ゴールデンウィークも終わり、一連の会社説明会が終了した。いよいよこれから来春入社予定の学生さんの面接シーズンに突入する。
有難い事に毎年サニーサイドアップには多くの学生さんたちからの就職希望を頂く。
会社の創業期を思い出しながら、まだ夢を見ているのではないかという気持ちになることが今でもある。
"サニーサイドアップという会社を、私が母と一緒に始めたのは実は30年前、私が小学生の時でした~"というお決まりのギャグを私はこの数年、会社説明会で何十回も言い続けてきた。学生さんの反応は...ほぼない。みんなリアクションに困った顔をしている。それでも必ず説明会の冒頭には繰り返す。後ろの席では役員たちが聞こえないふりをしている。これも毎回のおきまりだ。
小学生だったというのはもちろん全くの嘘で、会社を創業したのは私が17歳の時。ただ、高校生でこの会社を起業したかと言われるとそれはちょっとばかり大袈裟な話になる。実際は、PR会社に勤めていた母がフリーランスになったものの、人を雇えるお金もなく、当時高校生だった娘と娘のクラスメイトで親友の松本理永(現在の弊社のヴァイスプレジデント)が、ちょっと手伝いなさいよっ、と半ば強制的に引きずり込まれたのが、私の仕事人生の始まりだった。
当時、離婚をしていた母は中野南口の小さなワンルームマンションで一人暮らしだった。夜になるとクロゼットから布団が出て来るという、母の住むマンションがサニーサイドアップのはじめのオフィスだった。とにかく毎日が楽しかった。学校が終わるとオフィスに向かい、ニュースリリースを書いたり、メディアに持ちまわりをしたり...。
つまらないニュースリリースでも、新聞記者の目にとまり、自分の書いたリリースを元に記事が掲載されるなんて経験を何度かでもすると、世の中に参画している実感がして、17歳の私はとにかく仕事に夢中になった。
「お母様が創られた会社ならば二代目というわけですね?」と言われる事もあるが、それは私にとって一番シャクな事でもある。なんせ昔からぶっとんでいた私の母は、私が20歳そこそこの時、生んだ娘と会社をおいてさっさと香港にお嫁に行ってしまったのだから。
正真正銘の女、子供でスタートした会社も、小さな仕事の積み重ねで頂く仕事も徐々に増え、人手が足りなくなる時を迎えた。しかし私達には求人広告を出せる金銭的な余裕などない。白い紙にマジックで
「サニーサイドアップ社員募集 時給○○○円」(その当時の時給は忘れてしまった)
と手書きで書いた紙を、中野駅から南口五差路までの電信柱に貼って、求人をしていた。社員の定義が何なのかさえもわからず採用に踏み出す常識のない私。今思えば、社員の待遇を時給で表現している時点でかなりアウトなのだが、電信柱に勝手に貼り紙をすることが東京都屋外広告物条例に違反することさえ、知るはずもなかった。
ある日、
「求人広告に空きが出たから通常5万円のところを3万円で掲載出来ます。いかがですか?」
と飛び込み広告代理店から猛烈営業がきた。人手不足は深刻だったので、これは悪い話じゃないと3万円を必死で2万円にまで値切って、サニーサイドアップ初めての求人広告を出した。求人広告は金曜日の午後に掲載される。週末はきっと問い合わせの電話がひっきりなしに鳴るんだろう。
週末のデートはキャンセルした。随分前から約束していたデートを突然キャンセルしたものだからボーイフレンドはかなり機嫌が悪そうだった。当時は携帯電話も転送サービスもない。土曜日は早起きをして会社に来て、固定電話の前で電話をひたすら待った。でも電話はうんともすんとも言わなかった。日が暮れた。そして、たった一回だけ鳴った電話を取ると
「事業資金は必要ありませんか?」
消費者金融からの勧誘だった。
日曜日も朝早くに出社して固定電話の前でじっと粘った。やっぱり電話は鳴らなかった。また日が暮れて、ようやく電話が鳴った。
「求人広告出しませんか? 空きが出たので今なら5万が3万になりますよ。」
不機嫌な顔のボーイフレンドの顔と、すごく気持ちのいい5月の週末を、曇りガラスしかないオフィスで一日中過ごした事を思い、少し泣きたくなった。
「求人広告なんてもう出しません! それより、あなたがうちで働きませんか?」
求人広告の営業マンに逆ギレして反対にリクルートしてやった。
その頃。こんな小さな小さな会社でも、愚痴も言わずに必死で働いてくれた仲間もいたけれど、採用に苦労して人材を見つけても、なかなか一筋縄ではいかない不思議な人も多かった。
ハムスターを自分の子供のように可愛がるスキンヘッドで身長190㎝のバイク乗り。
遅刻の理由は朝の幽体離脱だと真剣に言ってくる不思議ちゃん。
セクシー過ぎる女性社員。
恋に落ちる度に会社に来なくなる女性社員。
どんな風変わりな人であれ、あの頃の会社を一日でも支えてくれた人なのだから、
感謝の言葉しかないのだが、当時の私はそんな余裕はなかった。
ある日、小さな事業を営んでいた叔父に、人材不足とスタッフのスキル不足を嘆いたことがあった。
「ホント人材不足なの。まともな人が来なくて困っているんだよね。いい人いても、みんな根性ないからすぐ辞めちゃうし。」
叔父に大声で一喝された。
「お前はアホか! そんなの当たり前じゃないか! 偉そうにそんな事言うお前みたいなやつが社長の、そんなちっぽけな会社に、まともな人材がくると思う方がおこがましい!」
叔父の一言で我にかえった。
確かにそうだ。そりゃあそうだ。間違いないっ。
その日から私にはひとつの目標が出来た。いつかたくさんの人がこの会社で働きたいと思ってもらえるような、そんな会社にしたい。
あれから長い長い月日が経ち、毎年の会社説明会には、たくさんの学生さんが来てくれる。私のひとつの夢は叶ったのかもしれない。多くの学生さんが、人生の大切な選択肢として、この会社を選んでくれることを心から嬉しく思う。
学生さんにとっては、就職活動というのは一世一代の大勝負かもしれない。
でも会社を営む私たちにとっても、会社の未来を担ってくれる人財探しというのは、
どんな事業よりも大切な事業だ。
今ようやくそんな風に心から思えるようになった。
今週から徐々に面接がはじまる。
学生のみなさん、ここからはこちらも本番真剣勝負。就職は結婚と一緒だ。
受験なら優秀な人を一番上から順番にとればいいけれど、ある意味"家族探し"ともいえる就職は、両想いにならきゃうまくいかない。
面接受けのための中途半端な武勇伝を仕込んでもすぐにばれてしまうものだ。
仮にそんな小手先のばかし合い、だまし合いが通用しても、単に見た目だけに引かれて結びついたとしたら、結局は、それこそ結婚生活と同じで、最後はきっとこうつぶやいてしまう。
「こんなはずじゃなかった」
「なんちゃら面接完全マニュアル」も、時に役に立つかもしれないけれど、
その会社を本気で好きなのか、好きになれるかを一度真剣に自分に聞いてみるといい。"好きが本気"な人の書くエントリーシート、面接でのオーラは、テクニックでは紡ぎだせない迫力がある。
悪いけど、大人にはそういうことが全部見えちゃうものだ。
ちょっと偉そうかもしれないけど、実は一皮むけばすごくチャーミングで、いいものを持っているのに、素で向き合ってくれないがばかりに、お互いを知る機会もなく、すれ違ってしまう。これってものすごくもったいないし悔しい。
だからこそ、一人でも多くの学生さんが"本当の自分を出せたから悔いはない"と思えるような面接にこちらもしたいし、全員を採用することはできないけど、その時まで知らなかった学生さんと一時間お互いをさらけ出して、面と向かって話せるチャンスはそうはないのだから、サニーサイドアップを受けてくれたことで生まれるその縁も大切にしたい。
そして、会社がどんなに大きくなっても、人生の大切な選択の時に、この会社に興味を持ってくれた人たちへの感謝の気持ちを忘れちゃいけない...。
就職活動、採用活動、お互いをしっかり知り合って、大切な決断を真剣にしていきましょう。
もちろんウチだけではなく、一人でも多くの学生さんが、多くの企業さんとの未来に続く良縁に恵まれますように。