9月からアゼルバイジャンとアルメニアの間で続いていたナゴルノ・カラバフ紛争が完全に停戦する見通しとなった。アルメニアでは停戦に反対するデモ隊が政府庁舎に突入するなど混乱が広がっている。
■アルメニアは主要都市を落とされ譲歩を迫られた格好
ロシアのプーチン大統領とアゼルバイジャンのアリエフ大統領、アルメニアのパシニャン首相の3者が停戦に関する共同声明に署名したとアルメニアン・ウィークリーなどが11月10日、報じた。
8日には、アリエフ大統領がナゴルノ・カラバフの要衝となる主要都市「シュシャ」をアゼルバイジャン軍が奪還したと発表。アルメニア人勢力も9日にシュシャ陥落を認めていた。
協定によると、停戦は10日午前1時(日本時間6時)から。アルメニア人勢力の支配地域の一部はアゼルバイジャンに返還されるほか、「ナゴルノ・カラバフ」の中心部とアルメニアを結ぶ「ラチン回廊」には、ロシアの平和維持軍が展開することになるという。
今回、アゼルバイジャンが奪還した主要都市「シュシャ」はナゴルノ・カラバフの中心部にあり、アルメニア側の支配地域は大幅に縮小する可能性がある。アルメニアは主要都市を落とされたことで譲歩を迫られた格好だ。
■アルメニアのパシニャン首相「苦渋の決断」と国民に理解を求める
アルメニアのパシニャン首相は10日、Facebookに「非常に難しい決断」とアルメニア語で投稿。「言葉では言い表せないほど苦痛」として、国民に理解を求めた。国営アルメニア放送の英文によると、全文は以下の通り。
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親愛なる同胞、姉妹、兄弟。私は自分自身と私たち全員にとって非常に難しい決断をしました。
私は、ロシアとアゼルバイジャンの大統領と、カラバフ戦争を午前1時に終結させることについての声明に署名しました。すでに発表されている声明文は、私自身にとっても、国民の皆さんにとっても、言葉では言い表せないほど苦痛です。
私は、軍事状況の詳細な分析と状況を最もよく知っている人々の評価の結果としてその決定をしました。また、これが現在の状況に対する最善の解決策であるという信念に基づいています。これらすべてについて、今後数日で詳細なメッセージをお伝えします。
これは勝利ではありませんが、自分が敗者だと認識するまで敗北することはありません。私たちは自分たちを敗者として認識することは決してなく、これが私たちの国の統一と再生の時代の始まりであるべきです。
過去の過ちを繰り返さずに未来を計画するためには、独立してきた年月を分析する必要があります。
私はすべての殉教者の前にひざまずきます。私は、すべての兵士、将校、将軍、命をかけて祖国を守ってきた義勇兵に敬意を表します。彼らは無私無欲にアルツァフ(ナゴルノ・カラバフの別名)のアルメニア人を救った。
私たちは最後まで戦った。そして、私たちは勝つでしょう。アルツァフは立ち向かいます。
アルメニア万歳!アルツァフ万歳!
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■アルメニアの首都では激しいデモが発生
停戦内容にはアルメニア国内では不満が高まっており、首都エレバンでは10日に激しい反対デモが起きている。
国会議事堂に集まったデモ隊は、アララト・ミルゾヤン議長を車から引きずり出し、激しい暴行を加えたと、ロシアの国営メディア「スプートニク」が報じている。
また、パシニャン首相のFacebookは同日、「首相官邸からコンピューター、時計、香水、運転免許証などが盗まれた」と報告している。
■ナゴルノ・カラバフとは?
ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン領だが、同国では少数派のアルメニア人が多く住む地域だった。旧ソ連崩壊直後の1992年1月、アルメニア人勢力は「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を宣言。独立を認めないアゼルバイジャン軍と激しい戦闘になった。
隣国アルメニアの協力でアゼルバイジャン軍を打ち破り、1994年5月に停戦した。その後、「共和国」は国際的な承認を得られなかったものの、ナゴルノ・カラバフとその周辺を含むアゼルバイジャン領の約16%を実効支配してきた。アゼルバイジャン政府は「共和国」の存在を認めず、自国領をアルメニアが軍事占領していると批判していた。
ナゴルノ・カラバフでは2020年9月27日から両国の軍事衝突が始まり、26年ぶりの大規模な紛争となった。ロシアやアメリカの仲介で、たびたび停戦合意をするもすぐに破たんし、アゼルバイジャン軍がナゴルノ・カラバフの中心部まで侵攻していた。