5月1日に天皇陛下が即位されて、日本は令和という新しい元号に替わった。
同日に開かれた「即位後朝見の儀」で、陛下は「国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」と述べられた。
6月9日には、天皇皇后両陛下はご成婚26年を迎えられた。
雅子さまの夫として、愛子さまの父としての顔を持つ、天皇陛下。
陛下ご自身は幼少期、どんな風に育てられたのか。その幼き日々を、時事通信社の貴重なアーカイブ写真で辿ってみたい。
1960年2月23日、浩宮さま誕生
天皇陛下・徳仁(なるひと)さまは1960年2月23日、皇居・宮内庁病院で当時の皇太子・明仁(あきひと)親王と皇太子妃・美智子さまの間に誕生した。
幼少時の名前として与えられた「称号」は浩宮さま。称号は、古典から学者が選出し、天皇陛下が字を選出される。
1960年2月29日の朝日新聞夕刊によると、称号「浩宮」とお名前である「徳仁」は四書五経の「中庸」の第三十二章から、祖父・昭和天皇が命名された。
大空のように広くて偏りのない様子を示す「浩々たる天」から浩の字を、「聡明聖知にして天徳に達する者」から徳の字を取ったという。
浩宮さまの子育ては、父親の皇太子・明仁親王(現在の上皇陛下)、母親の美智子さま(上皇后)の手によるもの。
天皇家には、3歳で両親のもとを離れ、「傅育官」らに育てられる伝統的風習があったが、浩宮さまには乳母を付けずに家族で同居する生活を通された。
「ナルちゃん憲法」誕生秘話
浩宮さまが生後7カ月の頃、皇太子と美智子さまは、日米修好通商百周年の記念で、16日間の訪米旅行に出発。
美智子さまは、幼い浩宮さまを日本に残して旅立つことになり、侍従や女官たちに、子育てに関する細かな申し送りを書いたノートを託されたという。
このノートが、天皇陛下のお名前「徳仁(なるひと)」にちなんで「ナルちゃん憲法」と呼ばれることになった。当時、皇室の育児指南書として世間の話題をさらった。
「一日に一回くらいは、しっかりと抱いてあげてください。愛情を示すためです」
「ナルちゃん憲法」(光文社新書)には、こんな言葉が残されている。
美智子さまは、ご公務で忙しい時も、浩宮さまがさびしい思いをすることがないように、「あなたのことが大好きな人がたくさんいるのよ」というメッセージを、しっかり抱くことで表すようにお願いされたという。
「コップにすこしだけビンを注ぎ、『ナーイ』にしてちょうだいと言うと、一生懸命飲んで『ナーイ』と見せてくれます」
牛乳が苦手だった浩宮さま。食べ物の好き嫌いをなくすために、美智子さまが考えたのが「ナーイ」作戦であった。
「残さず飲みなさい」といった命令のかたちではなく、子どもの自主性を引き出す工夫が感じられる。「ナーイになったら、たくさんほめてあげてくださいね」とつづられた。
「ひとり遊びは続けさせてください。おとなは適当に動き回ってお仕事しているほうがいいようです」
まわりがお世話をしてしまい、その結果として自分中心に世界が回っているような子どもにはさせたくない、というのがお二人の方針。子どもが夢中になって遊んでいるときには邪魔しないことを鉄則とされた。
美智子さまが、書斎で書き物をしたりミシンをかけたりする傍らで、浩宮さまがひとり遊びをなさったそう。
「ちゃんとお聞きにならなきゃいけません」と叱ってやってくださいね。
お散歩の帰りに、疲れて「だっこ」をせがませても、玄関まで自分の足で歩いてもらうことを約束とされた。
7歳の時には、商店街の八百屋さんでフルーツを買われたこともある。自分でお金を払って商品を購入する貴重な経験をされている。
美智子さまは、3人の子どもに平等に愛を注がれた。
美智子さまが子育てのために書いた「ナルちゃん憲法」。そこには、子どもたちが小さいときから少しずつ自立心を育むためのヒントが詰まっていた。
<参考文献>
『ナルちゃん憲法』(松崎敏彌、2016年・光文社)
『浩宮さま 強く、たくましくとお育てした十年の記録 』(浜尾実、1992年・PHP研究所)