トランスジェンダー女性が前向きな一歩を踏み出す短編映画『片袖の魚』。オーディションで選ばれたトランスジェンダー当事者の俳優が出演し、大きな反響を呼んだ。11月29日現在は横浜シネマリンなどで上映中で、全国各地のミニシアターを中心に、上映館を増やし続けている。アメリカ・テキサス州で開催されたクィア映画の祭典では、最優秀中編賞に輝いた。
当事者の俳優をキャスティングし、悲劇的でも喜劇的でもない、日本の社会で生きるトランスジェンダーの姿を丁寧に描いた本作。
作品にどんな思いが込められているのか。監督・脚本を務めた東海林毅(しょうじ つよし)さん、脚本監修の時枝穂(ときえだ みのり)さん、浅沼智也(あさぬま ともや)さんに聞いた。
「当事者の目線」でつくられた作品
約34分の短編映画『片袖の魚』は、自分に自信を持てないトランスジェンダー女性が、新しい一歩を踏み出すまでの姿を描いた作品だ。
主人公の新谷ひかりは、東京で熱帯魚の管理や水槽の販売などを行う会社に勤めている。理解のある同僚とともに働くが、仕事先では、心ない言葉や差別的な扱いを受けることもある。そんな日々を過ごす中、出張で故郷の街に帰ることになったひかりは、高校時代の同級生に今の姿を見てほしいと考え、勇気をふりしぼって連絡する−―。そんなストーリーだ。
ひかり役のイシヅカユウさんや、ひかりの友人でトランス女性の千秋役を演じる広畑りかさんは、トランスジェンダー当事者の俳優の公募とオーディションを経て選ばれた。製作者らによると、当事者の俳優を募集するオーディションの開催は、確認する限り日本初の試みという。
また、製作の初期段階から、トランスジェンダー当事者の時枝さん、浅沼さん、畑野とまと(はたけの とまと)さんが脚本を監修した。主人公のひかりや作品の設定と照らし合わせて、表現やセリフに違和感はないか。実際に経験したことやその時に感じたことなどを聞きながら、脚本に反映していったという。
この作品は「当事者の目線」で作られている映画だと、浅沼さんと時枝さんは話す。
演出にもその姿勢が貫かれた。監督の東海林さんによると、複数の重要なシーンをイシヅカさんのアドリブで撮影したという。
アドリブは、ひかりが取引先で「男性ですか?」と聞かれるシーンや、居酒屋で同級生と再会し、心ない言葉を投げかけられるシーンなどで取り入れられた。トランスジェンダー当事者が直面する困難や、社会に横たわる偏見や差別を映し出した場面だ。
「ひかりがどういった反応をするか、台詞を含めて台本には書きませんでした。もしその言葉を言われたらどうするか、過去に自分が経験したこととも照らし合わせて台詞を言ったり、リアクションをとったりしてほしいとイシヅカさんに相談し、そう伝えました。
自分で台詞を考えてもみたんですが、違うなというか…シスジェンダーである僕が台詞を考えたり演出したりするのは、当事者を尊重していないのではないかという気分になって。この大事な部分は、当事者ではない自分が書くべきではない、と思ったんです」(東海林さん)
なぜ、「当事者の目線」が大切なのか
これまでも、多くの映画やドラマなどのフィクション作品でトランスジェンダーが描かれてきた。しかし浅沼さんは、そうした作品を見ても、「この中に自分はいない」と感じてきたという。
「今までの映画はトランス当事者にフォーカスを当てたというわけではなく、アライの人たち、非当事者の人に向けて作られたものが多いと感じています。それは、周知や理解を広めるという点ではいいことでもあるし、素晴らしい作品もあります。一方で、当事者である自分は置いていかれている気がしていました」(浅沼さん)
時枝さんも、トランスジェンダーを描いた作品を見てきて、「非当事者の目線で作られていると感じることが多かった」という。
「たとえば、子供が出てくる作品も多い。どういう意図があるのかわからないんですが、トランスジェンダー女性は子供が産めないので、『家族を作りたいんだろう』というステレオタイプを持たれているのかと思ってしまうこともありました。ドキュメンタリーでもそうですが、手術とか胸を気にするとか、トランジション(性別移行)する身体の直接的な描写も多い。『不完全な体』を写実的に見せるようなシーンを、これまでたくさんの作品で見てきたと思います」(時枝さん)
トランスジェンダーの表象をめぐっては、現実とはかけ離れたトランスジェンダーの姿が発信されることで、当事者への偏見や誤解が助長されてしまう問題が指摘されてきた。
2021年は、俳優の草彅剛さんがトランスジェンダー女性役を演じた映画『ミッドナイトスワン』が日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝くなど注目を集めた。作品は高い評価を受ける一方で、主人公に降りかかる悲劇的な結末や、性別適合手術の描き方などについては批判の声もあがった。
こうした問題は、Netflixで配信されているドキュメンタリー『Disclosureトランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』で詳しく検証されている。これまで描かれてきたトランスジェンダーのキャラクターの多くが、喜劇的に描かれ嘲笑の対象とされるか、あるいは観客の涙を誘うため悲劇的な結末を迎えた。恐怖を煽るような存在として描かれたことすらあった。
「いろいろな作品を、楽しめていたようで、楽しめないという一面があった」と浅沼さんは話す。
「メディアでは悲劇的な『トランスジェンダー像』が描かれる。でも現実のトランスジェンダーは多様で、必ずしも不幸なわけではない。結婚して子供がいて家庭を持っている人もいるし、家庭を持たずに幸せに生きている人もいる。そうした現実がある中で、すごく両極端な描かれ方をしているなとは思っていました」(浅沼さん)
間違った『可視化』は、さらなる偏見やバッシングを生みかねない
ここ数年で、誤った情報を元にしたトランスジェンダーへのバッシングや差別が深刻化している。
こうした現状がある中で、実像からかけ離れたトランスジェンダー像をメディアが発信することは、さらなる誤解を生んでしまうのではないか。浅沼さんは、そう危機感をあらわにする。
「トランスジェンダーを『可視化』するにしても、間違った可視化ではなく、正しくトランスジェンダーが置かれている現状や辛さ、気持ちに寄り添えるような描き方をしてほしいと思います。そうしないと、ただでさえバッシングが発生している中で、さらなる誤解をうみ、理解が進んでいかなくなってしまう。
『正しく可視化をする』。そのことの難しさを感じ続けていた中で、今回、この作品に脚本監修というかたちで関われることになりました。当事者の気持ちに寄り添っている作品だと思いますし、主演も当事者ということは、すごく歴史に残る作品だと思っています。
一方で、この作品や自分がトランスジェンダーを代表しているわけではない。トランスジェンダーはすごく多様です。僕はこう考えてるけれど、別の人は違う視点を持つかもしれないとか、他の当事者が見て傷つかないだろうか、ということはすごく考えました」(浅沼さん)
監督の東海林さんは、「いまトランスジェンダーに向けられている差別や偏見としっかり戦わなければいけない」と話す。
「この作品を通して、トランスジェンダーの人たちはずっと前から、この社会で我々と一緒に生活しているということを伝えたかった。僕は非当事者なので、表に出て攻撃の的になっても、当事者が受けるほどのダメージは受けない自信があります。非当事者にできることや言えることには限界があると思いますが、非当事者がどんどん表に出てバッシングと戦った方がいいと思っています」(東海林さん)
「胸が詰まるような生きづらさが散りばめられていた」
『片袖の魚』は、これまでメディアで描かれてきた“極端”なトランスジェンダー像をなぞらない作品だ。東京で暮らすトランスジェンダー女性が故郷で高校時代の同級生に再会し、一つの“決着”をつけるまでの心の揺らぎを描いている。
大作映画で描かれるような、ドラマチックな展開や涙を誘うシーンはない。それでも、最後にささやかな“抵抗”をして、そこから新たな一歩を踏み出そうとするひかりの姿は、多くの人の心を震わせるのではないか。
時枝さんは、「作品を見て胸が締め付けられる思いがした」と話す。
「水槽の中でうまく泳げない魚のように、うまく声を出せないとか。そういった一つひとつの繊細な描写に、当事者が本当に経験したようなつらさや、胸が詰まるような生きづらさがたくさん散りばめられていました。
人生というものは、いろんな波がありますよね。悲しいことも嬉しいこと、喜怒哀楽もある。人間社会の中で揉まれて、頑張って成長していく。作品が描いたテーマはトランスジェンダーですが、ある種、普遍的なテーマにトランスジェンダーという一面がプラスされた作品だと思っています。
非当事者の人の中には、この作品を見て、もしかしたらポカンとする人もいるかもしれません。何を伝えたい作品なのかわからないと。もしかしたらそういった感想もあるかもしれないけれど、私はこの作品を見た時に、しばらく胸が締め付けられる思いがしました。描写の一つひとつが胸に刺さって、1、2週間くらいその余韻を感じていました。それくらい伝わるものがあったんです。
この作品を通して、ちょっとでもそういった当事者のリアルを感じてくれる人が広まるといいな、と思っています」(時枝さん)