2019年7月5日。記者会見を終えた後、こうすけさんに不安が押し寄せた。
明日、職場に行ったら、どんなことを言われるだろう――。
こうすけさんとパートナーのまさひろさんは、この会見で「結婚の自由をすべての人に」訴訟の原告になると発表した。
この裁判では、性的マイノリティの人々が「法律上の性別が同じ相手との結婚が認められないのは、憲法違反だ」として国を訴えており、先行して2019年2月に札幌・東京・名古屋・大阪の4地裁でスタートしていた。
こうすけさんとまさひろさんが顔を出してこの裁判に参加すると決めたのは、「結婚の権利を求めている人が九州にもいる」と伝えたいという思いからだ。
しかし、こうすけさんはそれまで、自分がゲイだということを限られた人にしか伝えていなかった。
「提訴の記者会見がカミングアウトになりました。翌日仕事だったのですがその日はもう眠れなくて。何か言われたらどうしよう、最悪辞めなきゃいけないかもと思いながら職場に行きました」
「逃げ場所はない」と追い込まれた子ども時代
こうすけさんが同性愛者であることを隠さねばならなかったのは、社会の差別的な眼差しに苦しんできたからだ。
小学生の頃に男の子が好きだと感じた時、テレビでは同性愛者を馬鹿にするような発言が放送され、クラスメートも「気持ち悪い」と嘲笑していた。
こうすけさんは自分もその対象にならないよう必死に隠していたが、それでも「お前、オカマなの」とからかわれることもあった。
家族もテレビを見て笑い、父には「お前はあんなふうになるなよ」と言われた。
こうすけさんは子供心に「隠して生きなければ自分も馬鹿にされる。逃げ場所はどこにもない」と覚悟した。
同じように、まさひろさんも小中学校時代は「バレたら笑いものにされる」と思い、興味がない女性アイドルを調べたり、好きな女の子のタイプを作り上げたりして、自己防衛した。
まさひろさんは高校時代、友人に「ゲイかも」と打ち明けたことがある。
その時に「気持ち悪い」と言われたのがショックで、それ以来ゲイであることを隠し人と距離を取って生きるようになった。
父が亡くなる直前まで、カミングアウトできなかった
そんなこうすけさんとまさひろさんが出会ったのは2017年夏前だ。すぐに惹かれあい、一緒に住み始めた。
この時、ふたりとも家族の中で母にだけカミングアウトしていた。こうすけさんは同性愛者に否定的な発言をしていた父には打ち明けにくく、まさひろさんも「昔ながらの古いタイプ」だと感じていた父には言いにくかった。
しかし、ある日ふたりでまさひろさんの実家に行くと、両親しかいないと思っていた家にきょうだいや親族が集まっており、全員がこうすけさんを温かく迎えてくれた。
後から、母が時間をかけて、父やきょうだいたちに話してくれていたことがわかった。
「アウティングになってしまうかもしれないことですが、母はゆっくり上手に伝えてくれていました」
まさひろさんの家族に受け入れられたふたりは、これまでにない安堵や幸福を感じていた。ところがそのすぐ直後に、こうすけさんの父ががんで余命宣告を受ける。
こうすけさんは死を目前にした父に、本当のことを伝えるべきかどうか迷った。
父を苦しめるかもしれないけれど、自分は幸せだと伝えたい。こうすけさんは迷った末にカミングアウトした。すると喋れない状態だった父はぎゅっと手を握ってくれた。
それから数日後に父は他界。こうすけさんは最後に伝えられてよかったと思う半面、わだかまりも感じた。
「もっと早く自分が幸せだって言えたら、父は安心できただろうな」
また父のがんは将来を考えるきっかけにもなった。
「もしどちらかが死んだら、ふたりの関係はどうなるんだろう?」
「将来のための備えをしたい」と思ったこうすけさんとまさひろさんは2018年に家を購入し、その夏に福岡市でパートナーシップ宣誓をした。
ただ、パートナーシップ制度で法的な家族になれるわけではない。
ふたりは長年連れ添った同性カップルの一人が亡くなった後、パートナーの葬儀への参加や財産相続を拒まれたことをニュースで知り、不安に駆られた。
カミングアウトになった記者会見
ちょうどその頃、全国で「結婚の自由をすべての人に」訴訟が始まることも知ったが、そこに九州は含まれていなかった。
東京や大阪などの大都市だけではなく、九州にだって当時者はいる――自分たちも訴訟を通じて声を伝えたいと感じた。
こうすけさんは「提訴したいけれどできない人たちはたくさんいるはず。僕たちはパートナーがいて、あとは結婚できるようになればいいという点でまだ少し余力がある。自分たちが動くことで、伝わるものもあるのではないかと思いました」と振り返る。
そして迎えた、2019年7月の記者会見。この会見がカミングアウトとなり、翌日不安な気持ちで職場に到着したこうすけさんを待っていたのは、同僚の温かい言葉だった。
「ポンと肩を叩かれて『見たよ』『応援してるからね』と言われて。他にも、僕たちのことを兄弟だと思っていた近所のおばあちゃんから『今はそういう時代だからね』と言われ、家の近くのコンビニの人も『いつも一緒に居るからなるほどと思ったよ、応援してます』と温かな言葉をかけてくれました」
提訴から2年後の2021年に、ふたりは披露宴を挙げた。この時、こうすけさんが学生時代の友人に「相手は同性のパートナーだけれど、結婚式に来てくれる?」とメッセージを送ると「知ってたよ。応援してたけど忙しそうだからどのタイミングで声をかけようかと思っていた」という返事があった。
「自分の中に高い壁を作っていたけれど、みんなが受け入れて、応援してくれるんだと感じました」
一方、まさひろさんの家族は「自分たちがふたりを家族だと認めているし、裁判はしなくてもいいんじゃない?」と裁判には否定的な立場だった。
しかし、裁判が始まるとその気持ちに次第に変化が生まれたという。
「あまり目立つようなことしなくていいんじゃないと言っていた父は、裁判が始まったら新聞をスクラップするようになりました」
さらに、2022年9月5日は、まさひろさんにとって忘れられない1日となった。父が裁判所に来て、法廷で尋問に立ったのだ。
この尋問でふたりはそれまで知らなかった父の気持ちを聞くことになる。
まさひろさんの父は、初めてこうすけさんに会った時に「すごくいい子だな」と思う半面、息子はいつかは別れて女性と付き合うんじゃないかとも思っていたという。
しかし、実家に遊びにくる姿を見るうちに、このふたりはこれから一緒に生きていくんだなと感じるようになった、と語った。
「父親の中にも葛藤があったんだということを知りました」
制度が変われば社会は変わる
こうすけさんとまさひろさんが原告となっている九州訴訟は、福岡と熊本在住の同性カップルが原告になっており、弁護団には複数の県の弁護士が参加し、傍聴も九州中から来てくれている。いわば九州一丸で闘っている訴訟だ。
先行した札幌、大阪、東京、名古屋の判決のうち、これまで3つの地裁で違憲判断が示された。
ふたりは九州でも良い判決が出れば、大都市だけではなく、九州の地方都市や農村、離島に住むLGBTQ当事者たちをも勇気づけられる、と考えている。
かつて誰にもカミングアウトできず、孤独を感じながら生きていたこうすけさんは、こう話す。
「まさひろさんが『気持ち悪い』と言われたり、私が『オカマかよ』と言われたりしたのは、そうさせている世の中や法律が悪いからで、制度が変われば社会は変わっていくと思います」
「九州でも良い判決が出たら、一人じゃないと伝えられる。自分を押し殺しながら生きている人たちがエンパワーされ、自分らしく社会に関わろうと思えるきっかけになるかもしれない。そうなれば社会が良くなっていくと思うし、そうなることを願っています」