PRESENTED BY JICA

秋元才加さんが知りたい、アフリカの教育と格差。世界の問題は、日本の未来とどうつながる?

JICA海外協力隊として、日本の常識が通用しない教育現場で活動した芳岡孝将さん。世界での経験は、日本にどんな変化を起こすのだろう。
KAORI NISHIDA

今、目の前に見えているものだけが「世界」なのか ──?

「SDGs」という言葉の広がりと共に、社会課題について触れる機会が増えた。私たちの日常に「不都合」を感じさせる課題に対する関心が高まる一方、世界の現状についてはどうだろうか。

今回注目したのは、アフリカのとある国が抱える「教育」と「格差」の問題。俳優の秋元才加さんと一緒に、世界で起きていること、日本とのつながりを考えた。

世界の最貧国で起きていること

世界の「最貧国」の一つに数えられる、モザンビーク共和国。1975年にポルトガルから独立後、16年間にわたり内戦状態が続いたことにより発展が遅れ、依然として社会基盤が脆弱な地域が多い。

pawel.gaul via Getty Images

都市部と農村部の経済格差、若者の失業、少女たちの早すぎる結婚、子どもの栄養不足...。貧困につながるさまざまな要因の基盤となるのが「教育」だ。

2009年から2年間現地で活動していた芳岡孝将さん。

独立行政法人国際協力機構(JICA)が派遣するJICA海外協力隊として、学習環境の整備や教育の質の向上に努めた。帰国後は、東日本大震災の被災地で教育支援をおこなうNPOに勤務する。

世界で起きるさまざまな問題に関心を持つ秋元さんは「国際協力によって世界の問題を解決することは、私たちの生活とどんな形でつながっているのでしょうか?」と問いかける。

(写真左)秋元才加さん:俳優。2014年から母親の故郷であるフィリピンの親善大使を務める。ジェンダー、人権など世界の問題に広く関心を持つ。20年には映画でハリウッドデビューを果たした。 / (右)芳岡孝将さん:JICA海外協力隊員として2009年から11年までモザンビークで活動。帰国後、12年に認定NPO法人カタリバに入職し、宮城県女川町で活動。
(写真左)秋元才加さん:俳優。2014年から母親の故郷であるフィリピンの親善大使を務める。ジェンダー、人権など世界の問題に広く関心を持つ。20年には映画でハリウッドデビューを果たした。 / (右)芳岡孝将さん:JICA海外協力隊員として2009年から11年までモザンビークで活動。帰国後、12年に認定NPO法人カタリバに入職し、宮城県女川町で活動。
KAORI NISHIDA

── 芳岡さんがJICA海外協力隊という形で国際協力に関わろうと思った理由は?

芳岡さん(以下、芳岡) 小さい頃から、誰かの役に立つことは私にとって「楽しいこと」でした。ゴミ拾いをしながら部活の試合に向かったり、悩んでいる友人の話を聞いたり。身の回りの人だけでなく、世界中の困っている人の役に立てるような仕事をしたい、という思いは中学生の頃からありましたね。

大学で「教育」を専攻して高校教師を目指したのも、未来を担う子どもたちの役に立ちたいから。世界にはいろんな人がいて、いろんな仕事があって、たくさんの選択肢があるということを子どもたちに伝えられる機会を作れたら、と思っていました。

秋元さん(以下、秋元) 大学を卒業したらJICA海外協力隊としてアフリカに行こうと、もともと決めていたんですか?

芳岡 当時は海外に行ったことすらなかったんです。ある日、JICA海外協力隊の隊員を募集するという電車の中吊り広告を見て、「これなら、自分も世界で挑戦できそう」と。大学卒業後、すぐに応募しました。

協力隊はさまざまな職種があり、自分の能力を活かせる分野に応募ができます。「こういう人材がほしい」「こんなプロジェクトをしたい」という各国からの要請と応募者の特性を照らし合わせ、総合的に判断されます。その中から、私の派遣先として提案されたのがモザンビークでした。

秋元 初めての海外、しかも2年間の長期生活をアフリカで経験するって、緊張しませんでしたか?これまでいろんな国を訪問してきましたが、私はルワンダに行ったときが一番ドキドキしました。想像がつかないし、治安という意味でも心配で。

KAORI NISHIDA

芳岡 私もそうでした。モザンビークと聞いても全くイメージが湧かず、アフリカを旅するバックパッカーのブログを読んだらかえって不安になったのも事実。ですが、派遣されるまでに約70日間の研修があったので、現地の文化、衛生、宗教、語学...いろんなことを学び、準備ができたので安心して渡航できました。

「授業に先生が来ない」、そんな教育現場を変えるために

── モザンビークに派遣されて、現地ではどのような活動を?

芳岡 モザンビーク西部のマニカ州で、日本の中学・高校にあたる 「セカンダリースクール」に理科教師として活動していました。義務教育ではないので、比較的裕福な家庭の子どもが多いです。学校全体で生徒3000人を超えるマンモス校で、1クラス100人の生徒に対して先生が一人。午前・午後・夜間と1日に生徒が3回入れ替わる制度でした。

芳岡さんが勤務していた学校の生徒たちの様子。
芳岡さんが勤務していた学校の生徒たちの様子。
芳岡さん提供写真

マニカ州の州都、シモイオ市は国内第5の都市ですが、街中には路上生活の方々もいて、学校に通うことができない子どもも多くいます。

教育現場で最も衝撃的だったのが、日本では「不真面目」と言われるような先生が多いこと。授業を無断で欠席したり、飲酒して酔っ払った状態で教壇に立ったり。日本では考えられないですよね。

もう一つショックだったのが、「賄賂」。テストに受からないと進級できないので、採点の時期になると生徒がノートにお金を挟んで先生に渡すんです。もちろん全員が、というわけではありませんが、その現実を知った時に、まずは先生たちの意識を変えなきゃいけないなと思って。

熱心な先生の授業を見てもらったり、他校の先生と交流する場を作ったり、先生たちを「教育」するための活動が多かったですね。

私の専門である理科に関しては、海外支援で贈られた実験道具があるのに、宝物のように大切に保管されていて、使い方を誰も知らない...ということで、全く使われていなかったんです。使い方を先生たちにレクチャーし、授業で積極的に活用してもらいました。

芳岡さんが実験道具の使い方を、生徒たちに教える様子。
芳岡さんが実験道具の使い方を、生徒たちに教える様子。
芳岡さん提供写真

秋元 世界の実情を知ると、義務教育が当たり前ではない国があることに気づけます。同時に、どこに暮らしていても、平等に権利や選択肢を持てる世界になってほしいなと改めて思います。

芳岡さんの授業は、生徒たちの記憶に残り、考え方や目標を変えるきっかけにもなったんじゃないですか?

芳岡 派遣期間中は、先生、生徒と休みの日にサッカーをしたり、一緒に食事を作ったり。学校の中だけの関係ではない「信頼」を築けたことがうれしかったですし、何よりも大切なことだったんじゃないかなと。2年間で教育環境を大きく変えられたわけではありませんが、何かを残せていたらと思います。

世界を見た、私たちだからできること

秋元 「勉強したくない」と思う子どもが少なくない一方、世界には、「勉強したいのにできない」という子どもたちがたくさんいるんですよね。

幼少期に母の故郷・フィリピンを訪ねた時、両親とスラム街に行ったんです。ストリートチルドレンもいましたし、その頃から「あなたが勉強できるのは当たり前じゃないんだよ」と親に聞かされていました。大人になってからも、その光景は忘れません。  

世界を知るというのは、視野が広がること。自分の未来を作ることにもつながると思います。

ルワンダに行った時、想像以上に素敵な国で、良い意味で想像を裏切られて驚いたんです。自分の目で見て、体験することの大切さを改めて感じましたね。

 芳岡さんは現在、被災地の教育支援に携わられているとのことですが、そのきっかけは何でしたか? 

芳岡 モザンビーク滞在中に東日本大震災が起きたんです。その時から、帰国後は被災地で活動しようと決めていました。

KAORI NISHIDA

被災地の生活もまずは自分の目で見てみたいと、帰国後すぐに東北をまわりました。どんな団体がある?どんな活動がある?現地の人の生活は?というのを、1年かけて自分なりに調べ、NPO法人カタリバに入職しました。

現在は、宮城県女川町で子どもの学習支援と心のケアをおこなう「コラボ・スクール」を運営しています。放課後学校として、宿題を見たり勉強を教えたりするだけでなく、子どもたちの相談相手にもなれたらなと。

秋元 大人から手を差し伸べることで引き出せる子どもの本音の中に、実はさまざまな社会課題のタネがある気がするんです。

私は中学の頃バスケ部だったんですけど、家の事情で電車代が出せず、遠征に行けなかったんです。恥ずかしくて誰にも言えずに休み続けていたのですが、顧問の先生が「どうしたの?」「何ができる?」と向き合い続けてくれて。勇気を出して話したら、「車を出すから、試合に行こう」と言ってもらえてすごく安心したことを、今でも覚えています。

芳岡 JICA海外協力隊での活動も、現在の活動も、地域の方々に信頼されて根付いていくことが大切です。まずはいろんな人の声に耳を傾け、ニーズを理解することが必要。だからモザンビークでも、学校の外でのふれあいを大切にしていました。

秋元 世界での経験を持ち帰ってきて、日本の未来のためにも還元する。芳岡さんのお話を伺って、国際協力って、結果的に私たちの生活もより良くしていけるものなんじゃないかと感じました。私も世界で起きていることをもっと学び、「私たちの、今の生活は当たり前ではないんだよ」「私たちも、いろんな形で国際協力ができるんだよ」ということを伝えていけたらと思います。

芳岡 個人的に、日本は課題先進国だと思っています。少子高齢化率だけでなく、子どもの自殺率がこんなに高い国は他にありません。日本がそうした問題への解決策を提示できると、世界で活用・応用されていくのではないでしょうか。 

JICA海外協力隊での経験が、その一端を担っていけたらと思っています。

KAORI NISHIDA

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国際協力は、世界と日本がつながること、日本の未来を作ること。JICA海外協力隊の活動は、日本の未来につながる、世界の課題解決に貢献しています。

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