小泉進次郎とは何者か 『小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉』著者インタビュー--フォーサイト編集部

「集客力」すなわち「集票力」という意味で侮れない存在であるだけに、その挙動には安倍陣営も注意を払ってきたという。

 いよいよ月20日に迫った自民党総裁の投開票。だが、安倍晋三総理の3選は確実と見られ、むしろ「次の総理候補」に注目が集まっている。1981年生まれの37歳。言わずと知れた政界サラブレッド、小泉進次郎代議士である。

 彼が彗星のごとく現れたのは、自民党に逆風が吹き荒れていた2009年。父・小泉純一郎元総理の後を継いで出馬し、初当選を果たした。以来、当選を重ねること4回。自民党青年局長や復興大臣政務官、党農水部会長や筆頭副幹事長を経験し、圧倒的な知名度の高さを誇る。

「集客力」すなわち「集票力」という意味で侮れない存在であるだけに、その挙動には安倍陣営も注意を払ってきたという。

 これまで「一強独裁」の様相を呈する安倍政権に批判的な発言も多く、政策的には石破茂元幹事長と波長が合うと見られている。そして実際、無投票だった前回は別にして、前々回は石破氏に投票した。が、今回の総裁選で最後まで両候補に対して支持も批判も封印。日頃の言動の小気味よさからして、あえての沈黙に疑問と批判の声が少なくない。

 その若き総理候補の実像に迫ったのが、フジテレビ解説委員・鈴木款氏の近著『小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉』(扶桑社)。政界入りする前の学生時代から進次郎氏と親交があり、彼を最もよく知るジャーナリストと言われる鈴木氏に聞いた。

――進次郎氏に初めて会った時の印象は?

 彼と初めて会ったのは、私がニューヨーク支局へ赴任して間もない2005年のこと。当時、彼はコロンビア大学付属の英語学校を終え、同大大学院で国際政治学の修士課程をスタートしたばかりでした。たまたま知人から紹介されたのです。

 すらっとしているお父さんやお兄さん(俳優の小泉孝太郎)と違い、「がっしりしているな」というのが第一印象でした。話をしてみると利発で、礼儀正しいんだなと思ったのを覚えています。

 それからたまに食事をするようになったのですが、世間話をするくらいで政治の話はしなかった。当時はまだ小泉政権時代だったので、あえて触れないようにしていたのです。ところがある日、彼の口から驚きの発言が飛び出しました。 

 その年の冬、私と進次郎さん、そしてコロンビア大学大学院のリチャード・パッカード教授の3人で食事をしました。あれは忘れもしない、マンハッタンで流行っていた「ヤキトリ WEST」という焼き鳥居酒屋です。私たちは奥まった4人掛けのテーブル席についていました。

 すると突然、パッカード教授が、「お父さんの後を継いで出馬するんだよね?」と聞くわけです。私は内心、「え、それを今ここで聞くの?」と思いつつ、どうせ言わないだろうと高をくくっていたら、彼は少し考えてから、英語で「出馬します」と。

 当時はまだ彼が後を継ぐかどうか公になっておらず、出馬宣言をしたとなればビッグニュース。でも、ICレコーダーもデジタルカメラも持ち合わせていない。当時はまだスマホもありませんから。本社に報告するにも、証拠となるようなものが何1つない。自分は決定的な瞬間を逃している。そう思ったら、頭が真っ白になりました。

 次に記憶があるのは、翌日、パッカード教授からメールが来て、「私たちは、マンハッタンの夜空に巨星が上がったのを見た証人ですね」と書いてあったこと。それを見てまた傷ついた(苦笑)。

 結局、このエピソードは本社には報告できず仕舞いで、ようやく今回、本書で日の目を見ました。

――後を継ぐのは、お父さんの意向だったのでしょうか。

 彼は基本的に何でも自分で決めるので、お父さんに言われて継いだというより、自分の意志だったのでしょう。お兄さんは役者の道に進んでいたので、後継者は自分しかいないということも分かっていたと思います。それに、彼には若い頃から国や社会に貢献したいという気持ちがあった。そこに自分の置かれた環境という要因が加わり、自然と選択肢の一番上に政治家が浮上したのだと思います。

 ですから、政治家になることに迷いはなかったと思いますが、一番悪いタイミングで選挙に出たことは間違いありません。

 彼は大学卒業後に渡米し、コロンビア大学の英語学校と大学院に1年ずつ通い、ワシントンのシンクタンク「CSIS(戦略国際問題研究所)」でも1年間、研究員を務めました。そして2007年に帰国してお父さんの秘書となり、2009年の政権交代選挙に出馬した。

 自民党の新人が4人しか当選しなかったほど厳しい選挙でした。しかも世襲批判が凄まじく、演説中に足を踏まれたりペットボトルまで投げつけられたと、彼は今でもよく言います。そして散々、「世襲だ、世襲だ」と批判していたメディアが、当選した途端に手の平を返すように持ち上げ始めたことも冷めた目で見ている。

 もちろん「小泉進次郎」というビッグスターをつくり上げたのはメディアだし、それは彼自身も分かっている。でも、メディアとは一線を引いて冷めた目で見ている。持ち上げられている時は叩き落とされる前触れだと思っているのです。

 実際彼はいま「総理にしたい人」のナンバー1と評されますが、全く浮かれていない。

――本書を執筆したきっかけは?

 昨年10月の衆院選です。新潟1区(自民党の現職・石崎徹候補が勝利)の応援に入った彼を取材したら、田舎のショッピングモールに若者からおじいちゃんおばあちゃんまで1000人を超える聴衆が集まった。もの凄い集客力だなと思っていたら、演説もまた頗るうまい。

 それでフジテレビのニュースサイト『ホウドウキョク』に、「小泉進次郎氏のスピーチ力の理由は?」という記事を書いたところ、扶桑社の方から本にしないかというお話をいただいた。

 本人の単独インタビューを載せられなかったのが残念ですが、彼が農林部会長時代に公開できなかった秘蔵の資料を本書で初公開できた。これは貴重だと思います。

 この資料は、「2050年の農業」を人口の推移や気候変動、技術革新といった様々なファクターから予想する「農業の未来図」です。彼と農水省の若手官僚からなる「チーム小泉」でつくりあげたものですが、農林部会が農協(JA)改革を巡ってあまりにも炎上したため、お蔵入りになってしまった。

「チーム小泉」というのは、彼とディスカッションをするために省内から集められた15人ほどの若手官僚で、毎週末、朝8時に議員会館に集合し、農業の未来や農業改革について議論をしていた。

 本書には、彼らの座談会も収録し、当時の「部会長」の姿を語ってもらっています。

――進次郎氏を本格的に取材するようになったのも、彼が農水部会長に就任した時ですね。

 彼は2015年10月に農林部会長に就任しました。2013年からその直前まで務めていた復興大臣政務官は、自ら志願した思い入れの強いポストでしたが、農林部会長への抜擢は本人も驚きだったと思います。

 TPPが参加国間で大筋合意に至ったのを受け、人気者の彼に農業従事者の反発を抑えてもらいたいという安倍政権の思惑があったのでしょうが、彼は農業分野での経験がほとんどありませんでした。何しろ初部会で「今までこの農林部会で農政のためにご努力されてきた誰よりも農林の世界に詳しくない」と言ったくらいです。

 ところが彼は「農業改革」、それも「JA(農協)改革」に乗り出した。資材や流通コストを抑え、農家の競争力を高めるため、JAの流通を牛耳る「JA全農」(全国農業協同組合連合会)の改革を打ち出したわけです。その一環で、彼が「農家にほとんど貸し出しを行わない農林中金(農林中央金庫)はなくてもいい」と発言したことがあり、私の取材魂に火が付いた。

 実は私は以前、農林中金に勤めていたのです。大学卒業後、農林中金に入り、国際部門の為替ディーラーとしてニューヨークの貿易センタービルで働いていました。

 ところが帰国する直前、湾岸戦争が起き、各国のメディアがイラクの首都バグダッドから次々に退去する中、CNNのジャーナリストだったバーナード・ショーだけが1人残り、現地から報道する姿を見て、これからはテレビジャーナリズムの時代だと思った。それでフジテレビへ転職したのです。

 その経験から、農林中金の役目は農家へ貸し出すことではなく、JAから預かったお金を運用して利益を還元することだと理解していたので、彼の発言に「それは違う」と思った。

 以来、彼を取材するようになったのですが、ある時、ぶら下がりで反論したら、「もっと取材してください」と言われたのです。彼らしいでしょ。でも、その時は「この!」と思いましたよ(笑)。

 農協改革はある程度の方向性が出て、徐々に進んでいますが、一番大きかったのは、改革をしなければ生き残れないという意識がJAや農水省の中に広がったことだと思います。

――進次郎氏は今回の総裁選でどう動いているのでしょうか。

 数カ月前、周辺に取材をしたところ、彼は安倍総理に対して怒っていたそうです。安倍総理に対して誰も文句を言わない党内の「安倍一強」体制にも然りです。石破さんと自分しか声を挙げず、しかも真正面から声をあげているのに、「『後ろから鉄砲を撃つ』と言われる」と。

 なので彼らは、「(進次郎氏は)絶対に石破支持だよね」と言っていた。しかも、早い段階で支持を表明し、各地を遊説するだろうと踏んでいた。

 でも今、彼らと話してみると、「なんだこれ......」という感じもあります。

 彼は3年後、あるいは6年後を見ているのだと思います。そこから逆算すると、彼の取るべき行動は2つしかない。1つは閣僚ポストを経験すること。もう1つは自分の派閥を立ち上げることです。それをこれから3年、あるいは6年かけてやっていく。

 最近の発言を聞いていると、教育関係のものが多いので、個人的には、進次郎さんのように若者を盛り立ててくれる政治家にこそ、文部科学大臣をやって欲しい。これからの日本は若者次第ですから。

――彼の欠点は?

 今年7月、「参院6増」(参院の定数を6増する公職選挙法改正案)の採決では賛成票を投じ、批判を浴びました。彼が目指す国会改革にも逆行するような内容だったわけですが、「国会を変えなきゃいけないとの思いを込めた賛成だ」という苦しい言い訳をしていた。あれは厳しかった......。

 あとは独身ということですかね。政治の世界では、やはり結婚をして家庭を持っている人の方が信頼度が高いですからね。彼ももう37歳。しかし彼のお嫁さんになるのは、いろいろな意味でかなり大変だと思いますね。

――期待することは?

 彼は政治とテクノロジーを融合させた「ポリテック」を提唱していますが、これからの政治にはやはり政策にテクノロジーやITを盛り込んで行って欲しい。デジタル格差は政治の世界にもある。デジタルネイティブの人とそうでない人とでは発想が全く違う。そういう新しい発想を政治の世界にも生かして欲しい。

 私は自民党の若い世代に期待しています。「魔の3回生」と言われますが、一方でとても優秀な人たちもたくさんいる。本書ではそういった人たちも紹介しています。

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(2018年9月19日
より転載)

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