3月2日、岐阜県の東部医療センターと市立羽島市民病院が、医師に違法な残業(労使協定を超える時間外労働)をさせていたとしてニュースになりました。
こうした報道の中で、よく目にするのが「過労死ライン」という言葉です。
今回のニュースに関する報道を見ていたところ、過労死ラインとして残業が月に「80時間」とする記事と、月に「100時間」とする記事があることに気がつきました。
過労死ラインとされる月80時間を超えて残業をしていた医師などが47人いたことも分かりました。
外科の男性医師は昨年1月、103時間の残業をし、1カ月の時間外労働が「過労死ライン」とされる100時間を超えた。
同じ「過労死ライン」という言葉を使っているのに、ニュースによって数字が異なるのはなぜなのでしょうか?そもそも過労死ラインって何のこと?
いま働き方の改革が話題になる中で、きちんと知っておきたい点でもあります。ちょっと調べてみました。
過労死ラインって、そもそも何?
労働者災害補償保険法では、業務中に事故や病気などにあった場合、「労働災害保険」による給付を受けられると定めています。
なんとなく「労災(ろうさい)」という言葉は聞いたことがある方が多いかもしれません。
仕事がものすごく大変で、そのせいで病気になって働けなくなったり亡くなったりした後、収入が途絶えてしまったら大変ですよね。そのリスクを補うための保険が労働災害保険であり、病気などが仕事のせいだと認定されれば、お金の給付を受けられるわけです。
でも考えてみると、ある病気が「仕事のせい」で起きたのか、そうでないのかを見極めるのは難しいことです。
脳卒中や心臓病など、いわゆる「突然死」の原因になる病気の場合で考えてみます。これらの病気は、疲労の蓄積によっても発症しますが、肥満や喫煙など生活習慣によってもリスクが高まります。
たまたまちょっと太めの人が、長い期間にわたって忙しい日々が続き、疲労がじわじわと体をむしばんだ結果として脳卒中を発症したような場合。「仕事じゃなく、肥満のせいじゃないの?」と言われてしまうかもしれません。例えば仕事中の事故のような、誰の目にも原因がハッキリする場合と比べると、わかりにくい点がありますよね。
そこで厚生労働省は2001年に通達(*1)を出して、「脳卒中や心臓病が、仕事(過重な業務)と関連していたか?」を判断する目安を示しました。
月の残業(時間外労働)が次のどちらかの条件を満たすような状況で発症した場合、「業務と発症との関連性が強いと評価できる」としたのです。
▼発症前1か月間におおむね100時間
▼発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える
もうおわかりですね。これが、いわゆる「過労死ライン」とされているものです。要は月「100時間」か月「80時間」かというのは、その業務量が続いていた期間(1か月間か、2~6か月間か)によって変わるということです。
考えてみると、疲労は短期間に集中しても、長期間じわじわ続いても負担となるわけですから、それぞれに目安を変えるのはリーズナブルな気がします。
なお、上記はあくまで「目安」にすぎません。同じ仕事量でも、その人の状況や仕事の環境などによって体への影響は変わってきます。このラインを超えていなかったために労災が認められなかった場合でも、裁判によって認められたケースもあるようです(*2)。
なぜ80時間、100時間なの?
それでは、何を根拠として「目安」が導き出されたのでしょうか?
2001年の通達のもとになった、専門部会の報告書(*3)を読むと、労働時間と脳卒中・心臓病などのリスクについて調べた過去のいくつかの研究が参照されていました。
そのひとつ、富山医科薬科大学(現・富山大学医学部)が1998年に発表した研究(*4)では、1日7時間~10時間働いていた人と比較して、1日11時間以上働いていた人では心臓病の一つ「心筋梗塞」を発症するリスクが2.9倍になっていました。
また、睡眠時間と病気のリスクを調べた研究では、1日の睡眠が6時間未満では狭心症や心筋梗塞にかかる人が多くなること(*5)、5時間以下になると、その関係がさらにはっきりすること(*6)が示されています。
残業が長くなれば、睡眠を削らざるを得なくなります。日本人の平均的な生活時間から「睡眠を6時間しか取れない生活」を考えると、1日4時間程度、おおむね月に80時間の残業が想定されました。また「睡眠5時間以下」は、1日5時間程度、おおむね月に100時間の残業が相当するとされました。
報告書には、上記のような検討を経て、月に「80時間」「100時間」という目安を定めたと記されています。
1日6時間以上眠れないような生活は、病気のリスクを高める
以上をまとめると、次のようになります。
※いわゆる「過労死ライン」とは、労災保険において、「脳卒中」や「心臓病」が仕事に関連して発症したものかどうかを判断する目安
※発症前の残業(時間外労働)が、1か月100時間もしくは2~6か月にわたって80時間を超えていると「業務と発症との関連性が強い」と評価される
注意していただきたいのは、上記はあくまで目安であって、月に80時間以上であれば必ず脳卒中や心臓病を発症するわけではなく、また逆に、それを下回っていたからと言って起こさないわけでもないということです。病気の発症には業務時間だけでなく、その期間中の仕事のキツさやストレスなどが複雑にかかわってきます。
私たちが自分の身を守るためにも覚えておくべきは、「1日6時間以上眠れないような生活は、病気のリスクを高める」ということかもしれません。
働き方改革が叫ばれるいま、会社など組織レベルはもちろん、個人、そして社会全体のレベルで「十分な休息がとれる仕事と生活のバランスをどう実現するか」について考えることが求められています。
(参考文献)
※1 厚生労働省通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」基発第 1 0 6 3 号 平成 13年12月12 日
※2 「Q5 過労死の認定基準はどうなっていますか。」独立行政法人労働政策研究・研修機構HP(2018年3月2日閲覧)
※3 脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書(平成13年11月16日)労働時間と疲労への影響についてはP90~を参照
Sokejima S et al. BMJ. 1998 Sep 19;317(7161):775-80.
Partinen M et al. Acta Med Scand Suppl. 1982;660:69-83.
※6 倉沢高志ほか:高血圧患者の睡眠時間と脳心事故.内科 71:349-352(1993)
(2018年3月4日「Yahoo!ニュース個人(市川衛)」より転載)