衆議院議長が天皇陛下の詔書をこう読み上げると、衆院議員がみな万歳をする――衆議院の「解散」では毎度おなじみのシーンだ。
前回の解散時(2014年)には、当時の伊吹文明議長が「御名御璽(ぎょめいぎょじ、天皇の署名と捺印)」と言いかけたところで万歳三唱が始まり、「フライング万歳」などと呼ばれたことも記憶に新しい。
ところで、衆議院の解散時の「万歳」はいつから始まったのだろうか。そもそも、なぜ「万歳」をするのだろうか。この瞬間、衆院議員の全てが「クビ」になるというのに――。
■「クビ」になるのに、なぜ「万歳」するの?
衆議院解散時の「万歳」は明治時代からの伝統とされるが、今に至るまで「万歳をしなければならない」という法的なルールはなく、あくまで「慣例」だ。
「万歳」の理由には諸説あり、これまで以下のような説が伝えられている。
・やけっぱちの絶叫
・いちばん無難なかけ声だから
・内閣への降伏の意
・天皇陛下への万歳、詔書への崇敬
・士気を鼓舞するため
・選挙という戦場に、「万歳・突撃」する気持ち
他にも、こんなジンクスがあるそうだ。
・一番早く万歳をした人がまた国会に戻って来られる
・しっかりと大声で万歳するほど当選確率が上がる
もちろん、どれも根拠のない話だが、激しい選挙戦を前に縁起をかつぐ気持ちは理解できる。
■衆議院の解散で「万歳」、いつから始まったの?
1:はじまりは明治時代だった
国立国会図書館の「帝国議会会議録」を検索したところ、衆議院の解散時に議員が「万歳」をした旨が記されていたのは、1897(明治30)年12月25日「第11回帝国議会」での解散が最初だった。
●第11回 帝国議会衆議院本会議会議録
会議録によれば、議長は解散詔書の本文(「朕帝国憲法第七条に依り衆議院の解散を命ず」の文言)、御名御璽、詔書の日付、さらに詔書に副署した大臣の名前まで朗読していた。つまり、詔書に記されている全てを朗読していたことになる。その後、「拍手起り「万歳」と呼ぶ者あり」とある。
ただ明治期の「解散」の全てがそうだったわけではなく、会議録をみる限りはまちまちだった。
会議録の上では、解散詔書の朗読が、
・【本文】+【御名御璽】+【日付】の場合
・【本文】+【御名御璽】の場合
・そもそも散会していたため本会議で解散詔書が読まれなかった場合
などもあり、解散時の流れは様々だったようだ。
2:大正〜昭和(戦前)に「万歳」が定着
その後、大正から昭和へと時代が進むにつれて、衆議院の解散時には、
議長が本文のみを朗読⇒議員が「万歳」をする
という流れが定着したようだ。
●第35回 帝国議会衆議院本会議会議録(1914〔大正3〕年12月25日)
●第38回 帝国議会衆議院本会議会議録(1917〔大正6〕年1月25日)
●第54回 帝国議会衆議院本会議会議録(1928〔昭和3〕年1月21日)
3:戦後〜平成、そして「フライング万歳」へ
太平洋戦争を挟んで、戦後初の衆議院解散が1945年12月18日になされた。大日本帝国憲法の下では最期となったこの解散、会議録によれば戦前の慣例と異なり、議員が「万歳」をした旨の記述はなかった。
●第89回 帝国議会衆議院本会議会議録(1945〔昭和20〕年12月18日)
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○議長(島田俊雄君)御異議なしと認めます、仍て本件は承諾を與うるに決しました
諸君、只今 詔書降下の旨内閣総理大臣より伝達せられました、ここに之を拝読致します――諸君の御起立を望みます
〔総員起立〕
朕帝国憲法第七条に依り衆議院の解散を命ず
〔総員敬礼〕
○議長(島田俊雄君)是にて散会致します〔拍手〕
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その後は「馴れ合い解散」(1948年)、「抜き打ち解散」(1952年)、「バカヤロー解散」(1953年)、「天の声解散」(1955年)を経て、1958年の「話し合い解散」からは戦前の慣例(議長が解散詔書の本文のみを朗読⇒議員が「万歳」)が復活した。
この形式は1980年と1986年の解散を除き(*1)、2012年の「近いうち解散」まで、ずっと踏襲された。
ただ、これまでの慣例と大きく異なったのが、前回(2014年)の解散だ。この時は、以下のような流れだった。会議録の形式に則って書き起こしてみた。
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○議長(伊吹文明君):ただいま憲法第七条により詔書が発せられた旨、内閣総理大臣から伝達されましたので、これを朗読をいたします。
〔総員起立〕
日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。
○議長:御名...
〔万歳〕
○議長:御名御璽
平成二十六年十一月二十一日 内閣総理大臣 安倍晋三
以上です。万歳はここでやってください。
〔万歳 拍手〕
○議長:以上をもって散会いたします。
※衆議院インターネット審議中継ビデオライブラリより書き起こした。
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御名御璽、日付、内閣総理大臣の名前まで本会議で朗読されたのは、1955年の「天の声解散」以来、約60年ぶりだった。
こうしてみると、前回フライングで「万歳」をした議員は、これまでの慣例に従っただけだったのかもしれない。
ただ、公文書である会議録には、この時にフライングがあった旨、伊吹議長が「万歳はここでやってください」と発言した旨が記録として残されていない。
今回の解散で、従来の慣例にもどるのか、それともまた異なった形式になるのか。詔書の朗読と万歳の瞬間に注目だ。
【UPDATE】2017/09/28 12:10
大島理森・衆院議長が解散詔書を朗読し、衆議院が解散された。大島議長は詔書本文のみを朗読。その後、議場の議員が「万歳」をおこなった。前回解散時とは異なり、議長から「御名御璽」の言葉はなく、慣例通りの形に戻った。
【編註】
(※)読みやすさを考慮して、旧仮名遣いは新仮名遣いに、旧漢字は新漢字に直した。
(*1)1980年の「ハプニング解散」と1986年の「死んだふり解散」だ。いずれも本会議ではなく、議長応接室で解散詔書が読み上げられたため、本会議での「万歳」はなかった。