気候危機や資本主義の問題点に対して、最先端のマルクス研究をもとに切り込んだ「人新世の『資本論』」(集英社新書)が16万部を突破した。
筆者は、大阪市立大学大学院准教授の斎藤幸平さんだ。独創的なマルクス研究に与えられる「ドイッチャー記念賞」を日本人で初めて受賞した。
資本主義の発展で、ワンクリックで何でも買えるようになった現代社会。そんな世界を生きる私たちは「無力な消費者だ」という。
斎藤さんは資本主義が嫌いなのか?なぜ批判するのか?インタビューをした。
「社会を変える」のイメージが浮かびにくい
ーーインタビューの前編では、気候危機を防ぐために、資本主義システムそのものを変える必要性についてお話されました。そんなことが出来るのでしょうか。
日本で「社会を変える」と言うとき、選挙に出て、議会で過半数を取ってリーダーを選び、法律を変えていく、というイメージが浮かびますよね。
ほかに何か思いつきますか?
ほかのイメージは浮かばないかもしれませんね。もしそうだとしたら、それは日本では、社会変革の成功例が少ないからです。
社会運動は非効率なものなのか?
ヨーロッパでは、選挙以外でも、政治や企業にプレッシャーをかけていく運動が強く展開されています。
たとえば、フランスやイギリスでは、社会運動が強く求めた結果、くじ引きで市民から議員を選ぶ「市民議会」(※無作為抽出された市民が科学技術や地方政治のあり方などを議論する動きが広がっている)が、気候変動の対策を議論するために導入されました。
社会運動は非効率なものに思えますが、だからといって、社会運動を面倒なもの、意味のないものとしてしまうと、普通の人々が社会の意思決定に参与する余地はどんどん狭まっていきます。
生活に必要なもので、自分で作れるものは無い
実際、今の日本は、みんなが無力で、受動的な消費者になっている。24時間、ワンクリックでなんでも届く社会になっていますが、逆に言うと、クリックしてお金を払うという行為を抜きにすると、僕たちは何もできない無力な存在に成り果てています。
生活に必要なもののうち、自分の手で作ることのできるものって、ほんどないじゃないですか。
ワンクリックで購入するのが当たり前になればなるほど、私たちはますます商品や貨幣の力に依存するようになっています。
「ワンクリックの買い物」って便利?
ーーでも「ワンクリック」で済む社会の方が便利です。何かをするとき、わざわざグループをつくって、誰かに頭を下げたり、根回しをしたりするよりラクです。
けれども、楽だからといって、市場にすべてを任せてしまうことは危険です。お金がなければ、どれだけ必要なものであっても手に入らなくなるし、また、企業は儲からなければ、地域に不可欠な財やサービスの提供を突然止めてしまうかもしれない。
あるいは、儲けのために環境破壊や労働者の使い捨ても行われてきました。そうした理不尽さに対して、無力な個人は抵抗することができません。
しかも、こうした経済格差やコミュニティの破壊は、すべて資本主義経済に内在的な特徴です。
だから、マルクスは、共通の目的のために、人と人が自発的に結び付くこと、つまり「アソシエート」して、社会の富を共同管理することの大切さを説きました。
地球から贈与された富。それを「コモンとして共同管理していこう」
僕たちは地球から様々な「富」を贈与されています。水、森林、地下資源、そうしたものを「コモン」として共同で管理していこう、と「人新世の『資本論』」では書きました。
個人所有の概念は否定しませんが、それとはべつに、教育、医療、電力など「みんなで管理すべきもの」は世の中にはたくさんあります。
ただ、コモンの管理は「ワンクリック」ではすまないし、時間もかかる。
でも、自分たちで決めて、運営するという経験が、社会に積極的に参加しながら、民主的に協同する市民の力を育んでいきます。
「便利で何でも揃う」けれど、資本の奴隷や家畜でいたいのか、富を資本の独占から取り戻し、コモンの自治によって、民主主義を取り戻したいのか。そういう二択だと思います。
働き過ぎだから、コミットメントが面倒になる
——コモンを管理するのは「面倒」そうです。
コミットメントが「面倒だ」と思うのは、ほとんどの人たちが、働き過ぎであり、忙しすぎるからです。
自治をやっている余裕がない。情報を集めたり、議論したりする時間も気力もないのです。
ドイツに住んでいたとき「良いな」と思ったのは、日曜日に店が閉まっていることです(※斎藤さんはドイツやアメリカで研究生活を送った)。その分、仲間と集まって議論をしたり、自分たちで遊びを考えたりするようになります。
そうした仲間とのコミュニティが、「コモン」を管理したり、デモをしたり、ある種の社会を自分たちで作っていく第一歩になります。
——そもそも、なぜ「コミュニティ」が失われたのですか。
資本主義が共同体の縁を徹底的に断ち切ったからです。
何が残ったか。商品を媒介とした貨幣のやり取りのみです。
たとえばウーバーで弁当を運んできた人に1000円を渡すと、「あなたとお店は1000円分の働きをしたから、1000円をあげます」という関係だけで終わり、あとは「さようなら」です。
でも、人間の社会は、本来はそう動いてないはずです。僕は自分の子どもの面倒を見ていますが、対価を求めない。友達の引っ越しを手伝ったり、本をすすめたり。お金を介さない関係はたくさんあるのです。
水⇒ペットボトル。なんでもかんでも商品に
ところが、資本主義のもと、自然を含めたあらゆるものが、誰かに独占され、貨幣を介して交換する「商品」になりつつあります。
分かりやすいのは水です。本来は自然の「富」であり、すべての人々が生きていくのに必要だから「コモン」として管理されるべきものです。
その水が、ペットボトルに入れられ、商品となってしまいました。
人間は、水だけでなく、太陽の光、農作物、海産物などの恩恵を自然から受けています。その自然と人間の間に「貨幣」はなかったはずです。つまり、贈与です。
「コモン」を管理することを私はコモン主義、つまりコミュニズムと呼んでいますが、コミュニズムは贈与がポイントだと思うんですよね。
自分の行為に対して、「これ1000円な」と対価を必ずしも求めない。お互いが自分の能力に応じて貢献して、各人が必要に応じて受け取る。これが、マルクスが構想した本来のコミュニズムのイメージです。
さっきおっしゃったように、そういう社会はある意味「めんどうだ」という人もいます。
けれども、「コモン」を管理することは、自分たちの生活を自治するための力を取り戻し、地球環境を守るために必要なのです。
資本主義が壊した「コモン」を再生させていかないといけません。
——ただ、資本主義にも良いところはありますよね。誰にとっても分かりやすい「値段」という共通の指標によって、みんなが世界中のサービスやモノを手に入れられる。ある意味フェアです。
それはフェアではないと私は思います。
お金さえ持っていれば何でも解決できてしまうことがフェアでしょうか。
しかも、そのお金を今、一部の人たちが独占しています。たった26人の富豪が、世界の貧しいほうの半分の人たちの持つお金と同じだけの財産を握っているのです。
ジェフ・ベゾス氏(Amazon創業者)に代表されるような世界の富豪たちは、一生をかけても使いきれないような富を集めて、世界中に豪邸を建てて、プライベートジェットを飛ばす。
まったく意味がないことをして、地球環境を破壊しています。
昨春のコロナの第一波の際に、ベゾス氏の資産は、億単位で増えました。そんなに増えても、本人にとっては本質的な意味はないし、そのせいで長いあいだに築き上げられた町の書店文化というものがどんどん破壊される。
資本主義はある一定を超えると…
——でもAmazonは便利ですよ。どこに住んでいても、好きな本に出会えるし食料品も買えます。ベゾス氏のイノベーションのおかげです。
たしかにAmazonのシステムは画期的でした。しかし、ベゾス氏は従業員の給料を上げるなど、もっと社会に還元するべきです。
特に、コロナ禍で大変な時に大儲けしたわけですから。
それに、アマゾンの「即日配送」も、そんなに大事なことですかね。それが可能になっているのは、倉庫で働く人々や宅配業者に過剰な労働をさせているからです。この負担は見過ごせないほど大きいものです。
資本主義はある一定を超えると、おかしいところが出るんです。
資本主義は真にクリエティブなのか
もちろん、お金が動機となって生まれたイノベーションもあると思いますよ。それは否定しません。
他方で、それと同じぐらいクリエイティブで、しかも楽しいことが、資本主義のせいで失われている可能性もあるのではないですか。
もっと知識や富をシェアしたり、資本主義的な競争とは異なる環境でこそ、圧倒的な成果が生まれる可能性もあります。
ところが、これだけ豊かになったなかでさらなる経済成長を目指すことによって、競争や奪い合いが激化し、メンタルヘルスが犠牲になっている。
「何本論文出せ」と言われる研究者
身近なところで、大学を例にとります。今は、「何本論文出せ」など、研究の業績を数値化することが徹底されています。
しかし、お茶でも飲みながら「今日どうする?」などと、“のほほん”と研究をしていた方が、成果が出せるかもしれません。
いや、そういう時代だったときのほうが、ノーベル賞につながるような圧倒的な成果が出ていたわけです。
マルクスが仮に今のハーバード大学に入ったら、経済の教授や哲学の教授になんて、なれないはずですよ(笑)。大英博物館の図書閲覧室に籠もって、『資本論』を書いたのは、50歳前後のことですから。しかも未完に終わっています。
先ほどベゾス氏が「イノベーションを起こした」とおっしゃいましたが、単にネットを通して本や食料品が届くだけですよね。
iPhoneだって便利ですが、最近の新モデルに新規性はないですし、本当にそんなすごいですかね。
——確かに私はiPhoneで、SNSを眺めたり、ゲームをしたりしているだけかもしれません…。どういうイノベーションが起きたら理想ですか。
本当のイノベーションは、お金がなくても生きていける社会設計を考えたり、20年使っても壊れないiPhoneを作ったりすることではないですか。
ところが、資本主義のもとでは「20年もつiPhone」は絶対出てこない。提案しても、「新製品が売れなくなったらどうするんだ!」と黙殺されるでしょう。実際、今のiPhoneは自分でバッテリーを交換することすらできません。
もちろん今日からすぐ変わらないし、資本主義と並存する「移行期」もありますよ。
でも最初から「無理だ」と思ってしまうのは、資本主義になれ過ぎているから。
一度、ゼロベースで考えてみては。想像力を広げて、僕らを解き放つ効果がマルクスの「資本論」の思想にはあるのです。
——斎藤さんが「人新世の『資本論』」を書き、資本主義を批判するのは、若い世代への責任感からでしょうか。
グレタ トゥーンベリさん(スウェーデンの環境活動家)たちは、確実に地球環境の悪化の影響を受ける世代です。
だから、私たちは若い世代の声を聞いて、早く気候変動の問題に抜本的に取り組まなくてはなりません。
資本主義に染まった企業の人たちに言いたいのは「社会が変わるのは確実だから、今から動いた方がお得ですよ」ということです。
20~30年経ったら、グレタさんのようにシステム・チェンジを求める彼女ら/彼らが多数派になるわけですから。
グレタさんたちの世代が政治家になったり、起業し始めるのは10年以内。すぐですよ。
日本もフライデーズ・フォー・フューチャーなど、若い世代が社会運動を刷新しつつあります。
若い人に会って「今の社会は楽しい?」と聞く
実際、若い人に会って「今の社会が本当に楽しい?」と聞くと、「クソっすね」というような反応が多い。
牛丼店やコンビニがあちこちにあるこの社会を便利に感じる一方で、資本主義の行き詰まりに日本の若い世代も気付き始めています。
もちろん、牛丼を毎日食べている人だって資本主義を批判していいし、気候変動対策を求めてもいいんです。
若い人や貧しい人の財布でまかなえる、一食300円くらいのものがチェーン店にしかない、資本主義社会のシステムが悪いわけですから。
資本主義の怖いところは、そのなかに生きていると、それしか選択肢がないように思い込ませる力のあるところです。
だから、資本主義がもたらす社会の矛盾に気づくことが第一歩。自分の違和感を職場の同僚や友達に話してみる。デモに参加してみたり、環境NGOに入ってみたり。地元の町内会に入るのだって良いと思います。
そうすると、「コモン」がもっと身近なものとしてイメージできるようになり、企業が推進する「SDGs、SDGs」ではなく、市民が主導の「コミュニズム」が社会に広がるのではないでしょうか。
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インタビューの前編はこちらから。グレタ トゥーンベリさん世代への責任感について齋藤幸平さんが語っています。