Leprosy-free Worldへの最後の1マイルのために誰もができること。

現在、ハンセン病制圧の「旅」は、最後の1マイルにさしかかったところです。
2017年4月にジュネーブで開催された国際会議で発言するケニアの回復者であるコフィ・ニャルコ氏とマーガレット・チャンWHO事務局長(当時)。
2017年4月にジュネーブで開催された国際会議で発言するケニアの回復者であるコフィ・ニャルコ氏とマーガレット・チャンWHO事務局長(当時)。
日本財団

ハンセン病は、人類の長い歴史とともにあり続け、数限りない悲劇をもたらしてきた病気です。多くの患者たちが絶望のうちに生き、絶望のうちに死んでゆきました。気の遠くなるほどの長い苦しみの歴史に比べると、ハンセン病をとりまく状況のこの30年ほどの変化は、まさに「劇的」と言っていいほどの大きな、そして急激な変化でした。

1985年から2014年までに登録患者数は、95%以上減少しました。これには、「多剤併用療法(MDT)」という効果的な治療法が確立され、これを無償で提供できる仕組みが整えられたことが大きな力となりました。またアクセスの悪い地域も含む様々な地域で患者たちを探し出し、その一人ひとりの手にMDTを届け、継続して服用してもらうための、WHO(世界保健機関)をはじめ各国・各地域の保健関係スタッフたちの努力も注目されるべきでしょう。

そしてブラジルのMORHAN、エチオピアのENAPAL、インドのAPAL、インドネシアのPerMaTaをはじめとした回復者組織に見るように、ハンセン病の回復者自身が主役となって、人権や生活改善のために声を上げ、患者発見に寄与する活動をしていることも、劇的な変化の原動力になっています。

いまだ差別が根強いなか、回復者たちが公の場で声をあげるには大きな勇気が必要です。2017年4月ジュネーブで開催されたNTD(顧みられない熱帯病)サミットにもガーナの回復者でありIDEA(ハンセン病回復者国際団体)ガーナの代表者であるコフィ・ニャルコが参加しました。彼は、「大切なのは病気を見ることではなく人間と向き合うことだ」と発言し、ハンセン病の回復者ばかりでなく他のNTDの患者たちにも大きな勇気を与えました。このように、国際的な場でも回復者たちが積極的に発言、活動する機会が増えつつあります。

また21世紀の到来と前後して、国際社会ではハンセン病患者や回復者の人権問題が大きく取り上げられるようになりました。私たち日本財団は各国のリーダーたちやマスコミ、そして一般の人々に、医療面のみならず人権の観点からも、ハンセン病の問題を正しく理解してもらうことが必要不可欠だと感じていました。日本政府とともに国連への働きかけを続け、2010年の国連総会でハンセン病差別撤廃決議が採択されました。この決議は、私たちの活動を強力に後押しすることにもなりました。

WHOは、1991年に公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧目標を人口1万人あたり1人未満としました。実はこの目標値の設定については、賛否両論がありました。数値にこだわるあまり、患者数が実際より少なく報告されたり、数値目標が最終ゴールであるかのように扱われたりすることが懸念されたのです。目標値そのものが実現不可能であるとする意見も少なくありませんでした。しかしこの数値目標はあくまでもマイルストーンであり、具体的な数値を掲げることによって、その目標に向かって多くの組織や団体が集中して活動を推進することができたこともまた事実なのです。

現在、ハンセン病制圧の「旅」は、最後の1マイルにさしかかったところです。

しかし、私たちの旅の目的地である「ハンセン病やそれにまつわる差別のない世界※」に至るまでには、多くの課題が残されています。制圧目標を達成した国でも、地域によっては有病率が高い場所もあります。差別を恐れ、治療が遅れてしまったために重い障害が出てしまった人も少なくありません。2016年のバチカン・シンポジウムの勧告にもあるように、「ハンセン病患者の新たな発生はたとえ一人であっても多すぎると考えるべき」なのです。

私は、ハンセン病に残された課題の解決のためには、誰もができることがあると考えています。それは「知る」こと、「感じる」こと、そして「考える」ことです。誤った情報、無責任な噂、そして無知と無理解が、問題解決の前に大きな壁となって立ちはだかっています。「ハンセン病やそれにまつわる差別のない世界」に向けた最後の1マイルに足を踏み出すにあたって大きな力となるのは、ハンセン病について社会による理解が深まることです。差別はされる人々にとっては無論のこと、する側にとっても大きな不幸です。「ハンセン病やそれにまつわる差別のない世界」とは、患者や回復者が病いや差別から自由であるのと同時に、社会全体が病いや差別から解き放たれる世界でもあるのです。

最後に私が最近インドネシアの回復者から聞いた言葉を紹介しておきたいと思います。その回復者のポートレート撮影の了承を得たときの言葉です。

「どうぞ撮影してください。写真を撮られることは何より嬉しいのです。それは、私が生きていること、私の存在を認めてくれているということにほかならないのですから」。

社会の理解はまだ、そんな彼の思いに、追いついていないのではないでしょうか。

インドネシアの回復者ルスディさんと家族は笑顔で撮影に応じてくれた。
インドネシアの回復者ルスディさんと家族は笑顔で撮影に応じてくれた。
日本財団

※Leprosy-free world:WHO(世界保健機関)のGlobal Leprosy Strategy 2016-2020における目標

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