MANABICIA 池原真佐子
PIECES 小澤いぶき
向かって左:小澤 右:池原
徳橋:池原さんはMANABICIAで、女性が「何か新しいことに挑戦する、一歩踏み出す」ことをサポートする、人材育成・キャリア支援事業をされています。
池原さんが女性のための場を作られている一方、今回のもう一人のゲストである小澤いぶきさんは、「生まれた環境や特性にかかわらず、子どもたちが権利と尊厳を持って生きていくことのできる、多様性のある社会を」をスローガンに、子供のための場を作られています。女性と子供とジャンルは違えど「人の居場所を作る」「人を輝かせる」という意味で共通していますね。
しかも池原さんの言う「何か新しいことに挑戦する、一歩踏み出す」を、小澤さんは見事に体現されています。本業の医師の枠を超えた、新しい領域やジャンルの違う分野への挑戦です。また「子どもの安心と健康的で豊かな成長発達を、人のネットワークと環境のデザインによりサポートする」ことを通して子供自身が自己決定していけるプロセス、池原さんの女性サポートに共通しているのではないかと思いました。
●「病院に来る前にできること、病院に来れない子どもたちへできること」
徳橋:小澤さんが、今のような活動を始めたのは、どのようなきっかけがあったのですか?
私は元来、思い立ったらすぐ動いてしまうタイプです。これまでの仕事の中で、社会の仕組みからこぼれ落ちた先にセーフティネットがない中で生きている子供たちに多く接してきました。日本にも、皆さんの普段の、住む場所や寝る場所があって、ご飯があって、という状況からは想像できないかもしれない状況が存在します。その子たちが、安心で安全な環境や、信頼出来る人に出会う中で、変化していく場面にも出会ってきました。
一人の専門家だけではなく、そこに10人の市民がいると、病院に来る前の社会のあり方にアプローチできるかもしれない、子供達の健康的で豊かな成長発達を人のネットワークでサポートできないか、と思い、今に至っています。
もともと、私は、宇宙とか平和に興味があって。自他との境界も独特で、紛争や子供たちの飢餓の様子をテレビなどで見ては、心臓が鷲掴みにされるような感覚に陥っていました。なので小さい頃は漠然と、国境なき医師団や国連のことが頭にありました。
徳橋:「児童精神科医」という言葉を、初めて聞きました。
小澤:0歳から思春期の子供たちが主な対象です。でも私の今の活動では、一番上だと20歳くらいまでの人までおり、その中には学校に行っている子供もいれば、そうでない子供もいます。
私は勤務医として病院で働いていました。病院にはシビアな状況で生き抜いてきた子供や、特性に合った環境がないがゆえに困難さが生まれている子供達や、様々な子供達やご家族と出会ってきました。その後自治体に入り、虐待や格差の中にいる子供たちへの地域での二次予防的関わりをしながら、DICという団体を立ち上げました。今は名前を変えて"PIECES"というNPOになりました。
徳橋:病院を離れて「子供たちの場」を作られたということでしょうか?
小澤:そうですね。医師として働いていた時に感じたのが、病院には、他の行政機関にかかりながらも、より深刻な状態に置かれて初めて病院に来る子供たちが多いということです。子供達がしんどい状況に陥いる前に手が差し伸べられていたり、陥ってもなんとかなっていく環境や機会の必要性を感じました。
もう一つの側面として、病院に来ることができている子供達の陰にいる、病院にも来られないような子供たちにもちゃんと機会が届く仕組みが必要だと思うに至ります。
養育の社会化の難しさと受け手側の仕組みの未整備の前者を自団体で、後者を行政に対してアプローチできないかと考えたのです。
行政に入って、「医療までたどり着けなかった子供たちがこんなにいたんだ」と驚きました。しかし行政の中だけで変わるのは難しいと思いました。行政が担わなければならないことが多すぎて、本来の予防など、本当に手をつけるべきことが着手されていなかったり、手を差し伸べるべき子供たちがとても多く、行政だけで全員を助けることには限界があるという状況を見て、改めて様々な人たちが子供の成長発達に関わる仕組みを作る必要があるなと。子供たちを大人の目線から一方的に支援するとか、大人が作った環境に子供を当てはめるのではなく、子供たちの心の奥にある願いみたいなものに彼ら自身が気づいて自己決定していくという過程を、小さい頃からできる環境を作りたいと思ったのです。
家族の中の誰か一人が頑張って子供を育てるのではなく、社会として子供を育てたり、社会が子供たちにとっての学びの場になるという状況を作ることで、機会や経験の格差なく自己決定していけるよう、子供の周囲に健康的で豊かなコミュニティを作るという活動を、PIECESで行っています。
●小さな成功体験で自信を得る
池原:自信が無い人が困難を乗り越えた後の変化についていぶきさんに伺いたいです。大人でも、自分の過去も未来も見えないとおっしゃる方が多いのですが、自分のいる場所から半歩踏み出すと、行動が変わるのです。自分でどんどん新しいキャリアを作っていくし、違う道に自分から入っていったり、自分でコミュニティを開拓していきます。そういうことは、子供たちにも起こりますか?
小澤:そうですね。何度でもやり直せる安心で安全な環境と、小さな成功体験の積み重ねがあれば「自分でもできるんだ」とか「何かあってもなんとかなる、この場所があるから」と、少しずつ自信をつけていきます。私たちが子供たちに対して何かするというよりは、子供たちが自分たちのやってみたいという願いや欲求を形にしていく過程で、やったことのなかった企画書を作るなど、実現に向けて自分たちから動くようになります。
池原:私もよく人に「やりたいことがぼんやりとでも出てきたら、それを形にして実行に移しましょう」と促します。すると 「こういうイベントをやりました」とか「転職活動を始めました」など、実際に行動に移されるんですよね。
徳橋:お2人が、そのような人たちのロールモデルだと思うのですが、特に小澤さんは、医者としてのキャリアを捨てることに抵抗は無かったですか?
小澤:なかったですね。。医者としてのキャリアを捨てるという捉え方も新たなキャリアを作るという捉えかたもしてなかったからなのかもしれませんが。その時その時の選択の積み重ねの先に今があって、選択を後からどう意味づけていくのかって人によって違うのでしょうけど。
色々な道の選択がある中で"残る"という選択も大事な選択だと思います。選択自体にいい悪いも優劣もないですし。その人なりの「残る意味」がとても大事だと思います。私が飛び出せたのは、病院にいて、医療をしてくださっている人たちがいるからこそです。 イベントなど、どんなことでも良いから、自分の責任において、自分の名前で実行してみるのは、飛びだす練習になりそう。
池原:そうすれば「意外にできる!」という自信が生まれると思います。
● 過度な期待にあえぐ子供と女性
徳橋:子供達がPIECESにいられる期間は、決まっているのですか?
小澤:決まっていません。PIECESは緩やかなコミュニティで、いつ来て良いし、いつ出ても構いません。"居場所"として、安心と信頼のある心地良い機能と、自分で選択して挑戦していく機能を持っています。PIECESは自己決定していく場ですから、やがて「ここではなく別の場所の方がいい」と思えば、自分で新たな場所を探してきます。PIECESにいられる期間の制限は設けていませんが、自己決定ができるようになるまでの期間は、その子供が置かれた状況により異なります。
ただ、今後は、ある資源をつなげて、ない資源は作りながら、資源を有機的につなげて生態系を作っていくにあたり、これまでとは少し変わってくるかもしれません。
PIECESに来る子供たちの中には、そもそも自分の感情が分からないというタイプの子もいます。私たちは日々何を食べる?ということから始まり様々な選択をしながら生活しています。けれど、ご飯がない、あっても選択できない、全て大人のコントロール化にあるなど、そもそも選択をする機会がなかったり、虐待など厳しい状況の中で、自分の欲求を出せない、感情を出せない環境にあると「選択する」「感情を認知する」ことが難しくなることがあります。
大人でも、社会の価値観やや組織の意思を優先すると、自分と組織との境界線が曖昧になり、 「自分が何をしたいか」よりも他人がどうしたいか過度に配慮するようになるのではないかと思います。
徳橋:自分の意思ではないのに自分の意思のように振舞ったり、親から期待される通りに振舞ったりする子供たちがいると聞きます。小澤さんのお話をお聞きして、そのような子供たちの姿と重なりました。
小澤:PIECESに来る子供の中には、抑圧された環境にいたために、大人の欲求や感情を読み取りながら生きてきた子もいます。
状況は違いますが、大人の女性でも、社会の価値観やや組織の意思を優先すると、自分と組織との境界線が曖昧になり、 「自分が何をしたいか」よりも他人がどうしたいか過度に配慮するようになるのではないかと思います。
池原:すごく敏感に読み取っていますね。それは彼女たちの母親からの影響も強くあるようです。彼女たちのお話をお聞きすると「母親」という言葉を多く聞きます。「40歳になってもお母さんが怖い」とか「お母さんが気にいるように生きてきたから、その道から逸れるのが怖い」とか・・・
小澤:大人の「子供にこうあってほしい」が強すぎるあまり、良かれと思ってやっていることが結果子供を抑圧しているということも起こり得ます。日本語で言う虐待は、英語だとChild abuse。つまり「子供を濫用する」ということで、決して肉体的・精神的に辛い目に合わせることだけを指すのではありません。「大人の期待する通りに生きていないと褒められない」というのも、一種のChild abuseと言えるのかもしれません。大人側は子供に愛情を抱いてのことであっても「自分の思うように育てたい」という思いが強すぎると、結果的に子供を「濫用」しているということにつながってしまいます。愛情とコントロールは違います。
● そのままの自分で社会に貢献できる
徳橋:小澤さんは社会に出る前の人たちの場を作られています。一方で池原さんは社会に出た後の人たちに接されていますが、池原さんの場合は居場所というよりは"駆け込み寺"のような気がしますが、いかがでしょうか?
池原:もちろん、人を優しく見つめていく場も必要だとは思いますが、私の場合は、相手の次の行動、それも「目に見える」行動につながる場でないといけないと考えています。
優しく人を見守るのか、人が行動するように促すのか。それはその場にいる人たちの年齢によって変わるのかもしれません。新しい世界につながる場、自分が出来ることを他人のために役立てる場を提供したいと思っています。
小澤:主に児童を対象にしている私にも共通する部分がありますね。私はPIECESにいる期間を3つのフェーズに分けています。
1. 無条件に愛される、承認される段階。
何かができたから「いい子だね!」と褒められるような条件付きの承認ではなく、存在自体に感謝して、何かをやるやらない関わらず、「ここにいていいんだよ、いてくれてありがとう」と伝えます。安心で安全な場と、信頼できる人とのつながりを作っています。
2. 挑戦する段階。
興味があるものについて「やってみよう」と思ったり、またそう思えるように促す段階です。思うようにいかなくても何度でも挑戦していいんだよ、と伝えています。いわゆる世間でいう失敗も、すべてその子の資源になっていきます。子供たちと様々な人や機会とのつながりを作っています。外の資源を通して自分の中の資源も増えて行く段階です。
3、自分で社会に出て何かを作っていく段階です。
これらの段階は、年齢だけでなくその子供の状況や状態にもよります。ここが新たなスタートでもあります。
ただ、私たちは、むやみに第3段階を目指させるのではなく、まずは子供たちを無条件の承認や愛情ををとても大切にしています。無条件に承認され、安心できる環境にあれば、子供たちは自分から行動に移すようになります。第1段階と第2段階が非常に大事になってきます。
池原:私の場合は大人が対象なので「無条件に愛する」という段階とは違いますが(笑)これまで生きてきたということは、多かれ少なかれ愛情は受けてきたはずなので、自分がいただいてきた愛情を思い出す作業が大事だと思っています。
自信の無い人たちは、外から得ようとします。「何となくMBAを取得したい」「この資格を取らないと自信が持てない」など。つまり、自分に欠けているものをお金を費やして埋めようとするんですね。そうではなく「自分がいただいた愛を人にお返しする作業をしましょう」の方が、次への原動力になる。
自分の持っている知識が誰かの役に立つ」ということに気づいていない方が多い気がします。それはそのような気づきを得る場が無いからかもしれませんし、「私って何者なんだろう?」と自己分析しすぎて、そこで終わっているからかもしれません。
自分の生活圏から足を踏み出して、自分の持つスキルや経験を人に伝えてみる。困っている人に言葉をかけてあげてみる。そうすれば人は喜ぶし、自分が誰かの役に立つ存在であることを確認できますよね。
● もっと多様性に寛容に
小澤:育児環境や、働く環境が未整備であればあるほど、価値観が画一的であればあるほど、セクシャリティの違いで、何度もアイデンティティの再構築に直面することがあると思うんです。例えば、女性たちが「女性らしさ」と「仕事」の両方を社会から求められているとすると、結婚、出産、仕事をするしないといった社会の二元論的価値観の中で何度も「社会の求める女性らしさ」と「仕事」について考えざるを得ない状況に直面させられる。もしそうなら、アイデンティティの再構築の中で先ほど池原さんがおっしゃった「自己分析」を繰り返すのも自然なことなのかもしれません。
様々な情報があふれているせいか、「これでいいんだ!」となかなか思えない社会なのかもしれません。
池原:私は、出産してみて特に感じるのですが、「いろいろな役割をこなさなきゃ!」というプレッシャーを無意識に背負ってしまいがちなことに気づきました。私だけではないと思います。もちろん、子供を育てるという責任感は忘れてはならないことですが、自分自身に余裕を持つことを蔑ろにしまいます。女性は過剰に社会から「良き母、妻、社会人」であることを求められていて、「個」としての自分に栄養をあげる時間や余裕を持ちにくい。少しでも自分のために時間を使うと「サボっている」と見られがちです。
小澤:社会がもっと多様性に寛容であればいいな、と思いますね。色々なことはする、しない、ある、なしの二元論、対立構造ではなく、グラデーションなはずだと思うんです。
もう一点、これだけシェア文化が進んでいるのだから、もう少し家族と外との境界が緩やかになっても良いかな、と思います。
徳橋:昔の日本にあったように、家族だけでなく周りの人たちと一緒に子供を育てていくような感じでしょうか?
小澤:そうですね。私が日々、厳しい状況にあった子供たちに接して思うのは、「虐待など子供を取り巻く様々な課題を専門家や行政、家族だけでなんとかしなければならない構造を、もっといろいろな人たちが関わることで予防したり、課題があってもなんとかなる構造にしていく必要があるとういうことです。その前段階として、私は「コミュニティ・ユース・ワーカー」や「コミュニティ・ペアレンツ」という、共同体単位で子育てを担う仕事を作っています。そうすることにより、いろんな人たちが持っている子育ての経験や知識、役割などをシェアできたらと考えています。
池原:私は夫が海外赴任で不在のため、一人で子育てをしています。でも実際は、周囲には助けてくれる沢山の方々のおかげで、悩んだ時や苦しい時も乗り越えられており、子供に対しても余裕を持って接することができると感じています。親族や友人、地域の方々から、子育ての知識や経験をシェアしていただき、困った時には実際に手伝っていただくことで、本当に心が楽になっています。もっともっと、このようなシェアが進むといいなと思います。
● 「美しく生きる」とは
徳橋:それでは最後にお2人にお聞きします。まず、小澤さんにとって"美しく生きる"って何ですか?
小澤:私は、違いとか、人の人生の物語とか、不完全さって、そこに在ること自体が美しいなあと思います。どこまで行っても完全がないかもしれないかこその可能性は美しいなあと。もう一つ、無理なく、お互い支えあったり、補い合って価値交換しあったり、エンパワーしあったりしているしている状態も美しいなあと感じます。無理をして何かを与えても、やがては疲弊してしまいますが、気づいたら何かを贈っていて、そして自分も気づいたら何かを贈られていて、それに感謝をする。当たり前に受け取っているものを当たり前だと思わず、思いを馳せて感謝をする。そういう姿が美しいと思いますね。究極、そこに「在る」ということは美しいですね。
人間は、結局は何かを贈っているのと同時に何かをいただいているんですよね。そのような心の通い合いが、良い資本となって社会を作っていくと私は信じています。
徳橋:前回のインタビューでもお答えいただきましたが、小澤さんのお話をお聞きして、改めてお聞きします。池原さんにとって「美しい生き方」とは何ですか?
池原:まずは自分が心身ともに満たされるのが前提で、その上で自分がすでに持っているものを人に提供すること。
それに加えて、自分の中に人を受け止める母性的な面と、物事を力強く押し進める父性の面の両方を持つ。そのような生き方ができればいいなと思います。
あとは"人に甘える"ことも大事。何もかも自分でやろうとすると、人から"近寄りがたい人"に見られてしまいますよね。そう考えると"不完全さ"こそが美しいのかもしれません。
徳橋:ありがとうございました。