KADOKAWAとドワンゴの経営統合が14日、発表された。詳細はネット上に溢れているので、動画や、津田大介さんがひさしぶりにtsudaったやつのtogetterをご覧いただきたい。
角川歴彦氏が川上量生氏を後継者的に見ていたのは業界では周知の事実だったと思うので、会見の内容は個人的にまったく違和感はなかった。ただ、「なぜ今なのか」という思いはなくはなかった。
そもそも両社はその顧客層や商品範囲、事業の方向によい意味での親和性があり、経営統合や事業提携をしなくても、いずれにせよ深いお付きあいになる会社ではあった。恐らく川上氏が知財本部委員になったあたりから個人的信頼を深めていったのではないかと推察するが、「3年くらい前から経営統合の話はしていた」という角川氏のコメントを考えると、ここしばらくのKADOKAWAの体制変更やドワンゴの経営改革などの辻褄が合う。ドラマの筋書きがようやくご開帳された気分である。
しかし、それも「なぜ今なのか」の答えにはならない。
両社の親和性のポイントは、おそらく2つある。
まず一つは、どちらもそのオリジンとなった事業領域のタイクーンではなく、そうであるがゆえに、「コンテンツ」という抽象的なものに対して外連なく対峙できたこと。出版産業から出たKADOKAWAは、大手ではあるが、出版産業を背負う業界のドン、というわけではない。それは小学館や講談社に任せ、むしろKADOKAWAは出版社の枠を越えたコンテンツカンパニーを軽やかに目指してきた(角川氏が聞いたら、話は逆で、むしろ出版産業を背負って立つからこそコンテンツカンパニーを目指したのだというかもしれないが)。ドワンゴも、やはり、動画配信事業としてはYoutubeが圧倒的に強い中、ニコニコ動画を中心としたユーザーの運動を見据えて、これを支え、また企業としての活力に変えていくための様々なサービス展開を軽やかに進めてきた。出版産業をもりたてなくては、動画配信産業をもりたてなくてはと、既存のパラダイムに固執せざるを得ない企業にならずに済んだことは、両社にとって極めてプラスだったろう。
そしてもう一つは、両社がよく似た、文化的中産階級とも呼ぶべき顧客層を持っていたことである。コンテンツの消費意欲は旺盛だがそれだけに留まらず、発信意欲も旺盛で、けれども全てをフルスクラッチするほど技術と気合いはなく、むしろ何らかの元コンテンツを共有し、流用しながら自分なりのコンテンツを作り出し、発信していく人たち。彼らの単純な消費者でもなく、単純なクリエイタでもなく、その両方であるが故に生まれる相互作用を見続けていたことは、両社の、そして角川氏と川上氏という二人の個人の間を強く結びつけていただろう。
そういう意味で、出版界とネット業界と出自は違うのだが、二人と二社は「同志」なのである。その顧客の相互作用そのものを事業の活力としたい二社にとって、それをリアル化するニコニコ超会議は共通の子供のようなもので、だからこそ川上氏は日経新聞がドワンゴをイベント会社として紹介したことをむしろ「光栄」と表現したのだろう。
そこから導き出されるいくつものこと、例えば、津田大介氏が指摘する「日本のエンタメ系サブカルとネットカルチャーがほぼKADOKAWAに巻き取られる」とか、会見で指摘された、それで「オープンなプラットフォームと言っても角川色が付く」とかいうことについてはあまり触れなくてもよいと思う。独占性の問題は、逆に全体のフレームワークをどう設定するかという技巧的なもの(独占禁止法的には「市場画定問題」という)で、それはユーザーの反応を見ながら調整していけばよく、あまり問題にならないだろうと思うからだ。こうしたコンテンツ産業の伝統的視点からは、すでにメディア形式(映画、テレビ、書籍etc)で顧客がクラスタを作る時代でもなく、むしろ消費/共創するコンテンツジャンル毎に顧客がクラスタを自分で形成する時代である。ジャンルベースのプラットフォームをプロデュースすることで、KADOKAWAにもドワンゴにも相乗的なコンテンツの収益力が生まれる可能性に期待したいと思う。
しかし、そうしたことはややどうでもよくて(笑)、むしろ筆者が期待するのは、これでエンタメ産業の知的財産ルールの領域によい動きがでることだ。
報道でもあるとおり、TPP協定交渉が現在進んでいるが、その対象に著作権分野の制度共通化も含まれている。中でも、著作権法違反行為の非親告罪化は重要である。文化的中産階級にとって、創作における外部コンテンツの利用は不可欠かつ核心的なものであって、それをわかっているからこそコンテンツパブリッシャはユーザーのそうした行為について寛大に取り扱ってきた。法制度上は、民法、刑法両面で著作者の提起がなければ手続が進まない設計だったからこそ、このやり方は有効だった。ところが、非親告罪化となれば警察の判断で刑事処分が進む可能性がでてきてしまう。あくまで可能性だが、それを恐れてユーザーが萎縮してしまい、せっかくの相互作用活力が削がれてしまっては、確かにこの文化的中産階級こそが様々な日本の創造性の苗床である点に鑑みると望ましいことではない。
まだTPP協定交渉が決着しておらず、それによる国内法制の変更の具体像が見えていない現状ではなんとも言いようがないのだが、著作者自身が予め利用に関する意思表示をすることで、著作権法違反の違法性の具体的領域を制御し、それによってユーザーが「安全範囲」をわかるようにすることで、この相互作用活力への悪影響を最小化する方法の模索が始まっている。赤松健氏の提案する「同人マーク」もそうだし、ドワンゴが提案する「ニコニコモンズ」もそうである。
従来の出版社やテレビ局は、ごく一部の例外やイベント的開放は別として、こういうユーザーの創作行為への明示的開放を行っていない。そこには、コンテンツ毎に違う開放の態様についていちいち調整をする手間を背負いたくないとか、それを具体的に表示する方法もないとか、まぁいろいろな事情がある。もし、KADOKAWAとドワンゴが生み出すメディア/プラットフォームがオープンで、国内市場を主導する地位を確立できるとしたら、ユーザーの相互作用活力を第一に考える両社だからこそ、ユーザーの側に立って(産業側には悪役を敢えて演じて)、適切な条項をそのメディア/プラットフォームにコンテンツを投ずる事業者に載せる条件として飲ませることができれば、この懸念は解消できるかもしれない。「フェアユース」を著作権法によってではなく、契約の力で生み出すという解決法。
これは、特定領域にではあれ独占的な力を持ちうる事業者にしかできず、しかも企業として(事業部や個人の単位ではなく)何よりユーザーの相互作用活力を重視する事業者しかしない大事業である。日本や、ひょっとすると世界を見回しても、これをなし得ることはKADOKAWA以外の出版社には期待できず、ドワンゴ以外の動画配信企業には期待できないだろう。
「なぜ今なのか」。別にTPP協定交渉があったから今やったわけではないと思うが、少なくとも、こうしたものも含めて結果的にこの統合がよいタイミングであった、とは言えると筆者は思う。
そういう意味では、KADOKAWAとドワンゴの統合は、単に「リアル(出版)とネット(配信)の融合」というに留まらず、エンタメ産業の全生態系の中で今必要な回路が形成できるかどうか、ひいては全生態系の将来を考える上で極めて期待度の高い事業が始まったとみるべきなのだろう。その向こうに、例えばドワンゴのユーザー文化推進部的な動きが、KADOKAWAの伝統的マンガ編集部システムにどう影響を与えるかとか、例えばドワンゴのクリエイター奨励プログラムがKADOKAWAのメカニズムと連携することでどれほど伸びるかとか、より具体的なエンタメ産業の全生態系に関わる変化が生まれてくるかもしれない。
カドンゴ(KADOKAWA・DWANGO)の動きから目が離せない。