「クロネコヤマトの宅急便」のマークが1957年の制定以来、初めてリニューアルされる。
子ネコを運ぶ親ネコのモチーフは変わらないが、輪郭線が減ってシンプルな形になる。ヤマトホールディングスの広報担当者は、ハフポスト日本版の取材に「視認性を高めて、より未来志向のデザインに磨き上げました」と話している。
正式名称「クロネコマーク」の変更は4月1日。この日、ヤマト運輸が子会社6社を吸収合併するなど経営体制を刷新する。そのことを内外に広く示すために、デザインをリニューアルすることになったという。
この「クロネコマーク」の原案となったのは、6歳の少女のスケッチだった。実に64年ぶりとなるデザイン刷新を機に、日本の誰もが知っているマークの知られざる歴史を紐解こう。
■クロネコマークの制定の経緯は?
ヤマトグループ創業100周年記念誌「100年のあゆみ」などによると、そもそものきっかけは、1957年3月にアメリカの引っ越し業者「アライド・ヴァン・ラインズ」と業務提携を結んだことだった。
同社の広告には「Careful handling(丁寧な荷扱い)」のキャッチフレーズの元で、親ネコが子ネコを口にくわえた絵が採用されていた。大和運輸の創業社長だった小倉康臣さんは、これに感銘を受けてアライド・ヴァン・ラインズ社から図案の使用許諾を得た。
アライド・ヴァン・ラインズ社の図案のネコはリアルタッチだったが、ヤマト運輸ではこれを元に図案化することになった。デザインをしたのは、広報担当の清水武さんだった。
東京都台東区谷中の家に住んでおり、「クロ」という名前のクロネコを飼っていた。あるとき、当時6歳の娘が、クロを画用紙にクレヨンで描いた。このスケッチにヒントを得て、清水さんは1957年6月に「クロネコマーク」を完成させた。
とんがった耳の形など、現在のクロネコマークにも繋がるところがある。画用紙には、表裏それぞれに別のスケッチが描かれており、裏の絵には親ネコの口元に黄色のクレヨンで子ネコが描かれた。より「クロネコマーク」に近い構図になっている。