熊本での1年間の様々な出来事を振り返って率直に感じることがある。
①なぜ? どうして? というもどかしい思い。
②特に、繰り返されてきた同じ過ちを見ることのつらさ。
③一方で、新たな支援のスタイルの萌芽への感動。
④そして、熊本地震が日本の災害復興支援の歴史の大きな転機になるのではないかという期待、いや、しなければ!という思い。
言うまでもなく1年は通過点に過ぎない。
しかし、この時点で見えてきた課題は、きちんと解決しなければならない。
それをしっかり確認して、リスタートすることが「節目」の役割だ。
そこで、熊本地震1年の節目にあたり、特に重要な課題を5つ挙げておきたい。
これは支援に当たる自分自身に言い聞かせるだけでなく、次の「節目」を迎えるときには着実な進展を遂げていることを期すために、書き残しておきたい。
<1> 命を守る(孤独死・関連死)
仮設住宅等で孤独死が生じている。その連鎖を断たなければならない。
孤独死は「孤独生」の延長線上にある。孤独死を断つために、被災者の孤独な暮らし、心の荒みを取り除こう。病や貧困の淵にいる人に手を差し伸べよう。特に大事なのは、みなし仮設等から発信される声なきSOSをキャッチすることだ。
そして、関連死にきちんと向き合うこと。小口幸人弁護士の調査分析によれば、自治体による関連死の扱いの差が大きく異なっている可能性がある(※熊本市は直接死が4人で関連死が66人、南阿蘇村は直接死16人で関連死11人、益城町は直接死20人で関連死17人、阿蘇市は直接死0人で関連死17人)。
「死」を丁重に扱うことで、次の関連死も防げるし、遺族も立ち直れる。震災復興においては、人を「切る」行政ではなく「尊ぶ」行政でなければならない。
<2> 暮らしを守る(生活再建)
一人ひとりの被災者が受けたダメージは百人百様だ。住まい、健康、家族,生業、収入、生きがい、コミュニティ・・・。そうだとすれば、本来、支援も一人ひとりカスタマイズされて当然だろう。
これからの生活再建の施策を、福祉的スキームを基本とする『災害ケースマネージメント』(仙台方式→熊本市方式)に切り替え、被災者によりそう「人」を配置しよう。
一見、遠回りに見えるかも知れないが、結果的には、早く、低コストで、好ましい形で、暮らしが再建できる。仙台の例がそれを実証している。
その実現のために「被災者カルテ」を活用しよう。何もかも「罹災証明」だけで決めるスタイルから脱することが急務である。
<3> 誤らない(復興計画)
復興計画が進められている。阪神や東北の痛恨の失敗は、安全安心の名の下に進められた開発的な復興事業。結局は予算獲得が目的だった。主客転倒の憾みがある。
人口減少の時代背景に合わず、地域特性も考慮せず、何より住民が置き去りになってしまったのが最大の問題。
たとえば、現在、進められつつある益城町の道路4車線拡幅に問題はないか。少なくとも住民にとって唐突だったことは間違いないだろう。
「住民と徹底して語り合うこと」が最大の教訓だったはず。住民目線で復興計画を総点検することが必要である。
<4> つながりあう(情報と連携)
熊本地震では鹿瀬島正剛先生のFacebook発信など、様々なメディアで情報支援が行われ、功を奏した。
一方、情報交換をせずに行われたプッシュ型支援(=政府の初動)は弊害が目立った。
やはり大事なのは「つながり」だ。
みなし仮設の避難者は「見捨てられているのでは」と不安を感じていると語っていた。
SNS、電話、会合...あらゆる手段を総動員してつながり合おう。
そして、これからは他の被災地との連携がますます重要。過去の被災地は、ほろ苦い失敗の宝庫(アーカイブ)だから、ぜひ我が事として学び、利用して欲しい。
<5> 上手に使う(制度活用と制度改善)
熊本地震では被災ローン減免制度やADR、そして復興基金を活用した宅地復旧支援など新しい被災者支援の仕組みが生まれている。いずれもとても役に立つ。
しかし「制度を知らないのは、無いのと同じ」。
制度を知って、そして徹底的に使いこなそう。一人で無理なら専門家や支援者たちに助けてもらおう。
もちろん限界もある。それは制度が時代に追い付いていないだけのことだ。今の仮設や住宅補修の制度はもはや時代錯誤である。変えよう。
災害救助法、被災者生活再建支援法、激甚法など、熊本の被災地の苦しみが次に繰り返されぬよう、制度の改善を求めていこう。