東日本大震災で被災した人の中には、耳の聞こえない人たちがいた。津波警報が聞こえず逃げ遅れたり、避難所で音声によるアナウンスが分からず不自由をしたりと、ろう者特有の課題が浮き彫りになった。
災害大国の日本。災害時に障がい者など弱い立場の人を取り残さないために、私たちは日頃からどのような備えができるだろうか。
そのヒントとなる映画がある。東日本大震災などで被災したろう者の10年間を追ったドキュメンタリー映画『きこえなかったあの日』(2月27日公開)だ。自身も生まれつき両耳が聞こえない今村彩子監督に話を聞いた。
東日本大震災、障がい者の死亡率は全体の約2倍だった
2011年3月、今村監督は東日本大震災の10日後に被災地に入った。
テレビでも新聞でも繰り返し被災地の様子が報道されたが「どこにも聞こえない人のことが載っていない。同じ聞こえない立場から、彼らがどうしているのか、どんな支援を必要としているのかを知りたいと思った」。
取材中、大きな余震を経験した。揺れが収まると、辺りには津波警報が鳴り響く。撮影スタッフたちは危険に気付き、避難しようと声を掛け合っていた。しかし、今村監督の動きは遅れた。警報の音が聞こえなかったからだ。
“揺れが収まったら大丈夫だと思っていた。でも本当は危なかったんだ”
聞こえない人をめぐる「命に関わる情報格差」を身をもって知った。
NHKの調査によると、東日本大震災で亡くなったろう者は、岩手・宮城・福島の3県で75人。障がい者の死亡率は住民全体の約2倍だった。犠牲者の死因は特定されていないものの、津波警報などが聞こえなかったために危険に気付けず命を落とした人もいたと考えられている。
アナウンスが聞こえなかった避難所生活
避難所では、多くのろう者が情報収集がスムーズにできず、不自由な立場に置かれているのを目にした。多くのアナウンスが音声でなされたからだ。
物資や食料提供の放送があれば、周りの人がザワザワし始めるのを見て、自分も何となく付いていき真似して列に並ぶ。常に周りの様子を伺って、片時も休むことができない状況が続く。
「もちろん困っていることを伝えれば、周りも『あ、聞こえない人がいるんだな』って気遣ってくれたんだとは思うんですが、震災直後の避難所には、そんなことを言い出せない位にピリピリとした雰囲気がありました。そんな中で『みんな大変だから』と我慢してしまう人が多くいました」
映画では、宮城県岩沼市で被災したろう者・菊池信子さんが避難所で、今村監督に「家に帰りたい」と話すシーンがある。監督と手話が通じると分かってよほど安心したのか、抱えていた不安をせきを切ったように話し始めたのだという。別れの時には涙を見せた。「よほど吐き出す場所がなかったんだろうなと思うんです」と今村監督は振り返る。
「聞こえない人」の映画としてではなく…
一方で『きこえなかったあの日』は、震災や障がいとは関係ない、聞こえない被災者の何気ない日常や人間関係も丁寧に見せていく。
「『聞こえない人』や 『被災者』であることが、その人の全てではない」という思いを込めた。
取材を通して、孫と祖母のような関係になった今村監督と菊池さん。今村監督が自宅を訪れると、菊池さんは「(いつ来るかと)何回も外を見に行って足が疲れたわ」と玄関先で嬉しそうに出迎える。夫が耕す畑について自慢げに話しながら「私は耕すのは苦手。虫が怖い」とお茶目な一面を覗かせる場面もあった。
障がい者について語るとき、私たちはどうしても「耳の聞こえない人は…」「車椅子の人は…」などと主語を一括りにしてしまいがちだ。でもその向こうには、一人一人違う名前を持つ人がいる。
障がい者と防災「心を通い合わせることを大事に」
「“聞こえない人”ではなく、その向こう側の“個人”を見て」
映画に託したそんな思いは、そのまま「防災」にも通ずると今村監督は言う。
障がい者などマイノリティの情報もネットで簡単に得られる時代。しかし、それだけで相手を知った気にならず、一歩踏み出して出会ってみる。そうやって築き上げたコミュニケーションや信頼関係こそが災害時に生かされるのだという。
映画では実際に、災害時の応急救護に備えて、地域の薬剤師とろう者が一緒に「薬に関する絵カード」を作った取り組み(愛知県・豊橋市)が取り上げられる。
ろう者の中には、薬剤師による薬の説明が理解できなくても、恥ずかしさから「分かったふり」をしてしまう人もいる。しかし「薬のことは耳が聞こえる人だって分からないのだから、聞いても恥ずかしくないよ」という薬剤師の一言で、安心して質問ができるようになったろう者がいたという。薬剤師もどうしたら伝わるかと、文字や図を書いて試行錯誤する。そうやって互いが探り合いながら、関係を築いていくシーンが印象的だ。
「防災を考えるとき、まずは直接出会って“心を通い合わせること”を大事にしてほしい。もしかしたら最初のきっかけは、一緒にご飯食べたり、運動したり、そんな小さなことなのかもしれません」と今村監督。
「聞こえる人」「聞こえない人」ではなく、「名前を呼び合える関係」を平時から地域でどのくらい構築できるか。今村監督が考える「防災」だ。
もちろん今、身近に「聞こえない人」がいる人はそう多くはないだろう。今村監督は、『きこえなかったあの日』が「聞こえない人と出会ういつか」のための「種まき」になればと願う。
「映画を見た人が、いつか聞こえない人にあった時に『あの映画見たな』と一歩踏み出してくれたら。そこで実際に接してみて『名前を呼び合う関係』になれば、また考え方が変わる。そういう風に、時間がかかってもいいから何かに気づいてもらえたら嬉しいです」
《東日本大震災以降、ろう者と防災をめぐる進展》
・手話言語条例の普及
手話を言語として位置づけ、聴覚障害者らが暮らしやすい環境づくりを目指す「手話言語条例」が2013年、全国で初めて鳥取県で施行された。2021年現在、374自治体で成立している。
・「津波フラッグ」の導入耳の聞こえない人も津波警報等の発令を視覚的に認知できるように、全国の海水浴場や海岸付近には、津波の危険を知らせる「津波フラッグ」が導入された。
・気象庁会見での手話通訳者を配置気象庁は2020年、国内で震度5弱以上の地震が発生した際などの緊急記者会見で手話通訳者を配置することを決めた。
『きこえなかったあの日』
2/27(土)より【新宿K’s cinema】ほか全国順次公開
全国一斉インターネット配信スタート