ノーベル賞晩餐会が12月10日ストックホルムにて開催された
今年のノーベル賞は、例年になく盛り上がったと言えるだろう。日本人としては特に、記憶に残る年となった。
長崎県出身の英国人作家カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞し、核兵器廃絶国際キャンペーン『ICAN(アイキャン)』がノーベル平和賞を受賞した。
特に文学賞の場合は、毎年最有力者として名前の挙がる村上春樹を抑え、日本出身のカズオ・イシグロが受賞したのは、我々日本人にとっても、世界中の文学好きにとっても、予想外の喜びであった。
これまで発売されたカズオ・イシグロの作品数は、決して多いとはいえない。短編集でいえば、一冊のみとなっている。
そんな、イシグロ唯一の短編集『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』は、若かりし頃にミュージシャンとして活動していたイシグロならではの手法で編成された。
イシグロ初の短編集『夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』
私たちはなぜ、音楽を聴くのか。癒やされるため、元気になるため、楽しい気分を味わうためーーどんな理由であれ、ポジティブな効能を期待して、私たちは音楽を聴く。
しかし同時に、攻撃や批判など、プロテストの象徴として、音楽を利用する場合もある。
イシグロが音楽に目覚めた1960年代が、その最たる例として挙げられるだろう。ベトナム戦争における音楽的な社会現象は、政治とロックの距離を縮め、偉大な力を振るった。
イシグロ作品では、こうした、音楽が持つアンビバレントな側面も描かれている。それは時に不協和音のように響き、読者に特段の読後感を与えるのだ。
「音楽アルバム」のように編成された短編集
カズオ・イシグロ初の短編集『夜想曲集』は、音楽と夕暮れにまつわる短編5編が収録されている。
一編ずつが独立した内容でありつつ、同一の構想で編まれた本作の仕組みを、イシグロは、音楽アルバムのつくりに例えている。
物語の時代背景は"ベルリンの壁崩壊から9・11まで"と設定され、各編に登場する音楽や人物のバックグラウンドに共通性を見いだすと、短編集全体が、レコードの回転のごとく円環構造をなしていることに気づく。
そこにはまた、第2次世界大戦後も頻発する紛争に対する、イシグロの意味付け−−−終戦とともにいったんは消えたはずの記憶が蘇(よみがえ)ることで、新たな争いが始まる"復讐の連鎖"−−−も示唆されている。
ボブ・ディラン楽曲とのつながり
短編集のなかで唯一、「老歌手」「夜想曲」の2編に登場する、リンディ・ガードナーという女性がいる。
奔放で野心家のリンディは、19歳でヒッチハイクをし、スターとの結婚を夢見て都会へやってきた。念願かなって有名歌手と結婚し、富と名声を得るものの、晩年で離婚。その後は、ゴシップが売りのセレブとして、整形を繰り返し、過去に縛られた人生を送っている。
そんなリンディの境遇や設定は、65年に発表されたボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞に登場する女性を彷彿とさせる。
この曲は、かつて裕福だった女性が転落していく様を描いた歌で、「昔々、きみは美しく着飾っていた」と物語る調子で始まり、女性が浮浪者に転落していく様相を淡々と綴っている。
ディランが「ライク・ア・ローリング・ストーン」を製作した65年6月は、アメリカ軍がベトナムへの空爆を開始した直後である。歌詞の意味についてはさまざまな臆測がなされているが、戦争特需を得る富裕層への批判や、終戦と共に転落するであろう権力者への非難の意味も読み取れる。
イシグロの描く"リンディ"と、ディランの歌う"ミス・ロンリー"。
時代背景は違えども、アメリカを体現するかのような女性が、落ちぶれ、身をやつしていく姿には、時代の変化を前にした大国の不吉な未来と、転落の予兆が植え付けられている。
「夜想曲集」は、人生の岐路に立つ人間の苦悩から、社会が抱える争いの記憶まで、さまざまなテーマが、譜面に並ぶ音符のように折り重なり、ひとつの〈物語=楽曲〉として完成している。
元ミュージシャンならではの発想のもと、実に音楽的に構成された短編集なのである。