現代の日本ではハンセン病について全く知らない、という人も少なくないでしょう。あるいは小説『あん』やその映画化作品、宮崎駿の『もののけ姫』などによって、初めてその存在を知った人もいるかもしれません。
日本においては、ハンセン病を発症する人は、ほとんどいなくなりました。かつて発症して完治した人々の平均年齢も80歳を超えています。また有効な治療法も開発され、世界中どこでも薬は無料で提供されています。
では、ハンセン病は過去の病気になったのでしょうか。
いま世界では、毎年20万人ほどの患者が見つかり、治療を受けています。
その数だけを見れば、マラリアやコレラなどに比べると、極めて少数ではあります。しかしひとたび発症すると、いまだに根強く残るいわれなき偏見と差別によって、患者たちには苛酷な運命が待ち受けています。それは治癒した後も、死ぬまで続くのが常でした。
差別の理由には、症状の進行によって外見が著しく変化することが挙げられますが(ハンセン病そのものによるのではなく二次症状によるものが多い)、宗教や迷信がハンセン病を「罪の病」、「穢れた病」とみなしたことによって、差別は助長され固定されてきました。それは世界中すべての国や地域で、いまもなお続いています。日本も例外ではありません。かつての患者たちに対する差別は根深く、ときにはヘイトスピーチの対象にさえされます。
日本ではすでに『日本書紀』にハンセン病と思われる記述があり、歴史を通じ患者たちは差別されてきました。仏教や神道、さらには中世末期に伝来したキリスト教も、患者を保護救済する一方で、布教の道具として特別な病とみなし、負のイメージを強化してきたのです。
日本における患者の数も決して少なくはありませんでした。明治期の統計では、約20万人という数を挙げるものもあります。当時の人口比率では、1000人あたり3~4人の患者が存在していたことになります。
しかも当時は有効な治療法もなく、病状は進行するに任せるしかありませんでした。福澤諭吉や森鴎外がハンセン病に強い関心を寄せていたように、ハンセン病は日本人にとって身近で恐ろしい病気だったのです。福澤や森はまたハンセン病を「血筋の病」、つまり遺伝病であると考えていました。
19世紀末には、ハンセン病が感染症であることが確認されると、今度はうつる病として患者の強制隔離が始まり、社会から隠され、さらに苛酷な環境に追いやられます。しかも遺伝病のイメージは残り続け、患者を出した家族や親族までが差別と排除の対象とされました。
発症力が極めて弱いことがわかり、完治する病となり、世界中で患者数が大きく減少しているにもかかわらず、人々の心には100年前、いや古代と変わらぬ偏見が生き続けています。
私は、ハンセン病はあらゆる差別、さらには異なる民族や宗教に対する不寛容について考える際の大きなヒントになると思っています。ハンセン病を考えることは、人間を考えることにほかならないのです。