聖書以前、例えば古代インドの資料等にもハンセン病と思われる記述があるように、ハンセン病には長い歴史があります。東アジア、あるいは西アジアを起源とする説もありますが、近年のらい菌遺伝子の解析によると、どうやら東アフリカがその誕生の地であるようです。
いずれにしても、アレクサンダーの東制、ローマ帝国の領土拡大、ゲルマン民族の大移動、さらには十字軍の遠征などの人口の大規模な移動とともに、生活環境の劣悪な地域を中心にハンセン病の感染が広がり、ときにはヨーロッパ各地での流行を引き起こしてきました。
ヨーロッパのハンセン病の歴史は、キリスト教の歴史と深くかかわっています。また他の宗教にとっても、ハンセン病とその患者をどのように扱うかは、注目されることこそ少ないものの、隠れた大テーマであり続けてきました。そしてどの宗教においても、「救済」と「差別」あるいは「スティグマ(社会的烙印)」は、コインの表裏のように分ち難い状況にありました。
西暦260年頃、南フランスでキリスト教会が患者救済施設であるラザレットを設置して以来、キリスト教はハンセン病の救済活動を展開してきました。
聖フランシスコの救済コミュニティである、らい村も有名です。13世紀にはフランスだけで1500から2000ものラザレットや、らい院が存在しました。ハワイのダミアン神父もインドのマザー・テレサもまた、敬虔なキリスト教徒でした。日本でも、明治維新後にハンセン病の救済活動を積極的に推進したのは、キリスト教徒たちでした。
しかし救済施設は、多くの場合、患者たちが強制的に収容される「隔離施設」でもありました。中世には、患者には教会で「死のミサ」が行われました。これは現世で一度死んで、現世の外とみなされた、らい院に閉じ込められ余生を送るための儀式でした。入所者に「模擬埋葬」を行った施設もあります。さらに宗教の名のもとに、患者が他国へと追放され、ときには1321年にフランスで多くの患者が虐殺される悲劇も起こりました。
日本でも古くから仏教徒が患者救済に力を注いでいました。一方で、ハンセン病は経典を粗末に扱うなど、過去の悪しき行為に対する報いであるとされ、差別的な葬送儀礼などが行われることもありました。またイスラム世界では中世のヨーロッパほど厳しい差別意識はなかったものの、「患者からは遠ざかれ、ライオンのごとく早く逃げろ」などと言われ、感染を恐れられていました。
キリスト教をはじめとする宗教が、患者にとって救いであり、現在に至るまで精神的に大きな支えであり続けたことも事実ですが、聖書に「leper(ハンセン病者の蔑称)」が「穢れた者」を明示するかたちで使用されたように、宗教は、救済者であると同時に、差別を助長して来たこともまた事実です。また「leper」や「lepra(ハンセン病者を表すラテン語の蔑称)」、あるいは「癩(らい)」という言葉は、宗教的プロパガンダのためのメタファー(隠喩)として使われ、布教の道具として扱われてきた側面もあります。
ハンセン病をめぐる誤解や偏見の多くが、宗教によって強化されてきました。それはかつてほど宗教が強力な影響力を持たなくなった現代でもなお、人々の心の中に深く根を下ろしたままになっている誤解と偏見の根源でもあります。
ハンセン病の患者、回復者およびその家族に対して差別をしていい理由などどこにもありません。私は、宗教指導者の皆さんとともに、差別撤廃に向けて取り組んでいきたいと思っています。
※日本財団は、2006年からハンセン病差別撤廃を訴えるグローバル・アピールを毎年開催しています。2009年はキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教など世界の宗教指導者17人とともに訴えました。