
(聞き手・構成/南 麻理江)
"本好き"のカリスマホストとして知られる手塚マキさん。新宿・歌舞伎町に書店「歌舞伎町ブックセンター」をオープンしました。
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