「アジアの最貧国」でダム決壊。記者が現場で訪れて見えてきたこと

ダム開発に頼らざるを得ない国の現状と、それにほんろうされる、ダム周辺の村人たちの姿。
ラオス南東部アッタプー県から車で約3時間離れた場所につくられた臨時避難所では、倉庫のような場所に避難した人たちが身を寄せていた=2018年7月、染田屋竜太撮影
ラオス南東部アッタプー県から車で約3時間離れた場所につくられた臨時避難所では、倉庫のような場所に避難した人たちが身を寄せていた=2018年7月、染田屋竜太撮影
染田屋竜太

2018年7月、東南アジアの真ん中、人口約700万人の国ラオスで、大規模なダムの決壊事故があった。多くの村が水に流され、2万人が被害を受けたという事故だが、発生直後は国際的なニュースになったものの、時間がたつとメディアで報じられることもなくなった。

「アジアの最貧国」とも呼ばれる国で何があったのか。現場を訪れて見えてきたのは、ダム開発に頼らざるを得ない国の現状と、それにほんろうされる、ダム周辺の村人たちの姿だった。

7月24日。私はタイのパタヤにいた。普段は朝日新聞の特派員としてタイのバンコクに駐在しているが、このときは夏休みを利用して家族と旅行していた。

スマホをのぞいて驚いた。ラオスでダムが決壊し、数千人が被害を受けたというニュースを見つけた。

「ただごとではない」。日本では事件や事故の取材をしていた経験から、心が落ち着かなくなった。案の定、数時間後に上司から「現場を見てきてもらえないか」と連絡を受けた。

災害では、発生直後に現場の雰囲気を伝えることが必要だ。すぐにチケットをとり、ラオス語を話せる助手と一緒に首都ビエンチャン経由でアッタプー県を目指す。

現地で運転手つきの車を借り、できるだけ現場に近づこうとした。

車の天井に何度も頭をぶつけるようなデコボコ道を行くと、広場と建物が見えてきた。決壊事故のあったラオス南東部・アッタプー県の広報担当者によると、決壊で避難した人たちが身を寄せる小学校だという。

村全体が流されるような洪水とはどんなものだったのか。はやる気持ちを抑えて人々に話をきく。

「水が来るからすぐ逃げろ」。7月23日午後8時ごろ、ダム近くのバンタヒン村に住むニャイさん(30)は村のリーダーから声をかけられた。1歳8カ月の長男を左手に抱えながら、荷物をまとめる。すると、いきなり家の中に水が流れ込んできたという。

「とるものもとりあえず家から逃げた」とニャイさん。家にいた長女(8)の手を引き、ドアの外に出た。そこで、抱いていた長男を水の流れにさらわれてしまったという。

ニャイさんも2キロほど流され、手に当たった木にしがみついた。シャツ以外は全部流されたが、長女は無事だった。木につかまっていたのは10時間あまり。翌日昼、救助のボートに助けられたという。

「ほっとした。でも次の瞬間、なぜ長男を離してしまったのか、後悔の気持ちがこみ上げた」とニャイさんは話す。聞いているこちらも胸が痛くなるような話だった。

小学校にはニャイさんのように木や家の屋根に避難して助かった人たちが1千人近くいた。5メートル四方の教室にごろ寝している。人々は、自ら逃れた安心感と、これからどうなるのかという不安がないまぜになった気持ちを正直に話してくれた。

今回は、約4,500人が住む6村が特に大きな被害を受けた。全て流され、更地になってしまった場所もあるという。

避難所では国際機関などからの支援物資が配られる。ただ、いつまで食料がもつかははっきりしない=2018年7月、ラオス南東部アッタプー県、染田屋竜太撮影
避難所では国際機関などからの支援物資が配られる。ただ、いつまで食料がもつかははっきりしない=2018年7月、ラオス南東部アッタプー県、染田屋竜太撮影
染田屋竜太

アジアの「バッテリー」

原因は何なのか。解明にはまだ時間がかかりそうだが、少しずつ事実がわかってきている。ダムの建設を手がけていたのは、韓国、タイ、ラオスの企業が出資する合弁会社。主体になったのは、韓国のSK建設だった。

同社は当初、「決壊」と認めず、大雨で水があふれたと説明していた。しかし、同じ韓国の西部発電は韓国の国会で、「決壊の3日前に補助ダムの一部が沈下していた」と明らかにし、避難の呼びかけが適切だったのかに疑問が浮上している。

ラオス政府は、「工事に不備があった」と指摘。8月に、ダムの専門家らをメンバーにした委員会を立ち上げ、半年かけて原因を探るという。

今回の事故は、単なる「ダム決壊」だけにとどまらない。ラオスという国の方向性にもかかわる。

海に面さないラオスは、外貨獲得手段として水力発電の道を選び、1990年代前半からダム建設に着手した。

ラオスのエネルギー鉱業省などによると、現在、国内には53基の水力発電所があり、発電能力は計約7000メガワット。このうち8割が輸出に回る。最大の購入国タイには現在、4200メガワット分あまりを輸出し、将来的に9000メガワットまで増やす約束をしているという。

発電能力は2021年までに現在の2倍近い1万3000メガワットに増強する計画で、現在でも40基以上を建設中、100基以上の新規建設計画も進んでいる。

ラオスは「アジアの最貧国」とも言われる。1人あたりGDPは日本の26分の1。3分の1以上の国民が、最低限の収入である1日1.25米ドルを下回る。

鉱業や製造業もなかなか育たず、そこで行き着いたのが「アジアのバッテリー」としての発電事業だった。

今回の事故で、「本当にこの方針でいいのか」という声が上がっている。NGO「メコン・ウォッチ」の木口由香理事は、「売電は買い手側が有利な産業。本当に将来的に成り立つか、検証する必要がある」と指摘する。

いくら、将来の輸出量を約束していても、買う側が「いらない」となれば、せっかく作ったダムが無駄になってしまう危険性もある。

現場を視察したラオス政府の幹部を直撃したが、「ダム事業はラオスの大事な産業」としか語らない。

地元メディアの記者が、「ここでダムの方針転換をしたら、国の経済が成り立たなくなる」と説明してくれた。

今のラオス政府は、2020年までに国連の定めた「最貧国」を目指すと宣言している。それを曲げたくない思惑といえる。

ラオス南東部アッタプー県から車で約3時間離れた場所につくられた臨時避難所では、倉庫のような場所に避難した人たちが身を寄せていた=2018年7月、染田屋竜太撮影
ラオス南東部アッタプー県から車で約3時間離れた場所につくられた臨時避難所では、倉庫のような場所に避難した人たちが身を寄せていた=2018年7月、染田屋竜太撮影
染田屋竜太

ダム建設に翻弄される住民たち

国に与える影響よりももっとも大きいのが付近の住民への被害だ。

実は、今回決壊したダムは90年代に計画されていたが、アジア経済危機などで一度頓挫。予定地の住民らは一度住む場所を移ったのに、また戻ってきた。その後、改めてダムが造られることになり、そして、事故が起きた。

法政大の松本悟教授(国際協力学)は、「ダムの開発がラオスの人たちのためになっているか、他に育てる産業はないのか、真剣に考えるきっかけにすべきではないか」と話す。

避難所で会った人たちは、「これからどうなるんだろう」と漏らしていた。国の経済成長のために犠牲になった人々を目の前にすると、何が国民にとっての「幸せ」か、分からなくなってくる。

激流跡の衝撃

事故から2カ月たった9月、もう一度、現場を訪れることにした。発生直後の前回は、ほとんどの場所で冠水しており、大きな被害を受けた場所にはたどり着けなかったからだ。ラオス政府からは「必ず四駆車を用意するように」と言われた。

アッタプー県中心部から車で約2時間走ると、両脇に一部が壊れた建物が見えてきた。

「ここが、被害の一番大きかった村か」と尋ねると、「もっと先だ」という。さらに30分ほどいくと、ぐしゃりとつぶされた家や、骨組みだけになった建物が次々と現れた。最も被害を受けた、ヒンラー村だ。その周りには分厚い泥がつみあがり、数百本の木が同じ方向を向いて倒れていた。「ここを激流が襲ったんだ」と背筋が寒くなる思いをした。

「ここには家が建っていたはずだ」とラオス政府の役人が言う。だが、そこは全てが流れ去り、草と泥だけになっていた。

日本の国際協力事業団(JICA)の支援でできた小学校は、屋根に10メートルほどの大木が乗っかっていた。

子どもたちの声が響き渡っていただろう場所は、しんとして何の音もしなかった。児童の数人も、洪水の犠牲になったという。

ここで教えていたノーラン・シファさん(38)は今、隣の村に避難し、教師を続けている。児童らはその村の小学校に間借り。「教材も教室も足りません」とノーランさんは言う。

JICAの駐ラオスの職員も、水に阻まれ、学校の様子を見に行けていないという。ラオス政府の役人は、「日本とラオスの架け橋がこんなことになってしまって、とても悲しい」と話した。

ヒンラー村の人たちは、テント暮らしが続く。JICAなどがラオス政府に送ったものだ。だが、日中気温が上昇し、暑くてテントにはいられないという。

テントの中を見せてもらうと、服や家事道具が置かれ、3~4人が寝そべるのがやっと。電気も満足に使えていないという。

JICAの支援でつくられた、ラオス南東部アッタプー県のヒンラー村にある小学校。巨木が屋根に乗っていた=2018年9月、染田屋竜太撮影
JICAの支援でつくられた、ラオス南東部アッタプー県のヒンラー村にある小学校。巨木が屋根に乗っていた=2018年9月、染田屋竜太撮影
染田屋竜太

現場入りするメディア少なく

2度の取材で感じたのは、現場に入るメディアの少なさだ。決壊事故の直前まで、タイ北部チェンライ郊外の洞窟での少年らの救出活動を取材していたことも影響しているかもしれない。そこには世界各国から1千人ほどの記者やカメラマンが集まり、各地に中継していた。

一方、2万人が被害を受けたラオスで出会ったのは、タイのメディア2社、中国と日本のメディア1社ずつだ。

9月に現場入りしたときは、ラオス政府の幹部に、「メディアでここまで入るのは世界初だな」と言われた。その頃には、現場を訪れるメディアはなくなっていたという。

メディアの反応が「鈍い」理由として考えられるのは、被害の規模だ。政府の発表では、犠牲者は30人余り、不明者も約30人という。この数字を「少ない」と判断し、軽視したメディアもあったのではないだろうか。

ラオス政府も現場の状況から早々に救助活動をストップしている。だが、犠牲者数については、「もっと多いのではないか」という声が上がっている。

国際機関の関与もあまり目立たなかった。比べるのは難しいが、ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャが避難するバングラデシュの難民キャンプには多くの国連機関が常駐し、手厚く金銭や物資などを支援している状況とは全く違う。

今回の工事が民間主導だったということも国外からの支援に影響しているといえる。「効率的に」「コスト削減」をうたい文句にして、公共工事に民間の資金や技術力を導入することはアジアでももてはやされている。

これまでもPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)や、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)といった言葉が飛び交う現場を取材してきた。

国直轄ではなく、民間の力を有効に使うというのは聞こえがいいが、今回はそれが「裏目に出た」とも言える。

SK建設をはじめとする建設側に不備があった場合、責任を負うのは民間企業だ。韓国側は、ラオス政府に原因の特定を委ねており、何が本当の理由だったかが判明するまでには時間がかかりそうだ。

ある国連機関の職員は、「政府主体であれば、政府を支援することもできるが、民間企業の責任なのに手厚く支援するというのに不公平を感じる人もおり、他の災害などに比べて支援が手薄になっているのは事実だ」と認める。

避難民への政府支援弱く

避難した人たちへの金銭や物資の支援は今、国際機関に全面的に頼り切っている。ラオスの地元メディアによると、ラオス政府は、財政難などから今年中は避難民に対する予算措置をとらない方針だという。

国の方針や自然の力で何の罪もない人たちが人生を変えられ、未来の見えない避難所生活を強いられている。

しかも、日本のような財政力ではない国で、政府による十分なバックアップも期待できない状況だ。

ダムのあったアッタプー県の幹部からは、「現状を日本の人にも伝えてほしい」と言われた。今後も、現場での取材を続けたい。

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