エベレスト山頂を目指していた、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)が5月21日朝、エベレストで亡くなった。栗城さんの挑戦は多くのドキュメンタリー番組やメディアに取り上げられ、幅広い層の共感を呼んできた。一方で、専門家からは難易度が高すぎるルートの挑戦に「技術的に無謀」という声もあった。これは無謀な挑戦だったのか?
難易度が極端に高いルート
栗城さんのホームページなどによると、栗城さんは1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰などに登頂した。2009年からは「冒険の共有」として、登山のインターネット生中継を始める。
「元ニート」の挑戦として注目され、その姿を捉えようと多くのドキュメンタリー番組が制作された。栗城さんの活動の幅も広がり、企業や学校で応援し合うチーム作りと人材育成を専門とした講演活動もしていた。
挑戦を続ける姿勢に共感したファンも多く、スポンサーからのバックアップも受けていた。
2012年、栗城さんにとって最大の目標とも言える「無酸素単独」でエベレスト西稜からの登頂中に手の指9本の大部分を失う。
以降も挑戦を諦めることはなく、2015年は秋季エベレスト、2016年とエベレスト登山でも難易度の高い北壁ルートへの挑戦を掲げたが失敗に終わっていた。
TBSによると、8度目となる2018年の挑戦は、エベレスト登山の中で最難関と言われる南西壁ルートから挑むというものだった。
栗城さんが目指していたエベレスト登頂は、いずれも「単独・無酸素」を条件に掲げ、しかもルートの難易度が極端に高いことに特徴がある。喝采を送るファンは多かったが、専門家からは無謀という声があったのも事実だ。
登山ライターは語る「明らかに無理」
登山専門誌の編集者から登山ライターに転じた森山憲一さんは、2017年に自身のブログで栗城さんの「挑戦」に疑問を投げかけていた。
森山さんは今回の事故をどう見ているのか。
「詳しいことがまだわからない状況なので、まだ何とも言えません。遺体が見つかったとされる場所や低体温症という報道から考えると、難しいルートを選んだことと、亡くなったこととの関連は薄いと思います。なぜ亡くなったかについては続報を待ちたいです」
登山を専門に取材を続けてきた森山さんの目に、栗城さんは「かなり無茶苦茶なことをやっている」と見えていた。ブログを書いた動機は、栗城さんの実績などからわかる実力と、本人が挑戦したいことのレベルに乖離がありすぎると感じたことだったという。
「まず西稜や北壁というルートもものすごく難しく、栗城さんのレベルで登頂できることはほぼ100%ないと断言できるものでした。
専門家ほど挑戦に対して無理と断言することは躊躇しますが、明らかに無理です。例えるなら大学野球の選手が、メジャーリーグの本塁打記録を更新するようなものでした。
南西壁に関していえば、エベレストでも一番難しいルートで、日本人で『単独・無酸素』で南西壁から登頂できる登山家はいません。世界を見渡しても1人、2人いるかどうかというルートです。
彼らですら、やってみないと成功するかどうかはわからない。栗城さんのレベルで、山頂に達することはありえないことです」
森山さんは冷静な口調を崩さず、現状を分析していた。
「挑戦については例年通りのことで、今年も登頂成功というニュースはこないと思っていました。まさか、亡くなるという結果になるとは予想していませんでした」
突然の死に、多くの人から追悼の声があがっている。登山への関心を多くの人に広げたのは、栗城さんの功績と言えるだろう。それだけに彼の「挑戦」に対しても、冷静な議論が必要だ。