旅客船沈没事故で恥をさらした醜悪な韓国メディア

4月16日、メディアは一日中、旅客船沈没のニュースを伝えた。ひどいニュースだった。そして、そのニュースと同じくらいひどいのは、韓国メディアの現状だった。

4月16日、メディアは一日中、旅客船沈没のニュースを伝えた。ひどいニュースだった。そして、そのニュースと同じくらいひどいのは、韓国メディアの現状だった。

アメリカのケーブルテレビHBOの連続ドラマ「ニュースルーム」は、ニュース番組を制作する人々の話だ。有名なアンカー、ウィル・マガボーイ(ジェフ・ダニエルズ)を主人公に、テレビ局の報道部門の雰囲気をリアルに伝えるこのドラマは、最近のニュースを素材にエピソードを展開することで、生きた本物のニュースが生まれる現場にいるような気にさせる。そして、公正さに重点を置いたニュースの価値とは何なのか、自問自答している。

個人的にとても印象的だったのは、シーズン1のエピソード4の最後、アリゾナ州で起きた銃乱射事件の速報を伝えるために急いで情報を集める場面だ。この速報の焦点は、下院議員のガブリエル・ギフォーズが射殺されたという情報だが、ラジオは彼女の死を速報し、系列ケーブルテレビのニュースも、やはり彼女の死を速報で伝え始め、ウィルのニュースルームも動揺が走る。

しかし、ニュースルームのスタッフは、公式に確認されたときに備えるだけで、不正確な他のメディアに追随せず、状況を注視する。テレビ局代表の若い息子は、彼女の死をなぜ報じないのかと追及し始め、番組の最中にニュースルームに乱入してくる。そのときスタッフの1人が言う。「人の命でしょう。ニュースではなく、医師が決めるんです」。そして結局、誤報だったことが明らかになる。

ギフォーズは生きていて、手術の準備をしているという病院の情報を伝えたのだ。我慢して正確な情報を確認することで、ただ一つの真実を伝える機会を得たのだ。

韓国では疲弊する日々が続く。16日朝、海上でフェリーが沈没したという速報が流れた。午前10時ごろの政府の会見では、済州島に向かう旅客船に計477人の乗客が乗っており、修学旅行の高校生325人もいて、その客船が沈没したという、聞いただけで気分が落ち込む速報だった。

それでも不幸中の幸いと思った。生徒が全員救助されそうだという報道が相次ぎ、午前11時ごろには生徒がすべて救出されたというニュースが生徒の親に伝わった。しかしすぐに事実でないと報じられた。行方不明者数は発表ごとに変わり、乗客の数さえも不明確になった。政府が発表する行方不明者の数はゴムひものように伸び縮みした。それに応じてメディアの訂正報道が続いた。

最も深刻な状況は4時30分ごろ。救助者数を368人としていたメディアが、集計ミスで誤った情報を伝えていたとして、実際の救助者数は半数以下の164人と訂正した。多くの生徒が救助されるのではないかという希望を、津波のような絶望で押し流したこのニュースの後、日は暮れ、空よりも気持ちが先に真っ暗になった。

一線の記者の一人は、こんなにめちゃくちゃな政府統計は初めてだと不満を吐露した。しかし、果たして政府の統計だけが問題だったのか。午前10時前後に始まった各メディアの速報レースもめちゃくちゃだった。

インターネットとテレビ・ラジオ、公共放送とケーブルテレビはどれも、惨事から得たすべての情報を先を争って「速報」の名で配信した。政府が発表すれば受け売りした。誰も疑う余地がなかった。知りたいという意志より、知ってもらおうという意志が勝った。

正確な情報より迅速なニュースが重要だった。記者ではなく、速記者だけが存在しているようだった。メディアの現状がはっきり分かった。事故現場の珍島は、ポータルサイトを舞台にしたメディアの速報の戦場となった。数多くの茶番が、メディアの記事という美名の下に掲載され始めた。

「タイタニック、ポセイドン...船舶事故を扱った映画は?」という、信じられない見出しを掲げた「イートゥデイ」の記事は午後2時40分ごろ掲載された。非難が殺到しようとどうでもいい。炎上させてトラフィックを稼ごうとする下心が見え見えの記事だった。

そして15分後、この媒体は「SKT、緊急救援物資を提供、一時的に携帯電話基地局を増設『よくできた~よくできた~』」という醜い見出しを掲げ、媒体の正体を赤裸々に知らしめた。現在、記事は削除された状態だ。

一方、複数のインターネットメディアは、客船の保険加入状況に注目する記事を送稿し始めた。朝鮮ドットコムは「セウォル号の保険は、生徒が東部火災保険、客船はメリッツ船舶保険に加入」との見出しで記事を配信した。このネット記事に刺激されたのか、公営放送MBCは、保険の条件に応じてどのような補償を受けられるのか、詳細な分析を放送した。保険会社の陰謀説が提起されてもおかしくない茶番劇だった。

一方、同じ日にケーブルテレビの報道専門チャンネルJTBCの「ニュース9」は、アンカーのソン・ソッキ氏の長い謝罪でニュース番組を始めた。

「今日(16日)、昼の旅客船沈没事故の速報をお伝えするとき、私たちのアンカーが救助された女子生徒に質問した内容が、多くの視聴者からお叱りを受けました。どのような言い訳も必要ありません。私が学んできたことを、先輩として、責任者として後輩アンカーに十分に教えなかった私の責任が最も重大です。深くお詫び申し上げます」

ソン・ソッキの謝罪は、暗闇で覆われたメディアの終盤戦に差した一筋の光のように感じられた。公正な報道も重要だが、自分たちが何を間違ったのか認めて謝罪するのもメディアの役割だ。「ニュース9」は、ソン・ソッキは、少なくともその座を守った。

「メディアの座を取り戻すんだ。メディアを再び名誉ある職業にするんだ。偉大な国にふさわしい討論の場を生み出す情報を提供する、夕方のニュース番組を制作し、礼儀を知り、尊重することを知る、本当に重要な本質に回帰すること。下品なものは捨てて、ゴシップやのぞき見もやめて、愚かな大衆に真実を伝えること。人が好きそうな話はしない。そうすればメディアが、みんなの求心力になる」

ドラマ「ニュースルーム」で登場するセリフだ。皮肉なことだ。今日の韓国のメディアは、これを違う方法で実践した。メディアは真実を伝えようという意志よりも、醜悪な意図がまず目についた。無分別な言葉によって、傷ついた人々はさらに踏みにじられる。聞きたくて知りたいニュースは限りないのに、知る必要のない、ともすれば知ってはならないニュースばかりが耳元に放り出される。

悲劇は一種のショーとなり、秒単位で販売され廃棄される。まるですべてのメディアが一致協力しているかのようだ。恥を知らないからだ。16日にほとんどのメディアが見せた策略は、ネット通販やテレビの通販番組で情報を売るのと変わらなかった。

取材相手への、読者への礼儀もない。とにかく何でも叩き売れという商売人の欲望の波が珍島を襲った。ソーシャルメディアでは、記者ではなく「記ゴミ」という嘲笑が流行した。韓国メディアの現状を圧縮する嘲笑だ。まるでネット通販、テレビショッピングになったような、文章と言葉の堕落を表す比喩だ。

ジョージ・クルーニー監督の映画「グッドナイト・アンド・グッドラック」は、アメリカCBS放送で時事番組の司会を務めたエドワード・マーロウを描いた映画だ。彼は1940年代のアメリカに吹き荒れたマッカーシズム(赤狩り)の嵐の中で、最後まで真実の声をあきらめず、むしろ粘り強く、ジョセフ・マッカーシーの正体を暴くのに大きく貢献した。マーロウは言った。

「テレビは私達を教育できる。啓発し、インスピレーションを与えることもできる。しかしそのためには、私たちがその目的のために使わなければならない。そうしなければ、テレビはブラウン管に過ぎない」

メディアが真実を追求しなければならないのは、常に自明のことだ。しかし、真実を追求するにはそれなりの覚悟と実力が必要だ。緻密な企画で真実に近づくことは、単純な正義心だけではできないからだ。今日の社会の人々は、スマートフォンで膨大な情報を共有し、世界のあちこちを見ている。その情報を取捨選択するのは自分の力量だが、読者は知っている。知ることができる。あるいは知らなければいけない。

ゴシップを生産するのはメディアではない。よく私たちが「知る権利」と言う、個々人の生活に大きな影響を与える情報を伝えるのがジャーナリズムでありメディアである。最も重要なのは、そのメディアがまともに機能しているかという問題だ。その次に重要なのは、果たして私たちに情報を分別する力があるかという問題だ。信念あるメディアの登場と同じくらい重要なのは、信念を守れる大衆そのものかもしれない。

エドワード・マーロウは言った。

「他人を説得するためには、信念を与えなければならず、信念を与えるためには、信頼を与えなければならない。信頼を与えるためには、正直でなければならない」

メディアと大衆がお互いを信頼できれば理想的だ。信頼できるメディアと、これを支持する大衆がともに行動する社会は、よりよい価値へ向けて踏み出すことができる。そして私たちはよりよい価値を見いだすことができる。見いだすべきだ。

今も珍島ではニュースが報じられている。私たちは希望を捨ててはならない。メディアは、その希望を売り飛ばす露店に転落してはならない。だからどうか今日も「最善を尽くすことを約束して」ほしい。売りやすいゴシップではなく、誰もが必要な真実のために。是非、殻を破ってほしい。

何よりも、渇きをいやすニュースを切に願う。祈る。

そして故人の冥福を祈る。

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