病に苦しむ患者や命がけで働く医療従事者など、最前線にいる人たちの姿を私たちの元に届けるのが、世界中のフォトジャーナリストたちが撮った写真だ。
ピューリッツァー賞を受賞したゲッティイメージズのジョン・ムーア氏も、感染者数が最も多いアメリカで撮影を続けている。
約30年にわたって世界の危機の最前線に立ってきたムーア氏。危険な状況であっても写真を撮り続けることは、社会にとって非常に重要な意味があると話す。
私たちには、撮影を続ける義務がある
危機的な状況で撮影を続けることは、なぜ大切なのでしょう?――単刀直入な質問への答えを、ムーア氏は「義務」という言葉を使って説明する。
「世界の危機的な状況を人々に知ってもらうために、フォトジャーナリストにはレンズの先にあるものを伝える義務があると私は思います」
そしてそれは、新型コロナウイルスで自宅待機が求められている状況でも変わらないという。
「新型コロナ危機の最前線で撮影した写真の多くは、胸が張り裂けるような現実を伝えるものです」
「しかし今起きていることを記録し、耐え難いほどの痛みを伝えること、そして人間の勇敢さや誰かの命を助けようとする英雄的な行為といった希望を伝えることには、とても重要な意味があるのです」
ムーア氏はこれまで、中東戦争やエボラ出血熱といった様々な世界の危機を撮影してきた。
最も有名な彼の写真の一つが、2018年にアメリカとメキシコの国境沿いで撮影した、母を見上げて泣く女の子の写真だろう。
トランプ政権は当時、入国書類を持たずに国境を越えようとする移民に対して「ゼロ・トレランス政策(一切容認しない)」をとり、親を拘束して刑事訴追する一方で、子どもたちは親から引き離して別の保護施設に収容した。
ムーア氏が撮影したホンジュラス出身の2歳の女の子ヤネラ・サンチェスさんは、拘束の過程で母親と一緒にいることができたが、母が国境パトロールに拘束されボディチェックをされるのを見て、泣き出した。
ヤネラさんが泣き叫ぶ写真は世界中のメディアに取り上げられ、多くの人がゼロ・トレランス政策に怒りの声をあげるきっかけになった。
そして写真が撮影されてから約1週間後の6月20日、トランプ大統領は親子をともに収容する大統領令に署名した。
この写真が2019年の「世界報道写真大賞」に選ばれた時、審査員のポール・モークレー氏は「写真は見ただけで私たちにストーリーを伝え、同時に強いつながりを感じさせる」とコメントしている。
危機、そして希望。
ムーア氏は今、感染者の多いニューヨーク市郊外やコネチカット州スタンフォードで、自主隔離をする家族や緊急医療班、そして命を危険にさらして働くICUの医療スタッフらを撮影している。
最初に自主隔離中の家族や移民の家族を撮り始めた理由を、「問題をより身近に感じてもらいたいから」とムーア氏は説明する。
中でも、ムーア氏の印象に強く残っているのが、グアテマラから亡命してきたザリーさん一家だ。
ザリーさんは妊娠8カ月で新型コロナウイルスに感染し、重症化して病院に運ばれた。
緊急帝王切開で赤ちゃんは無事生まれたものの、出産後もザリーさんの状況は改善せず、昏睡状態が続いた。
赤ちゃんのネイザルさんは健康体だったが、ザリーさんの夫のマービンさんと7歳の息子のジュニアさんも新型コロナウイルスに感染していたため、ネイザルさんは父と兄の待つ自宅に戻ることができなかった。
苦境に立たされた一家に助けの手を差し伸べたのが、ジュニアさんが通う小学校の先生、ルシアナ・リラさんだ。リラさんは家族が回復するまで、ネイザルさんの面倒を見ることになった。
昏睡状態が続いていたザリーさんは、3週間目に治療の一つが功を奏して回復。人工呼吸器が外れて数日後に、自宅に戻ることができた。
しかしまだ、家族3人ともに新型コロナウイルスの検査結果が陽性だったため、ネイザルさんは家族から離れて、リラさんの家にとどまらなければならなかった。
家族が自宅隔離を続ける間、リラさんは自宅で小学生たちに遠隔授業をしながら、ネイザルさんの世話を続けた。
ザリーさん一家を支えたのは、リラさんだけではなかった、とムーアさんは話す。
「救急車の費用は、移民支援NPO『ビルディング・ワン・コミュニティ(B1C)』が負担しました。B1Cは隔離されているザリーさんたち家族に、食料や物資の援助も続けました」
一家は5月上旬に新型コロナウイルスの再検査を受け、全員の陰性が確認された。
そしてザリーさんたちは産後6週間目に、初めてネイザルさんを抱くことができた。
コミュニケーションと自己防衛
遠く離れた場所で起きたストーリーが、そこにいる人たちの感情とともに伝わってくるようなムーア氏の写真。
重要な写真を撮るため、そして人々に自分の存在を心地よく感じてもらうためにも「コミュニケーションが鍵となる」とムーア氏は説明する。
「撮影を始める前には、撮影する人たちとできるだけ話す時間を作るようにしています」
「例えば、(緊急医療班を撮影する時には)救急隊長のAJ・ブリオーンズさんに、私が個人用防護具(PPE)を適切に着用する準備ができていることや、重要な仕事をしている医療従事者の邪魔にならないようにする方法を理解していることを、長時間かけて伝えました」
アメリカでは個人情報保護法があるため、病院での撮影は必ずしも簡単ではない。しかし病院や診療所から許可をもらい、患者の顔を見えないようにしておけば、撮影は可能だという。
フォトジャーナリストにとって、自分自身を守るための対策もまた、非常に重要になってくる。新型コロナウイルスの取材を続けていたジャーナリストの中にも、亡くなった人たちがいる。
ムーア氏は感染の可能性がある人を撮影する際には必ず、必要なレベルのPPEを着用している。PPEを着用しながら撮影する方法は、2014年にリベリアでエボラ危機を取材していた時に学んだという。
防護のレベルは撮影現場の危険度に合わせて変えていて、感染者が多く自主隔離している家など危険度が高い場所では、防護服と顔全体を覆う防じんマスク、それに二重の手袋を着用することもある。
「防じんマスクをつけての撮影は、自分の望むようなフレームに収めるのが難しいのですが、かなり近い構図で撮影はできます」
ロックダウン下での撮影に、批判はなかったのか
新型コロナウイルスの危機では、多くの街がロックダウンになり、人々は“不要不急”の外出を控えるよう求められてきた。
そういった中でも、写真の社会的な役割が理解されているため、フォトジャーナリストへの自粛を求める社会的な空気はない、とムーア氏は説明する。
「新型コロナウイルスを現場から伝えることの重要性を、社会は理解していると私は思います」
「現在のような状況では、写真はとても重要で価値のある伝達手段です。だから私は、写真家は写真を撮影し続けるべきだと思っています」
「撮影する側にもリスクが生じますが、PPEを正しく使って必要な予防策を講じる限り、このような環境で仕事を続けることは、私にとって受け入れられるリスクです」
最前線にいながら、写真にうつらないフォトグラファーたち。同じゲッティイメージズの写真家を含め、危機下で撮影を続けている仲間を心から尊敬する、とムーア氏は語る。
「多くのフォトジャーナリストが、この危機の最前線で休むことなく写真を撮影し続けています。彼らに心からの賛辞を送ります。そして自分も、彼らに続きたいと思っています」
▼John Moore(ジョン・ムーア)/ゲッティイメージズ社員フォトグラファー、特派員。
1990 年テキサス大学を卒業後、AP通信に入社。5大陸75カ国以上の現場で撮影を経験した。2005年にゲッティイメージズに入社し、南アジア、アフリカ、中東を取材。現在はアメリカに拠点を移して、不況の波にあえぐコロラドの家族や国内の差し押さえの現場、リベリアでのエボラ熱流行の実態を伝える。
2010年以降はアメリカの移民問題に集中し、2018年にはメキシコ・アメリカ間の問題を様々な角度からとらえた写真集「Undocumented: Immigration and the Militarization of the United States-Mexico Border」を出版。
▼主な受賞歴
世界報道写真賞(4 回)2005 年ピューリッツァー賞(ニュース速報写真部門)、2018 年ルーシー賞(インパクト部 門)、ジョン・フェーバー賞、ロバート・キャパ・ゴールドメダル賞(アメリカ海外記者クラブ)、フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー(ピクチャーズ・オ ブ・ザ・イヤー・インターナショナル)、全米報道写真協会賞(NPPA)、ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワード