まず初めに、読者に向けて宣言させてもらいたい。
この投稿を読み終えた後、イライラしたり、腹が立ったりする人がいると思う。ここでは、私が個人的に経験したこと、聞いたこと、それから感じたことを書いている。
読者の方々には、是非正直に、思ったことや感じたことをコメントに書いて、教えていただきたいのだ。
怒りを買うことになるとは思うが、それでも書いてみたいと思った。
イタリア人らしく、少しカッコつけて言わせて貰えば、
「真実を知りたい。完全な真実ではなくとも、それに近い事実を知りたい。」
そんなジャーナリズムの精神をもって、喜んでリスクを負いたいと思っている。
ハフィントンポスト日本版の読者に向けた本音調査、といったところだろうか。読者の本音を知りたいのだ。
前置きが長くなってしまったが、私が持っている疑念、疑惑は、
『日本で女性として暮らすことは、日本で男性として暮らすことよりもラクなのか?』ということだ。
あるいは、こんな問い方もできる。
『生まれ変わって、再びこの国で生まれ育つことになったら、男性と女性、どちらになりたい?』
残念ながら、私は日本で生まれ育っていないため、自分でこの問いの答えを見つけることができない。
ただ、日本に住んでみた経験から、これだけは言える。
日本で、「男性である」ということは、タフだ。非常にタフだ。
例を一つ挙げよう。
『日本人女性と結婚したいなら、何よりもまず、貯金が必要。』
もちろん、乱暴な言い方をしているのは自覚している。そして誰もが分かっているように、個人的経験というのは特殊なもので、それを容易に一般化することはできない。
だが、この例を挙げたのには理由がある。この例に当てはまってしまったのが、私だけではないと判明したからだ。
東京にある大学で、聞き取り調査を行った。18歳から21歳の生徒、50人に質問をした。
女子の解答で最も一般的だったのは、「将来は好きな人と結婚したい。でも、好きなだけでは結婚できない。」あるいは、「ある程度お金のある人じゃないと、そもそも好きにはならない。」というものだった。
今度は、食堂のテーブルを囲んで座っていた男子の集団に尋ねる。
恋人には吉野家や松屋のような店には行って欲しくない、という話があがった。
(どうして?)イタリア人のカップルが安い店で外食するのは、普通のことだ。
理由を聞いてみると、一人がこう答えた。女の子には、いいカフェやいいレストランでいい物を食べてほしい。
(確かにね。)ただ、いい場所やいい物は、それなりにお金がかかるだろう。
「まぁ、そうですね。だから、カノジョいないんですよね」と、彼らは笑いながら言っていた。
私は福岡に3年ほど住んでいたことがある。仕事柄、カフェで過ごすことが多かった。そして、そのカフェの中で男性客が私だけという状況になることが多々あった。
他の男性客はどこにいったんだ?
答えは、夜の電車やバスで見つけた。彼らは職場にいたんだろう。
彼らは、パートナーを「いい」レストランや「いい」カフェに送り出すために、働いているのか。残念なことに、乱暴だが、私はそう思い始めてしまっている。
だが、当人の意見を聞かずして、そう簡単に一般化するのはやめておこう。
個人的な経験といえば、私の「元」カノにとっては、週に3回ディナーに連れて行き、旅行先では高級ホテルに泊まる、そんな金銭的余裕が私には無かったことが問題だったらしい。
彼女が行きついた結論は、「この男はヒッピーなんだ」ということだった。
私のプロフィール画像を見てもらいたい。ヒッピーのように見えるだろうか。
ヒッピーとは、60年代に、ウッドストックへ行って、裸で歌って、星空の下で愛を育んだ人たちのことだ。もしかしたら、5人くらいで一緒に愛し合っていたかもしれない。彼らは、社会を取り巻く価値観に捕われず、必要最低限のものだけで生きるライフスタイルを選んできた。
私が5人でしたことはあると言っても、「さすがイタリア人」って言われそうだな(笑)。だが、私がここで言いたいのは、そういうことではない。
私はヒッピーのようには見えない、とういことには納得してくれるだろう。
だが、私の元カノは、贅沢な生活を送る余裕がないというだけで、私の事を「ヒッピー」だと言った。
私が倹約家なのは事実だ。悪く言えば、ケチな方だ。一年の間でイイ服を買うのは、1枚か、多くても2枚。ユニクロで全身を揃えられるなら、私にとっては十分すぎるほどである。
ただ明らかに、フリーランスのジャーナリストとして、たとえヴァチカン市国の記者だとしても、エリートのライフスタイルを送ることはできない。だから、私は「ヒッピー」なのか?
日本語には「金の切れ目は縁の切れ目」ということわざがある、と聞いた。
日本人の、真なる答えとはいかなるものか。
この投稿を、イタリア人の友人が言った言葉で締めくくろう。
「もちろん、お金のために結婚しても幸せになれるわ。だって、安定とか安心というものを、本当の幸福と取り違えてるんだもの。」
訳:阪上 みなみ(Sakaue Minami)