旧ソ連から独立した2国が土地を巡り、対立している。日本から遠い話のように思えるが、意外なところで影響を受けるかもしれない。
9月27日に始まったアゼルバイジャンとアルメニアの戦闘が激化。時事ドットコムによると、両国の係争地となっている「ナゴルノ・カラバフ」のアルメニア人勢力は9月28日、新たに兵士26人が死亡したと発表した。双方の死者は民間人を含めて90人を突破し、事態は悪化している。
軍事衝突に至った経緯と、世界経済へのリスクを調べてみた。
■約30年に渡る係争地「ナゴルノ・カラバフ」とは?
ナゴルノ・カラバフはロシア語で「カラバフ山地」の意味。カスピ海と黒海に挟まれたカフカス地方の南部にある。カフカス地方は、さまざまな民族が複雑に入り乱れていて、ロシア、トルコ、イランという大国の狭間で国境線の入れ替えが絶えなかった地域だ。
(地図中央の「NKR」と書かれた色の薄い部分が「ナゴルノ・カラバフ共和国」の実効支配地域。Wikimediaより)
吉田一郎氏の「国マニア」(交通新聞社)などによると、アルメニア高原の東端に位置し、3000メートル級の山地に囲まれた標高1000~2000メートルの高地にある。
アルメニア国境から30kmほど離れた京都府ほどの広さの土地に約16万人が暮らしている。住民の8割近くがアルメニア人だ。歴史的にはアルメニア領だった時代もあったが、旧ソ連ではアゼルバイジャン共和国の自治州となっていた。
■ 100万人以上が難民となったナゴルノ・カラバフ紛争
旧ソ連時代から、ナゴルノ・カラバフではアルメニアへの編入を求める声が絶えなかった。ソ連崩壊直後の1991年1月に、アルメニア人勢力が「ナゴルノ・カラバフ共和国」の独立を一方的に宣言した。
独立を認めないアゼルバイジャン軍と、アルメニア軍が支援するアルメニア人勢力の間で紛争となった。これが6年間に及んだナゴルノ・カラバフ紛争だ。1万7000人の死者を出し、100万人以上が難民になったとされる。
1994年にロシアなどの仲介で停戦合意したが、このときアルメニア人側が優勢な状態だった。そのため、ナゴルノ・カラバフとその周辺地域は現在に至るまで、アゼルバイジャン政府の管理が及ばない地域となった。事実上、アルメニアが占領していると見られており、アゼルバイジャンの領土の約20%に上る。
停戦合意後も、散発的な戦闘が続いていたが、2016年4月にも大規模な軍事衝突があり、アゼルバイジャンとアルメニア双方で50人以上の死者が出ていた。
■ 両国の後ろ盾となっているのはロシアとトルコ
アルメニアとアゼルバイジャンの対立の背景には、ロシアとトルコという大国の影がちらついている。
アルメニアは紀元301年の古代アルメニア王国の時代に、世界で初めてキリスト教を国教化した。南カフカス地方では唯一の親ロシア国家であり、ロシア軍が駐留している。毎日新聞によると、アルメニアはロシア主導の「集団安全保障条約機構」(CSTO)に加盟しているため、安全保障上の脅威が生じた場合はロシアに軍事援助の義務が生じる。
ただし、ロシア大統領府の声明によると、プーチン大統領は、アルメニアのパシニャン首相との電話会談で「大規模な軍事衝突の再燃について重大な懸念」を表明し、戦闘停止を求めたとブルームバーグは報じている。
一方で、アゼルバイジャンは中世にイスラム教を受け入れた。主要民族であるアゼリ人はトルコ系の言語を話すため、トルコとの繋がりが伝統的に深い。これまでも、トルコはアゼルバイジャンを支援してきた。
時事ドットコムによると、トルコのエルドアン大統領は9月28日の演説で「アルメニアが占領地から去れば平和が戻る」と述べ、ナゴルノ・カラバフからアルメニアが手を引くという解決策以外は受け入れられないという認識を示した。
アゼルバイジャンからは、カスピ海の原油や天然ガスを国際市場に運ぶパイプラインがトルコに向かって延びている。紛争が激化すれば、エネルギー市場に影響を及ぼすことにもなりそうだ。