4人の子育てと仕事。美容院も行けなかった桐島かれんさんが、絶対にやめなかったこと

「私、50代は人生のティータイムだと思っているんです」

「人生を時計に例えるなら、午前0時は誕生したばかりの赤ちゃん。朝6時はまだ20歳で、40歳でもまだお昼頃。50代は午後3時を過ぎたくらい、ちょうどお茶の時間でしょう? 深夜まではまだまだ時間があります」

50代半ばを迎え、ようやく「本当にやりたいこと」に全力で向き合えるステージにたどり着いた桐島かれんさんは、今の自分をそんなふうに例える。 

作家・桐島洋子の娘として育ち、女優やモデルとして華やかに活動した20代。3女1男の子育てに翻弄された30・40代を経て、彼女は今、優雅なティータイムを楽しんでいる。

3月に刊行された『KAREN’s』は、桐島さんが責任編集を手がけた初のライフスタイル&トラベルムックだ。旅やアートの楽しみかた、季節を感じる暮らし、食、ファッション、子育てや家族のこと。これまで彼女が培ってきた美意識とセンスが贅沢に詰めこまれている。 

Eriko Kaji

ライフクラフトブランド「HOUSE OF LOTUS」のクリエイティブディレクター、4人の子育てを終えつつある母親、そして“人生のティータイム”期に入ったひとりの大人の女性として、桐島さんのいまの思いを聞いた。

2人目の育児中に「やりたいこと」が爆発

Eriko Kaji

――2013年にご自身のブランド「HOUSE OF LOTUS」を設立されています。きっかけは何だったのでしょう。

宝石や高級ブランドのバッグを集めたりすることには、実はあまり興味がないんです。ただ、美しいものは大好き。虚栄心を満たすための「美しい」ものではなく、見た瞬間に「ああ、美しいな」と思えるものに出会えることが、私にとっては大事なんです。

そして、2人目の娘を産んでしばらくした頃、ふつふつとエネルギーが湧いてきたんです。母親としてではない、もともと私がずっとやりたかったこと。それへのエネルギーです。

海外に行ってその国の文化に触れ、そうして見つけた美しいものをみんなに紹介したい。昔から漠然と抱えていたそんな想いを、もっときちんとかたちにしてみたい、そう強く思ったんです。

長女と次女の子育て中でしたが、子連れでバリ島やタイに行き、いろいろな物を買って帰ってきて、自宅で売ることを始めてみました。

帳簿の付け方すらわからなく、完全に勢いだけでお店を始めてしまったのですが、不思議と不安は感じませんでした。夫の「やってみたらいいんじゃない」という軽やかな言葉があったからかもしれません。

新聞に「アンティーク雑貨お好きな方募集」みたいな一行広告を出すところから始めて、年に3週間だけオープンするお店、というかたちからのスタートでした。

そこから少しずつお客さまが増えてきて、様々な展開を経てから現在の「HOUSE OF LOTUS」というブランド、そして『KAREN’s』にもつながりました。

“深夜”までにはまだ時間がある

Eriko Kaji

――『KAREN’s』はどんな層を対象に?

 「HOUSE OF LOTUS」と同じで、私と同性代の女性をターゲットに考えています。私は今年で55歳になりますが、50代ってようやく子育てが一段落して時間的な余裕ができてくる時期。 

これまでは子どもや家族のために頑張ってきたけれども、ここから先は自分を主人公にして残りの人生を楽しもう、そういうメッセージも込めました。

私、50代は人生のティータイムだと思っているんです。

人生が80年だとして時計に例えると、夜中の12時に生まれて、朝6時はまだ20歳、40歳でもまだお昼頃でしょう? それでいうと50代は午後3時、ちょうどお茶の時間なんです。

ちょっと腰を下ろしてお茶でも飲みながら、「今日の夜はどんなふうに楽しもうかしら」と、心の準備をするような時間帯。深夜まではまだまだ時間がある。

だから、まだまだこれからを楽しみましょう、というのがブランドと今回のムックのメッセージでもあります。

――モデルや女優としての“桐島かれん”の印象が強い人も多いですが、『KAREN’s』では企画立案から現場の制作、ディスプレイまで全面的にご自身で手がけたそうですね。

ええ。責任編集というからにはすべての工程を手がけたくて。数十枚の企画書を手書きするところから、特集のハワイで訪れるスポット選び、料理のスタイリング、インテリアのディスプレイ、スーパーへの食材買い出しまで、ほぼ一通りやらせてもらっています。なかなか信じてもらえないんですけど(笑)。

桐島さんの手描きのラフや企画書
Eriko Kaji
桐島さんの手描きのラフや企画書

 クリエイティブなことは子どものときから大好きで、将来はファッションデザイナーやイラストレーター、画家になりたいなと思っていました。けれども私にはそこまでの才能はないと大学生のときに気づきました。

その後、夫 (写真家の上田義彦さん)と結婚して、長女の誕生をきっかけに育児に向き合おうと思ったのですが、いざ生まれたらびっくり。「子育てがこんなにハードだなんて、誰も教えてくれなかった!」「学校でも教えるべきだ!」って。人生が180度変わりました。

産後8年間は美容院にも行けなかった

――どんな種類のハードさでしたか。

まずは体力的なものですね。一日中、赤ちゃんを抱っこしているつらさ。3年おきに4人の子どもを出産しましたが、「ずっと抱っこ」による腱鞘炎や「休みなしの授乳」で乳腺炎を繰り返しました。

産後8年間は美容院にも行けず、映画館は10年以上もガマン! といった具合に、最初の数年間は想像以上のものでしたね。

また、一日中子どもと一緒に過ごせる代わりに、社会からは私と子どもだけが置いてけぼりをくっているような、世の中と少し距離があるような、そんな錯覚に陥る精神的なつらさも、もちろんありました。

ただ、そんな時期の真っ最中でも、自分の好きなものやインテリアに触れている時間だけは、ほんの少しだけ息抜きができたんですね。

料理や工作をしたり、花を活けたり、部屋のディスプレイをしたり……。そういうふうに家の中で楽しめることを、と自己流で試行錯誤したことが、今になってこんなふうに形になった。あの時期に鍛えられた、ともいえるかもしれません。

Eriko Kaji

――かれんさんも、3人きょうだいですよね。

私の母(作家の桐島洋子さん)は育児は大変とか、そういうことは一切教えてくれなかったんです。だって母は私を産んだ1週間後には、乳母に赤ん坊を預けて職場復帰するような人でしたから。

運動会や授業参観、卒業式にも、母は一度も来ませんでした。学校のルールで定められていても、来ない。母なりのスタイルを徹底していましたね。おかげで、私たちきょうだい3人は精神的な自立が早かったかもしれません。

親も子も、相手の物語の中を生きてはいけない

――“破天荒なシングルマザー”として知られた洋子さん。自伝的エッセイには娘であるかれんさんもしばしば描かれていますが、どう感じていましたか。

恥ずかしくって、実をいうと、若い頃は母が書いたものは一冊も読んでいないんです。母が書く物語に登場する私は、彼女の視点から見た私でしかないし、きれいごとのように感じたり、若干の反発もあったのかもしれません。

私の子どもたちだって、母や父の活動を内心では冷ややかに見ているかもしれない。

カメラの前でニコニコ笑っている家族なんて、嘘っぽいと思うでしょ? 少し批判的にそう思うくらいが健全です。私も、自分の子どもには、親の物語の中で生きる子どもになんかならなくていいと思っています。

親も同じことで、子どもに期待して、子どもの成功を自分の成功と勘違いする親にはならないほうがいいですよね。少し距離をとって、離れていく背中を見守っていてあげ、いつも安心して戻ってこられる古巣であればいいなと思っています。

みんな無駄に頑張りすぎ

――これまで海外のさまざまな国を訪れていますが、日本と他国で育児を取り巻く環境に違いは感じますか。

日本は良妻賢母のプレッシャーがいまだにすごく強いような気がします。

妻として母として完璧であることを求められれば、それに応えたくなるのもわかりますが、他人に合わせて頑張りすぎる必要はないと思います。やはり自分流のスタイルを保ったうえで子育てをするのが健全ではないでしょうか。

海外の育児はそれぞれにスタイルがあって、皆さんいい意味で「無理をしない」ですね。お弁当作りも凝ったキャラ弁が大変なら、いっそのことやめて、かわいらしいペーパーナプキンを添えるだけでもいいと思いますし、それだけでも十分愛情は伝わるかと思います。

そういうところはママたち自身のメンタリティで変えられるものなので、若い世代から変えていってほしい。もちろん、ママたちをサポートする社会的な制度や仕組みも整うといいですね。

今、子育てがしんどいと感じているお母さんたちも、大丈夫。いつか必ずトンネルは抜けられます。大変なこともたくさんあるけど、子どもの成長や未来はどんどん嬉しくて楽しいものになりますよ。

でもだからこそ、“母親じゃない自分”もやっぱり大事にしておかないと。大切な仕事や自分が好きなことに関しては、どんなに細い糸でもつながりはキープしておいたほうがいい。そうしたら、子育てが終わった後も、必ず自分を取り戻せますから。

わが家は長女が社会人になり、次女と三女は家を離れ、末っ子の長男は高校生になりました。子どもたちが巣立ちつつある今、私自身にもやりたいことがいっぱいあります。

旅をするように自由でしなやかに、生きていけたらいいですね。

(取材・文:阿部花恵、写真:加治枝里子、編集:笹川かおり)