僕は趣味(だと自分では思っているもの)がたくさんあるが、初対面の誰かと趣味の話になってもそのほとんどを隠してしまう。後になって「実はこれが好きだった」と表明すると「もっと早く言えばよかったのに」と言われることが多いが、やっぱり怖い。
文章、絵、音楽、アニメ、珈琲、野球… “好きだと思っているもの” はたくさんあるけれど、どれも自信を持って好きと言うことができない。
僕が「好き」と言いづらい背景には何があるのか? ハフポストの「#Rethinkしよう」の取り組みをきっかけに、改めて、立ち止まってRethinkしてみた。
詳しくなければ語ってはいけない、という感覚。
大学入学後、軽音サークルに入りたいと思った僕は新歓に参加していた。
軽音サークルなので、だいたい先輩からの一言目は「好きなバンド何?」と決まっていた。僕が答えたバンドが先輩も好きだったようで最初は盛り上がっていたのだが、だんだん会話が噛み合わなくなる。
先輩が知識マウントを取り始めたのだ。
先輩は高校の頃からかなり熱心なファンだったようで、地方に遠征したり、グッズを買い揃えたりまさにファンの鑑だった。メンバーの誕生日はもちろん、「あのライブの時に食べていたもの」みたいな細かすぎる知識まで網羅していた。
それらの知識を逐一僕に知っているか確認しては、「え〜!ファンなら知ってて当たり前だよ!」と小馬鹿にした感じで言われる。その繰り返しだった。
たくさんの知識を持っていること自体は愛のなせる業なので素晴らしいが、延々と小馬鹿にされ続けるのは楽しくない。だいたい僕は演奏している彼らや曲が好きなのであって、食べていたご飯まで知りたいわけじゃない。
細かい知識を知っていることだけが、「好き」なのだろうか。
詳しくないのに好きと言っている人を馬鹿にするような発言は、友達や知り合いからも聞いたことがある。「あのCDを持ってなきゃ」「最新曲まで追ってないと」好きじゃ無いと言われてしまう。
みんながみんなそうじゃないのはわかっていても、目の前にいる相手は「好き」の基準が厳しいかもしれない。そう思ってしまったら、「好き」という言葉を簡単に口にすることができなくなってしまった。
エヴァンゲリオンでマウントを取り合った思い出
だが、思い返してみると原因はこの出来事だけでなく自分にもあるように思えてきた。
中学生の頃、僕はエヴァンゲリオンに夢中だった。昼は友達と知識を披露しあい、夜は遅くまで考察サイトや解説動画を漁る。そして夜に調べた知識をまた昼に友達と披露し合う。その繰り返しだった。
ネットの影響を強く受けていたように思う。今もそうかもしれないが、当時見ていた考察サイトや掲示板から僕は「とにかく詳しい人間が偉い」という風潮を強く感じ取っていたため、どんな問いにも答えられること、セリフを端から端まで覚えていることが正義だと思っていた。逆に言えば、中途半端な知識は許されなかった。
高校生になり大学受験が近づくと、僕は仲の良い友達と日本史の知識で争いあうようになった。用語集を端から端まで読み込んで、試験にほとんど出ない問題まで網羅することで満足感を得ていた。
エヴァも、日本史も、あくまで友達との対等な関係上での遊びだったが、こうして思い返してみると、「詳しくなければ語ってはいけない」という感覚は、実はずっと自分の中にあったものだったのかもしれない。
趣味ともう一度向き合ってみたら…
「そんなことも知らないでファンって言ってるの?」と誰かから言われることを恐れ、自分でも「詳しくなければ語ってはいけない」と思い込み、両方からの圧力で「好き」を気軽に言えなくなってしまった僕。自分の趣味が本当に趣味と呼べるのか自信がなくなり、自分には何もないと日々虚しさを感じるようになってしまった。
それを変えたのは新型コロナによる外出自粛だ。大学がオンライン授業に切り替わった影響で、家で自分の時間を取れるようになり、もう一度趣味に向き合う時間ができた。忙しくて触れていなかったギターを久しぶりにアンプに繋いでみる。
「こんなに楽しかったっけ?」
今まで忘れていた感覚がだんだん蘇っていくように感じた。大学でマウントを取られた時に話題にしていたバンドももう一度落ち着いて聞き直すと、やっぱり最高だった。にわかな知識でも、好きであることは否定される筋合いはない。
むしろ、にわかファンこそが必要という考え方もある。
去年開催されたラグビーワールドカップでは、それまでラグビーを知らなかった「にわかファン」の存在が大会を盛り上げたと言われている。ラグビーワルドカップの公式ページでも「にわかファン」という言葉を好意的な意味で紹介しており、「小中学生の競技者数が目立って増えたという嬉しい報告を受けている」と、後継者の育成にも貢献していることが明らかになっている。
アニメや音楽などのコンテンツにも「にわか」の存在は重要だ。
どんな人気コンテンツでも時代とともにとファンが高齢化するという宿命を抱えている。長くコンテンツを持続させるには若い世代を取り込んでいく必要があり、「玄人」ファンは暖かく迎える姿勢が必要なのだ。
自分の気持ちに素直になるにはどうする?
「好き」とはなんなのか、そこに基準などない。でも、何かを好きになる瞬間、心に生まれる感動やワクワクして走り出したくなるような感覚。それは嘘偽りのないものだろう。
ネットで調べるうちにもっと詳しい人がたくさんいることを知ったり、「にわかは語るな」的な言葉を見たりすると、だんだんと自分の「好き」に自信がなくなっていくことはある。
好きなはずなのに、周りが気になって「好き」と言えなくなってしまうのは本当にもったいないことで、人と仲良くなるチャンスを逃している場合もあるし、何より楽しいことが減ってしまう。今回改めて好きをRethinkしてみることで、僕はそれを身をもって感じた。
他人が何を言ったとしても、好きなものは好き。
自分の気持ちに素直になれるように、僕はなりたい。そして、他人の「好き」を否定せずに受け入れたい。
その心がけが、みんなの「好き」という気持ちや、好きなものを守ることになるはずだと思うから。