※この記事ではコロナ禍での医療現場の写真を紹介します。ストレスを感じる方がいらっしゃる可能性があるため注意してご覧ください
医療スタッフは使命感だけで持ち堪えていた
2020年4月。
最初の緊急事態宣言の直後、写真家・渋谷敦志さんのもとに日本赤十字社から電話があった。新型コロナウイルス感染症の対応にあたる病院を取材する意思はあるか、という問いに、「あります」と即答した。
「医療崩壊」という言葉が飛び交う中、現場ではじっさいに何が起きているのか。自分の目で見て、可能な限り「一次情報」を伝える努力をしなければという想いに突き動かされた。
渋谷さんが取材したのは、東京都武蔵野市にある武蔵野赤十字病院。
重篤のコロナ患者を受け入れるHCU(高度治療室)に入った時、ちょうど、騒然とした雰囲気の中で、数人のスタッフがストレッチャーを囲んでいる様子を目にした。なにをしているのかはわからなかったが、白い袋が載せられたストレッチャーがこちらに向かって来た時、とっさにシャッターを切った。
隣にいた医療スタッフが「ご遺体です」と教えてくれた。これが病棟での最初の写真となった。「パンデミック」がこの時、ひりつくような現実となって渋谷さんを襲った。
武蔵野赤十字病院は、日本で最も早い段階からコロナ患者を受け入れてきた病院のひとつ。一般病棟を新型コロナウイルス専用病棟に変え、フェイスシールドやマスクなどの物資も、人材もひっ迫する中、総力戦で対応にあたってきた。
病棟の中で、渋谷さんは、壁に「明けない夜はない」という言葉が掲げられているのを見つけた。スタッフたちはこの言葉で互いを励まし合ってモチベーションを維持し、患者のケアにあたっていたが、使命感だけで乗り切るには難しい状態になりつつあった。
写真は役に立つのか? 葛藤しつづけた
「『見る』。それが写真家の仕事です。でも、現場で見れば見るほど、結局自分はなんの役にも立っていないという事実が浮き彫りになって、はたして『見る』だけでいいのかという葛藤が今もあります」
1999年、写真家として活動を始めた頃から、この葛藤は渋谷さんを苛んできた。「国境なき医師団」の取材でアフリカ・アジアの数々の国に赴き、飢餓、貧困、戦争、暴力など、壮絶な状況の中で困難に直面する人々の姿を撮り続けてきた。
「ふっきれたのは東日本大震災を取材した時でした。カメラを持って被災地に立ち、撮るか、やめるかと自分に問い、撮ると決めたのです。それ以前から、報道写真と人道支援を組み合わせるスタイルを模索していましたが、その過程で日本赤十字社ともつながりました。
写真は何かを変えることはできなくても、考え続けるきっかけをつくることはできる、という思いがあります」
医療支援の現場で働く人たちと接してきた経験から、ずっと医療従事者へのリスペクト、シンパシーがあった。写真をやめて医療従事者になりたいと思っていた時期もあったという。
また、妻が看護師ということもあって、このコロナ禍での医療従事者たちを取り巻く厳しい状況は、決して他人事とは思えなかった。
PCR検査を嫌がる患者も…
5月13日、北海道の遠軽町にある福祉施設「向陽園」を訪れた。知的障害を抱える入所者が暮らすこの施設で、新型コロナのクラスター(感染者集団)が起きていた。入所者が別の病気で入院していた病院でクラスターが発生し、帰園後に発症したことが始まりだ。
一般的に、知的障害のある人は不慣れな環境に適応しづらく、食事や排泄などのケアで濃厚接触が避けられないなどの事情から、一般病院での入院治療が難しいという課題があった。自力での対応を迫られた園が孤立無援状態に陥っていることを聞いた北見赤十字病院は、医療チームを結成し、施設を病院化して感染を封じ込める支援を開始する。
「そこもまたコロナ禍との戦いの最前線だった」と渋谷さんは自身の取材を振り返る。
綿棒で鼻の奥の粘膜をぬぐわれるPCR検査は決して気持ちのいいものではない。入所者の中には検査を怖がる人もいた。しかし、命に関わる状況だ。検体を適切に採取するため、ときには検査技師や看護師たちが3人がかりで患者の体を抑えなければならないこともあった。
恐れていた「コロナ禍での自然災害」の現場
令和2年7月、豪雨災害に襲われた熊本県を訪れた。
日本赤十字社が、熊本県の球磨川の氾濫により甚大な被害を受けた人吉市を中心に救護活動を開始していた。
コロナ禍での自然災害という、恐れていた複合災害がついに起きてしまった。スタッフは全員、使用する資機材や移動車もこまめに消毒しながら活動した。マスクなどの物資の配布、避難所が密になっていないかなどの状況把握も行なった。
渋谷さんは救護班とともに、避難所や孤立集落を取材。年配の人たちの多くは1965年の球磨川の氾濫を覚えていたが、今回の災害はその想像を上回る被害をもたらした。
自然災害が激甚化していることは近年指摘されている。新型コロナへの対応に合わせて、高齢化の進む地域社会で、災害時に新しい対応が必要になっていることを、改めて考えさせられた。
写真は、「どういう社会を目指したいか」を想像するきっかけに
新型コロナに翻弄された2020年、自らの取材を渋谷さんに振り返ってもらった。
「過酷な状況で身を粉にして働く人たちの姿に、僕はいつも胸を打たれます。でも、彼女ら、彼らは決して『感謝して』なんて言わない。言うわけがない。目の前にいる患者の痛みや苦しみを和らげ、元の生活に戻れるよう懸命に支援しているだけです。そんな人たちの姿を広く知ってもらうために、非医療者である僕が写真と言葉で伝えることで“見える化”し、みんなで考えるべき社会の課題にしたいと思っています」
「医療現場の人たちはとてもモチベーションが高いし、看護やケアの仕事にやりがいを感じて働いています。そのやりがいを押しつぶさない環境を社会全体でつくっていかなければならない。
『助けること』と、それを『伝えること』は車の両輪みたいなもので、どちらか一方が欠けても車は前に進まない。それが僕の基本的な考え方です。そして、ポストコロナの時代に、その車がどこへ向かうか──つまり、どういう社会を目指すべきなのかと想像することは、医療やメディアに関わる人だけでなく、この社会のすべてのメンバーによってなされなければならないことだと思います」
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日本赤十字社は、災害救護活動、献血による血液事業、救急法などの講習、ボランティア育成事業など幅広い活動を実施しています。
新型コロナウイルス対策としては、全国の赤十字病院を中心に、治療や感染拡大防止のための活動に取り組んできました。
5月は赤十字運動月間。ぜひこの機会に、多くの方に活動を知っていただければと願っています。
赤十字運動月間の特設サイトはこちらから