「自分たちは人間としての扱いを受けていない。国際人道法、人権はどこにいってしまったんだ――」
2023年10月7日。イスラエルとガザの武力衝突は瞬く間に拡大。激しさを増し、レバノンをはじめとする周辺国にも波及している。
その被害は民間人やインフラにも及び、国際人道法(※)が守られないケースも頻発している。現地の人道状況は刻一刻と悪化し、懸命な救援活動が続けられている。
中東地域の紛争について、現地の様子を知る日本赤十字社・中東地域代表部の松永一さんと青山寿美香さんに話を聞いた。
イスラエル、ガザ、レバノンの現状。深刻な人道危機と赤十字の活動
―イスラエルとガザの紛争が激化して1年が経ちました。現在の状況は?
松永さん(以下、敬称略):2023年10月7日に武力衝突が起こり、イスラエルでは、わずか数時間で約1200人が亡くなりました。その多くは民間人です。
さらに251人が人質としてガザに連れ去られ、今も101人が拘束されています(2024年10月25日時点)。また、北部地域の110万人を超える人びとが、1年以上にわたり避難生活を続けています。
イスラエルではミサイル攻撃が検知されると、スマートフォンの警報アラートが鳴るのですが、2024年10月15日だけで607回も発報されました。今も毎日少なくとも80回以上のアラームが鳴り響いています。強いトラウマ症状を訴える人も少なくありません。
一方、国連によるとガザでは、2023年10月から4万3000人が被弾による負傷などが原因で亡くなりました(11月5日時点)。
加えて、飢餓や、慢性疾患の治療や人工透析を受けられなかったことなど、武力衝突がもたらした間接的な要因で亡くなった人びとを含めると、さらに多くの人が命を落としていることになります(※)。
さらに、約1万7000人の子どもたちが孤児になり、食料不足によって約200万人の人びとが自宅を離れ、ガザ域内で何度も移動を繰り返しての避難生活を余儀なくされています。
―イスラエル・ガザ人道危機に際し、赤十字はどのような活動をしているのでしょう?
松永:まず、イスラエルの赤十字社であるイスラエル・ダビデの赤盾社は、救急車による傷病者の搬送や、輸血のための献血者の受入れ、採血や血液製剤の製造などの血液事業、その他避難民への対応をおこなっています。さらに、病院のNICU(新生児の集中治療室)にいる新生児などにむけて、「母乳バンク」も提供しています。
一方、ガザにおいては、パレスチナ赤新月社(パレスチナの赤十字社)が病院や救急車の運営をしたり、ヘルスポスト(※)で治療にあたったりしています。
また、赤十字国際委員会(ICRC)は各国の赤十字社・赤新月社と協力し、野外病院を設置。日赤は、手術室とリハビリテーションの機材を提供しました。
―9月17日以降、レバノンでも武力衝突が激化しています。レバノンの状況は?
松永:レバノンでは、ここ1ヵ月(取材当時)で武力衝突が激化。昨年の10月から今年の9月4日までは591人だった死者数が、突如2400人まで跳ね上がりました。2600人ほどだった負傷者数も、約1万1000人まで増加しています。
「世界一、国民1人当たりの難民受け入れ数が多い国」と呼ばれるように、レバノンは難民が非常に多い国。もともとシリア国内の紛争によってレバノンへ逃れてきた人びとが、今回の武力衝突によって、またシリアへ避難するという事態が起きています(※)。
―レバノンにおける日本赤十字社の支援活動は?
青山さん(以下、敬称略):国連によるとレバノンには、約49万人のパレスチナ難民がいると言われ、12の難民キャンプがあります。
日赤は、パレスチナ赤新月社レバノン支部にある5つの病院と4つのクリニック、6つのヘルスセンターで、現地の医療サービスを支えています。
同病院やクリニックなどで働く医師や薬剤師の多くは、海外の大学で医療を学び、意欲を持って祖国に帰り働いています。しかし、難民であるがゆえ、スキルアップの機会が十分に得られていません。
一方、若い世代の人たちは海外の大学を卒業した後、そのまま現地の医療機関で働くケースも多いです。結果的に、レバノンでは医療従事者が高齢化し、専門性の高い知識や技術を持ったスタッフが少ないことが問題になっています。
こうした課題に対し、日赤は「医療サービスの質の向上」を目標に掲げ、2018年に平時の医療支援事業を開始。日赤の医師や看護師などをレバノンの難民キャンプ内にある病院に派遣。現地のニーズをアセスメントしたうえで、医師や看護師などへ適切な指導をおこなってきました。
昨年10月の武力衝突以降、こうした病院での支援活動の継続が困難になりました。現在(2024年10月末時点)、日赤はレバノン国内の大学の協力を取り付け、パレスチナ赤新月社とともに医療従事者への研修を支援。主に、診断技術の向上や麻酔技師養成を目指しています。
「衝突が激化したから終わり」ではなく、どうにかして支援を続けるため、パレスチナ赤新月社と協力しながら今も取り組みを進めています。
「人間としての扱いを受けていない」国際人道法の遵守を訴える
―なぜ日本赤十字社では、遠く離れた中東の紛争地域で人道支援をしているのでしょう?
松永:赤十字には「困っている人がいれば、地域に関係なく、分け隔てなく助けましょう」という原則があります。そして、この考えは赤十字の起源に関わっています。
そもそも赤十字は、アンリー・デュナンが1859年にイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで、中立的に負傷者の救護をしたことが発端となり創設されました。
「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない」という思いから始まっています。
この人道を重んじる赤十字の思想が多くの人びとの共感を得て、現在は191の国と地域に赤十字・赤新月社を持つ団体になっています。私たち日本赤十字社もその一つです。
―昨今の紛争では、国際人道法が守られないケースが増えていると聞きます。
松永:イスラエル・ガザ人道危機は、民間人への被害が深刻なだけでなく、赤十字・赤新月社に従事している職員の殉職も非常に多いです。パレスチナ赤新月社で21人、イスラエル・ダビデの赤盾社でも6人が殉職しました。
赤十字や赤新月のマークを掲げた救急車や病院が攻撃を受けています。
国際人道法には「医療要員、施設、機材等を保護する赤十字などの標章を尊重、保護する」という取り決めがあるにも関わらず、それが遵守されていない。その事実に衝撃を受けました(※)。
ガザの野外病院では、私とかつて一緒に働いていたパレスチナ人の職員が看護師として勤務しています。彼は1年が経った今も「自分たちは人間としての扱いを受けていない」「国際人道法はどこにいったんだ。人権はどこにいってしまったんだ――」そう訴えています。
まずは「伝えてほしい」。日本にいる、私たちにできること
―武力衝突が激化し先が見えないなか、日本にいる私たちにできることはありますか?
青山:このような悲しい出来事が世界で起こっていることを知っていただき、心を寄せていただくことがすべてではないか、と思います。
「同じことが自分の家族に起こったらどうしよう」そう思いを馳せることは、紛争や人道支援について知り、考えるためのアクションに繋がると思います。
中東地域の人道危機は、違う世界の話に聞こえるかもしれません。しかし、実は日本のアニメや漫画は中東ですごく人気です。また、「日本人に会ったら、本当に素晴らしい人たちだった」と話してくれたパレスチナ人の方もいます。
思っているよりもずっと身近な世界、身近な人たちに起きている出来事なんです。
松永:現地職員の言葉ですが、まずは「(あなたが知った世界の現実について)伝えてほしい」。そして「忘れないでほしい」。
今まさに支援が足りていない、そして、戦闘が止まらない現実があるのは、この人道危機について十分に伝わっていないからではないか。現地職員の言葉には、こうした思いが込められています。
紛争など、自身の手に負えない大きな困難に直面すると、人は「他の人に伝え、助けを求める」気持ちが生まれるのではないでしょうか。
日赤には「人間を救うのは、人間だ。」というスローガンがあります。中東で起こっていることについて知ることや伝えることは、人道支援への貢献に繋がります。もし我々のスローガンに共感していただけたなら、いのちと尊厳を守る日赤の活動をぜひ支援していただきたいです。
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日本赤十字社は、イスラエル・ガザ人道危機をはじめ、世界各地の紛争や自然災害、病気、食料危機などで苦しむ人びとのいのちと健康、尊厳を守るため、募金キャンペーン「NHK海外たすけあい」を12月1日から25日まで展開している。
松永さんと青山さんの言葉通り、「紛争」と聞くと、遠く離れた世界の出来事のように感じてしまうこともある。
しかし、この人道危機を「同じ人間の問題」として見つめ直し、心を馳せてみる。すると、日本に住む私たちにもできることがあると気付かされる。それは「知ること」や「伝えること」かもしれないし、金銭的な支援かもしれない――。
NHK海外たすけあいは、そんな私たちができる「たすけあい」に一歩踏みだすきっかけになるのではないだろうか。
「NHK海外たすけあい」の詳細は日本赤十字社の特設サイトをご覧ください。
【プロフィール】
日赤中東地域代表部首席代表 松永一(まつなが・はじめ)さん
2008年から1年間インドネシア・ジャワ島地震復興支援のため現地にて勤務、2009年からは国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)で勤務し、フィリピン、パキスタン、ネパール、ラオス、中国、インドにて活動。22年から現職。ベイルートに赴任し、中東地域全体を管轄。
日赤中東地域代表部副代表 青山寿美香(あおやま・すみか)さん
2022年の約半年間および24年1月からベイルートで勤務。パレスチナ赤新月社レバノン支部とともに難民の支援などに従事している。これまでにアフリカやアジアで医療職としての支援活動を経験。
取材・文:林慶、大橋翠