森林文化協会が発行している月刊「グリーン・パワー」8月号の「時評」で、京都の伝統文化を支えてきた里山の危機について、京都大学名誉教授の森本幸裕さんが論じています。祇園祭に欠かせないチマキザサも、もはや京都市内ではほとんど採取できないそうです。
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京都の伝統文化の継承には、落葉広葉樹の里山の再生、つまり多様な森林資源を供給する農山村の活性化がキーポイントではないか。祇園祭に用いられるササの枯渇メカニズムと対策の研究で、この春に博士となった東口涼さんの結論の一つだ。
食品を葉で包む文化は世界に広く分布する。京都ではササの葉で包む和菓子が著名だ。祇園祭の厄除け(やくよけ)粽(ちまき)にも使われるチマキザサ(標準和名はチュウゴクザサ)は葉が無毛で香りがよく、重宝されてきた。だが、2004年から07年にかけての一斉開花に伴う枯死と、更新した芽生えもすさまじいシカ食害のため、京都市ではササ葉の採取と流通が止まってしまったのである。
「釡の底」ともたとえられる京都盆地の暑い夏は祇園祭で盛りを迎える。疫病退散の祇園御霊会(ごりょうえ)から始まったという祇園祭は、釡の底の町衆が継承してきたものだ。ちなみに町衆は「まちしゅう」ではなく、「ちょうしゅう」だと強調するのは、ドイツ文学者でもある祇園祭山鉾連合会元理事長の深見茂氏だ。通りを挟んだ向かい同士のコミュニティーである両側町という自治組織が祭と山鉾(やまほこ)を継承してきたという自負をお持ちだ。東口さんは百足屋町(むかでやちょう)が担う南観音山の囃子(はやし)方の一人でもある。その町衆も大事な資源であるササがどこから来るか、今回の危機が発生するまでほとんど意識になかったという。
これまで厄除け粽の原料は京都北山の花背地区で採取され、よい香りが生まれる天日干しを経て市内の深泥池(みぞろがいけ)周辺で加工され、町に供給されてきた。このササ資源の供給が突如とまったため、京都府の北方、丹後地域の代替品や他産地のものも流入するようになった。
この危機に際し、本来の京都市産のチマキザサの再生を目指して、辛うじて残った群落を防鹿柵で囲ったり、株分けをして、市内の学校などで里親に育ててもらう活動などの取り組みも始まっている。そうした取り組みのうち、再生できる量から見れば既存群落を囲むのが最も効率的だが、まだかつての量は確保できないし、対策としては中途半端だという。
まず、防鹿柵でたくさん囲うほど、設置だけでなく維持管理がたいへんになる上に、シカが高密度すぎて柵外は丸坊主。シカ食害が原因の絶滅危惧種も増えている生物多様性の危機は解消できない。戦後すぐの航空写真では山のほとんどが、ササの生育に好適な、伐採と再生が繰り返される里山落葉広葉樹林だったことが分かるが、現在は大部分がササの生育に適さない針葉樹人工林になってしまっているという根本問題が残る。高齢の花背のおばあさんたちの熟練の採取調整技能の保存継承も瀬戸際だ。
かつて落葉広葉樹の里山は、チマキザサだけでなく、京文化を支えるクロモジやサンショウなど他の多様な里山森林資源を市場に供給してきたのだが、現在は風前の灯だ。 町衆だけでなく多くの関係者も連携した里山再生で京の伝統文化を支える道が開けないものか、東口さんは研究を継続している。