朝鮮半島における伝統復活のための南北対話の構築

これからは固定観念から脱して新しい思考をしよう。
Historic architecture in the courtyard of the Westin in Seoul
Historic architecture in the courtyard of the Westin in Seoul
SpaceTaco Images via Getty Images

ほとんどの人は、南北間のイデオロギー的分裂が大きすぎるため、政治イデオロギーや統治方式についての議論は、分裂を助長することがあるとして、意図的にこれを避けるべきだと考えてきた。代わりに、貿易と投資のような中立的な問題に焦点を当てる必要があると考えている。

しかし、これはかなり時代遅れな仮説である。貿易と投資は中立的な問題ではなく、それによって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のすべての階層の人々が金日成の遺産に幻滅を感じ、一方では、一般的に普及している中国とベトナムの高成長モデルについても懐疑的だという証拠にあふれているからである。

韓国人たちは、過去50年間、韓国をリードしてきた輸出志向の高成長と消費中心の経済体制が持つ重大な限界とリスクを認識するようになった。非武装地帯(DMZ)を跨いだ両側の多くの人々が代替案を作成するために苦心している。

これからは固定観念から脱して新しい思考をしよう。

おそらく、政治哲学、政治、経済の根本的な問題について、南北の学者や高級官僚の真剣な議論はイデオロギー的対立の源泉ではなく、大きな歴史的意義を持つ創造的で感動的な瞬間になるかもしれない。

キム・ジョンウン委員長とムン・ジェイン大統領が南北首脳会談の開会式で一緒に歩いている間、その後に朝鮮時代の黄色のユニフォームを着て列をなして立っていた軍人たちに注目が集まったことを覚えているか? その場面は決して偶然ではなく、軍隊の単なる装飾でもなかった。むしろ、その瞬間は、過去の伝統に耳を傾けることが分断を助長するイデオロギーコードを超える手段として使用できることを示唆するものであった。

南北間の協力においての障害の一つは、用語や概念が暗示している意味についてである。このような観点から過去を振り返って見ることは現代社会からの反動的な後退ではなく、むしろイデオロギー的問題を解決する機会を提供する創造的な解決策と見るべきである。例えば、韓国で一般的に使用されるイデオロギー的用語である「自由」は、北朝鮮で使用される用語「共産」と和合するのは難しい。ある文化圏では、個人の競争力を成功のための必須要因としてみなしているが、他の社会では、集団の協力を究極的な最高価値とみなす。しかし、私たちは昔からの伝統的用語「弘益」を使用する場合は、過去60年間の偏狭なイデオロギー的分裂による制限を受けない社会的コンセンサスを構築することができる独創的な空間を創造することができる。

同様に、韓国の「国会」を北朝鮮の「労働党」と調和させることは機能的に難しい。両機関は、根本的に異なる仮定の下で運営されている。私たちは、いずれかの側を押し出して、これを完全に排除する代わりに、朝鮮時代の最高行政機関であった「議政府」の利点を考慮して、500年間続いた非常に強固な制度を再解釈して、21世紀の難題を解決しようと努力するとき、将来のための青写真として活用することができる。

昔の朝鮮半島におけるベストプラクティスを創造的に見直すことは、古代ギリシャの統治概念を再解釈し、現代に合わせて作るために、18世紀のアメリカで推進されたプロジェクトと類似している。 1787年に開かれた憲法制定会議に代表される米国のこのようなプロセスは、世界中の責任ある政治のために、複数の世代に渡って行われた活動に大きなインスピレーションを与えた新しい普遍的概念である民主主義のお膳立てとなった。少数の参加者が政府の根本的な革新に関する過去のベストプラクティスを見つけるために道徳的に専念したため、そのプロジェクトは成功した。

しかし、アレクサンダー・ハミルトンとトーマス・ジェファーソンが、米国憲法草案を作成する過程で注目したのは、15世紀と16世紀のヨーロッパのルネサンスであった。イタリアとフランスのルネサンスの思想家たちは、古代ギリシャやローマのベストプラクティスに着目し、彼らが発見したことを再解釈して瀕死状態に陥った文明に活力を注入するための手段として活用した。彼らは過去の文化から変革の力を発見して新しい地平に進んだ。彼らにとって過去を振り返ることは郷愁ではなく、むしろ革新のための機会であった。

類似の文化的ルネッサンスの事例は、韓国の伝統においても見つけることができる。

今日の韓国政治で議論されている政治改革は、非常に狭義の概念で、ほとんど1960年代以降から現在までの韓国政治にその対象を限定している。ほとんどの韓国人は朝鮮正祖時代の18世紀後半又はそれ以前から多様な方式で改革と近代化の過程が開始されたという事実を知らない。

残念ながら韓国人は、西洋式の経済と制度改革が始まった20世紀以前までは朝鮮半島が絶望的なほど遅れていたという日帝植民地時代に確立された神話に多くの場合取り憑かれている。朝鮮半島における政治的発展のそのような限定的な例を見ることによって、私たちは過去に発見された、制度的、経済的難題に対しての創造的対応の可能性を過小評価している。この問題は、南北の両方で同じように見いだすことができる。

何をすべきか?

朝鮮半島における歴代各王朝の制度史、習慣、価値および技術を共同で研究し、過去において得られたそのような宝物を、現代社会のニーズに合うように調整可能な、南北の学者や芸術家、作家および思想家で構成されるグループを結成しなければならない。その過程を通じて、朝鮮半島における哲学、芸術、文学、建築、文化の再発見の機会を得ることにより、不満を持つ南北の人々に政府の新しい可能性と、共通の過去に基づいた新しい共通言語を作る機会を提供することができる。

この南北のプロジェクトには、学者だけではなく、多様な視点から朝鮮半島の過去を通して潜在力を発見することができるビジョンと誠実さを兼ね備えた政府官僚、政治家、芸術家、哲学者、企業、NGO活動家などが参加しなければならない。そのグループ内において、南北の人たちを一緒に集めることで共通点を発見し、朝鮮半島の潜在力を探索することができる、より多くの機会を得ることができる。

朝鮮半島の伝統は古朝鮮、百済、新羅、高句麗、渤海、高麗、朝鮮の各王朝ごとに、大きな多様性を持っている。

この南北の委員会が、一連の会議を通して共同で探求することができるいくつかの主要テーマがある。委員会は、文化的ルネッサンスを開始する共通の根拠を見つけるための手段となることに非常に適している。

統治方式

各王朝は中央および地方政府をどのように運営し、中央政府と地方政府との間の関係はどうであったのか? 利害の対立と腐敗を防止し、行政府内の能力中心主義を確立し、有能で倫理的な人々を政府に登用して維持するために、各王朝はどのような解決策を提示したのか? 透明性を奨励して党争を防ぐ方法は何であったのか? 各王朝の政府権力の限界は何であり、権力乱用や富の集中を防ぐためにどのようなメカニズムを開発したのか?

統一、外交と安全保障

韓国人たちが統一について考えるたびに、常にドイツをモデルに考えるが、新羅の三国統一や高麗の後三国統一のように、私たちがやるべきことと、やるべきではないこと、また効果的に長期的な統合を実現し、新しい制度を構築することに対してのヒントを提供する、過去の朝鮮半島統一の事例がある。

同様に、各王朝の新しい過程を計画する際に推進した様々な外交と安全保障政策があり、これは南北の人たちに非常に貴重な価値があるかもしれない。新羅の外交の天才である崔致遠や、朝鮮の天才武将、李舜臣の事例は、私たちに多くの教えを与えている。私たちに必要なのは、彼らの言葉を新しいコンテキストに翻訳して行動に移すことである。

経済

各王朝の政府は長期的な経済発展をどの程度まで調節することができたのか、各王朝で利用した市場経済はどのような面で成功であったのか?

各王朝で「経済」の領域はどのように定義されて、そのような過去の経済的なアプローチを通じて、私たちは過酷な社会主義と無謀な消費志向的市場経済を超えた「第3の道」を見つけることができるだろうか? 以前の王朝では長期的な経済プロジェクトをどのように考えて議論、実行してきたのか? 効果があったものと効果がなかったものはどのようなものか?

現在の南北の政府は、長期計画設立と長期政策実行能力を大きく失っているので、新しいモデルを見つけることが切実である。

また、委員会は、各王朝がどのように競争への執着を越えて経済の共同アプローチを多様に提供してきたかを探求することができる。私たちは、伝統的なアプローチを通じて、株式、債券、およびデリバティブではない、人々に関する情報を提供することで経済を再生させることができるモデルを見つけることができる。

各王朝毎にどのような経済改革を実行し、どのような要因で改革が成功したのか、または失敗したのか? 各王朝は社会的不平等と誇示的消費が増加する危険な傾向をどのように扱ったのか?

持続可能性

持続可能性は、南北双方が解決できなかった朝鮮半島に襲いかかった危機状況である。私たちは、それぞれの王朝が倹約、環境の保護、そして倫理的かつ文化的に豊かでありながらも、民のために控えめで持続可能な文化をどのように奨励したのかを自問するべきです。持続可能な農法を奨励する効果的な農業政策は何であり、これを今日、持続可能な経済を再発見しようとする韓国の努力とどのように関連付けることができるのだろうか?

リサイクルを推奨して耐久力のある製品を製造し、分解されないごみの生産を避ける方法は何か? そのような習慣と価値を、現在のこの時代にどのように再導入するのか?

以前の王朝の有機農法と灌漑政策が、私たちには大きな価値があるかもしれない。これまで南北で行われた、過去の知恵を無視して強行した浅はかな開発により、深刻に破損した土壌や川を復元する必要がある。現代科学の洞察力を通じた伝統農法の復元は、カーボンニュートラルの時代を確立する最速の方法である。地域営農を奨励し、農業部門で新たな雇用を提供する持続可能なコミュニティを作る方法を、私たちは過去から学ぶことができる。過去には、人間の排泄物をきれいな水と混ぜて海に流さずに天然の肥料として使用することにより、輸入人工肥料への依存から脱することができた。北朝鮮は、土壌を復元し、森林を再造成するための強力なアプローチを見つけることができる。

このような朝鮮半島における持続可能な伝統を復活させることは、農業での石油依存と輸入食品の危険依存から抜け出す最速の方法である。各王朝が提供する持続可能な都市計画、建築、インフラストラクチャに対するわずかに異なるモデルは非常に貴重である。

おそらくこの委員会は、日本の伝統的な持続可能な慣行に関するアズ・ブラウンの著書「Just Enough:in Living Green from Traditional Japan」と類似のコリアンコミュニティのベストプラクティスを記述することになるであろう。

教育

韓国は数千年間受け継がれてき私立学校(書院)と官立学校(郷校)の形態で豊富な教育と学問の伝統を持っている。過去の学校は、新しい教育モデルを提供することができる。伝統教育で強調された教師と生徒との間の長期的関係は、私たちに新しい道を提示する。伝統教育で教えてきた倫理と社会的責任へのコミットメントは、現在韓国の商業化された教育システムと北朝鮮の硬直化した教育システムを超える手段となることができる。

現代の問題に対する新たな創造的アプローチを提示する手段として、政府、経済、人間関係に関連する過去の事例を調査することは、伝統的な儒教教育の中核であり、今日の教育により適した新しいアプローチになるかもしれない。

儒教教育は男性を対象にしたものだが、私たちはその伝統を変え、女性にも適用することができる。また儒教、道教、仏教の教えに対するアプローチを通して、私たちは競争に過度に執着することから脱して新たな協力文化に進むことができる。

家庭

過去の人たちが持っていた価値観が常により良いと主張することは間違っているかもしれないが、高い自殺率、広範なうつ病、今日の家庭内に深刻な問題があることを知る意欲の欠如が韓国の活力を蝕んでいることだけでも見る必要はある。伝統的に集中してきた家族関係から離れること、他者への真の関心から離れていくことは、私たちの社会を深刻に傷つけた。この問題は、南北すべて同じである。儒教、仏教と道教の伝統の家族の習慣と価値の検討を通して、私たちはどのように家族との間の密接な関係を確立し、協力と相互支援を奨励するのかについてのモデルを得ることができる。

精神的な生活と意味のある経験

私たちは、仏教、道教と儒教を介して生活の経験をさらに深く意味のあるようにする多くの方法を学ぶことができる。私たちは、どのように心の平安を見つけるかと、薄っぺらで不毛な消費文化を超えることができるのかについて自問すべきだ。朝鮮半島の精神的な伝統は、世界中のすべてのスターバックスとイケアより朝鮮半島の未来にとっては遥かに重要である。

自然との交感(風水)、先祖に対する意識と尊重(親孝行)、仏教の注意深い瞑想、儒教朱子学の倫理とに悟りを組み合わせた朝鮮半島の伝統は、知的でない現代社会に絶対に必要な代替手段を提供する。

何よりも、そのような過去の哲学の伝統を受け入れることによって、近代韓国人の首を締めている目に見える物質的豊かさの強迫観念から脱し、自由になることができる。朝鮮半島の伝統文化は本質的な真理を強調している。最高の価値観、誠実さ、思いやりと敬意、私たちの生活のそのような側面は、目に見えず、計り知れないものである。過去の人々は、彼らの置かれた状況において物質的な側面が最も重要ではなかったので、素朴な部屋に満足げに座ることができた。

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