「あなたは我が強い」と母に言われ…。
5歳の時、父が勤めている会社の社宅に住んでいた私は、その閉鎖的な社会で、さっそく「仲間はずれ」になった。
「かなこちゃんは、わがままだからいっしょに遊びたくない!」
驚いた。それまで一緒に遊んでいたお友だちがいっせいに遊んでくれなくなったのだ。
目立ちたがりで、周りの注目を集めたくて、遊ぶ時に輪の中心になりたがった。とにかく黙っていることができなくて、「ねえ、聞いて、聞いて?」「あのね、あのね!」「なんで? どうして? わかんない!」と周りを質問責めにした。
小学校に上がると、私の自我は暴走し、エスカレートした。学級委員に立候補して、誰にも投票されず落選した。勉強も、運動も、何でも一番になりたがった。高校では、親友に「もう友だちだと思えない」と言われた。
学校生活だけではない。家では母からいろんな言葉をぶつけられた。「あなたは我が強い」「自己中心的」「本当にわがままな子ね」「弟はこんなに優しいのに、どうしてあなたは自分のことしか考えていないの? 男女が逆だったら良かったのに」「口から生まれてきた子だわ」。
それはたぶん、当時の私を評する言葉としては的確だったのだろう。しかし、未だにふとした瞬間に蘇って、鼻の奥をツンとさせる。
私が私らしく外を駆け回り、伸びやかに言いたいことをいい、思いきり深呼吸をし、大きい声で笑うと……嫌われる。ひとりぼっちになる。ダメだって言われる。そう思いこむようになった。
私は思った。「自己中心的じゃないって、どういうことなんだろう?」「優しいって、どういう状態のことを言うんだろう?」「思いやるって、何?」
段々、好きなことは隠すようになったし、できるだけ自分の意見はしまうように心がけた。わがままは言わない、自己中心的なことはしない、周りと違うことはしない。
こうして学生時代の後半は、「どうしたら、この楽しそうな“仲間っぽい”ものの中で浮かずに、うまく紛れ込んで、ちゃんと“仲間っぽく”していられるんだろう」と、いつもそわそわしていた。この笑い方で合ってる? この話す分量はこれぐらいで間違ってない? ちゃんと相手の話を理解できているかな? ねえ、大丈夫? 私はちゃんと、「みんな」の中に紛れこむことができている? そう怯え、いつも正解を確かめるように過ごしていた。
それは働くようになってからも同じだった。特にフリーランスになってから苦労した。取引先と、長く続く関係性を築けない。自分の主張をまったくゼロにして自分を殺して、結果疲弊してしまうこともよくあった。あるいは少し気に食わないだけで相手のせいにして、愚痴ったり、文句を言ったりして、せっかく開拓した取引先との関係をダメにしてしまっていた。
「ギブ、ギブ、ギブ。ぜんぶあげるのよ」
ある時、一緒にお仕事をさせていただくことになった経営ストラテジストの坂之上洋子さんにこんなことを言われた。「徹底的にギブするのよ。ギブ、ギブ、ギブ。ぜんぶ相手にあげるの。喧嘩してる場合じゃない! みんな味方にするの。そうしたら、40代がまったく違ってくるから」。その時私は、31歳になっていた。
脳天を貫かれたような衝撃だった……気がする。「徹底的にギブする」なんて発想、まったく持ったことがなかったからだ。
しかし、恥ずかしながらその時の私は、洋子さんの言葉の意味に腹落ちはしていなかった。未熟だった私は「よくわからないから、まあいいや」と、そのアドバイスを、スルーしてしまった。せっかくヒントをいただいていたのにもったいない……。そして「答えあわせ」はもう少し先に訪れることになるのだった。
坂之上さんがくれた「ギブ」という言葉についてきちんと考え、行動に打って出ることを決意したのは、それから1年半後、子どもを出産した後のことだ。活躍している周りがうらやましい。このままの自分じゃ取り残される、何もできないまま終わっていく。じゃあどうしよう。変わるんだ。習慣を変えれば、人は変わる。「自分の我は全部置いておく」。そう決めた。青いペンでそこら辺のコピー用紙に「自分の我は全部置いておく」と殴り書きして、スマホで撮って待ち受けにした。名刺入れには、坂之上さんから教えていただいた『逆説の10カ条』をプリントして挟んだ。そして、徹底的に「ギブ」してみることに決めた。
がむしゃらに「ギブ」したら、「自分らしさ」の意味がやっとわかった。
しかし、だ。何をしたらいいかわからない。まずはとにかく友だちに会うたびに「ちょっとしたプレゼントを渡す」ことにした。300円のコンビニチョコ、500円のハンカチ。何でもいい。これなら私でも、確実にできる。それから次は、誰かの幸せを徹底的に喜ぶ。お誕生日、仕事がうまくいったこと、出産・結婚祝い。おめでたいことだし、言われて嫌な人はいないだろうから、安心して言えた。
それから、何か頼まれごとをしたら全力で応えることにした。ちょっとした悩みごと相談、あれをやって欲しい、これできない? ご飯行くんだけど、いいお店セッティングして? 仕事でも、ママ友さんの付き合いでも、友だちでも。全員にした。
仕事では「自分はこうしたい」というのは、いったん横に置いておくことにした。「端を楽にする(=はたらく)」ことに徹しようと考えた。私の仕事は、自分のやりたいことを実現することじゃない。依頼してくれた方の思いを叶えることだ。そう考えた。
「押しつけではないだろうか?」「相手の思いに応えていないのでは?」「ああ、また余計なことをした、またやりすぎてしまった」 頭を抱え、そう悶絶することばかりだった。
つたない「ギブ」もあっただろう、解決なんかしてほしくない相談に、解決策を提示して失敗したこともある。「そんなにたくさんの情報量、ついていけない」と言われたこともある。「端を楽にするのがフリーランス!」と思いながら、実力のない自分と理想のギャップに悩んだこともたくさんあった。
でも、めげなかった。「そっか、私のやり方が間違ってたんだ。どうしたらうまくできるかな」「今までギブすることをさぼってきたから、経験値が足りないだけなんだ。大丈夫、やったら違う世界が見える」 なぜか、そんな風に思えたのだ。
それを3年ほど繰り返した今。実は驚くことが起こっている。「あなたは、あなたらしくいてください」、そう言ってくれる人たちが、現れだしたのだ。
「あの時、かなこさんにしてもらったこと、心強かったんですよ。いつも助けてくれてありがとう」「あの時、あなたが差し伸べてくれた手は、希望の光でした」「かなこちゃん、意外とあなたは周りに愛されてるよ。大丈夫」「ねえ、石川さん。いつでも何でも言ってください。エネルギー多いタイプ最高です!」
びっくりした。お礼を言われようとか、誰かのためになろうとか、全く考えていなかった。ただ、変わりたかった。そしてただ「こうしたら、嬉しいかな?」と思ったことをやりたかった。
そんな風にギブすることを繰り返して、気付いたら「自分らしさ」の定義まで変わっていた。
他人に「癒やし」てもらったコンプレックスを、今度は「癒やす」番になりたい。
「自分らしさとは、どんどんまわりの力になって、私自身にとっても、楽しいことをどんどんやる、この2つを両立させる中で生まれる」。
以前は、「自分だけが、自分らしく息を吸い、自分の意見を言い、自分の主張を通す」ことが自分らしさだと勘違いしていた。だけど、「自分らしさ」の定義が変わったら、「あなたらしくいてください」と言ってくれる人が溢れ出した。
今、私には「あなたがあなたらしくても、絶対に手を離さない」と手を伸ばしてくれる友人・知人、そして仕事仲間がいる。「ママ、今日もかわいいよ。僕のお姫様」と無償の愛で、毎朝キスしてくれる息子がいる。
5歳のあの日、小学生のあの時、高校生の初夏。泣いていた私にこっそり耳打ちして教えてあげたい。「あのね、36歳になったら、もう泣かなくて良くなるよ、良かったね」。あの頃の、小さくて自信のなかった私に歩み寄って、同じ目線にしゃがんで手を差し伸べて、涙を拭いてあげたい。
この特集のテーマである「人はコンプレックスとどう向き合うべきか?」という問いに、私は「時間をかけて癒やしていく」と、答えたい。
人が抱えるコンプレックスは1種類ではない。
例えば、私が幼少期から悩まされた「そばかす」というコンプレックスは、様々な価値観や美意識をもった友人たちとの出会いなどによって、だんだんと解決することができた。だけど、私の根っこに深く巣くって、心を蝕んでいた「私らしくいてはいけない」というコンプレックスは、そう簡単に解決できるものではなかった。
「どうすれば私は他者に受け入れられるのか」。子どもの頃に立てた問いに対して、長い時間をかけて答えを求め、見たくない己に向き合い、時には逃げたりしながら、陳腐な言い方をすれば……闘った。
そして36歳の今――。諦めることなく他者に手を伸ばし、他者が差し伸べてくれた救いの手を恐る恐る小さな力で握りかえすことで、このコンプレックスはようやく癒やされようとしている。
人は人で傷つくかもしれないが、助けるのも人だ。だから私も人に対して諦めない。怖いこともある。だって、またいつひとりぼっちになるかわからないから。だけど、コンプレックスで苦しんでいる誰かがいたら、「あなたは、あなたらしくいてください。私は全部受け止めます」。そう、手を差し伸べようと思っている。
癒やしてもらったコンプレックスを、今度は私が癒す側にまわりたいと思うのだ。
(文:石川香苗子 @KANAKOISHIKAWA / 編集:南 麻理江 @scmariesc)