気づいてみれば今日はハロウィンなんだそう。
ちょっと前にはハロウィンなんてとくに意識することも無かった気がしますけれど、昨日も渋谷では仮装された方々で大賑わいだったり、ここんとこ年々盛り上がりが高まっているのだとか。
ただ、商業主義の陰謀だ、ゴミが散乱してマナーがなってない、ハロウィンの本来の趣旨を分かってないくせに、などと批判も大きいようです。
私個人としては、新しいイベントであっても、もともとがどこかの仕掛けたブームだったとしても、みなが楽しくなれるのであれば受け入れる姿勢です。でも、確かにゴミの散乱など、他の方の迷惑になることはよろしくないですから、そのあたりの改善は今後も図っていく必要があると思います。
さて、そんな賛否両論のハロウィンですが、何気なくテレビを見ていたら、「(ハロウィンよりもまず)もっと日本の伝統的なお祭りや行事を大事にして欲しい」という意見があったんですよね。
先ほどの流れで言えば、ハロウィン否定派のご意見と言えるでしょう。
ただ、これを聞いて、私はハロウィンの賛否どうこうよりも気になってしまったことがあります。
それは、タイトルからもお察しの通り、「伝統」という言葉です。
「伝統を大事にしろ」「伝統を守れ」というフレーズ、みなさんは違和感ありませんか?
今回のハロウィン批判の流れにかぎらず、「伝統を守れ」系のフレーズはよく見られます。
文化財だったり、建物だったりといった「物」だけでなく、芸能やしきたりなどの「形のないもの」も、「伝統」の一種になり得ますね。
保守する方や継ぐ者がいなくなることで、「伝統」が失われそうになった時、「伝統を守れ」との声が上がります。
しかし、なぜ「伝統」を守らないといけないのでしょうか。
私は「伝統を守るな」と言いたいわけではありません。
そうではなくて、「伝統だから守れ」という理由付けに違和感を覚えるんです。
「伝統の素晴らしさ」は、時代を超えて長期間人々に愛され続け、厳しい選別をくぐり抜けてきたこと、と私は認識しています。
つまり、「ずっと生き残ってきた良い物であること」が価値なのだと思っています。
しかし、ここで「伝統だから守れ」と言えばどうでしょう。
これは、そのものの良し悪しからではなく、「ずっと残ってきたものだから残せ」と言っているわけです。
「良いものだから残せ」なら、現在に至っても依然としてその「伝統」が人々から高く評価されていることが担保されます。でも、「残ってきたものだから残せ」では、その「伝統」が現在でも人々から高く評価されているかどうかが不明確になります。
もし、その「伝統」が人々からすでに愛されなくなっているとしたら、「良いもの」と思われていないのだとしたら、「伝統」の素晴らしさの証拠である「時代をくぐり抜けてきたこと」の重みも薄れてしまうように私は感じます。
それは、長く時代を超えて続いてきた「伝統」が、ついに「現代」という時代は超えられそうにないということですから。
「伝統だから」と、個別の「伝統」自身の魅力でない理由から「伝統」を保護してしまっても、見た目上は「伝統」が続いているように見えるかもしれません。
しかし、それが過ぎれば、「結局、伝統だから保護されてるんだよね」「所詮、伝統だから残されてるだけなんだよね」と人々に認識されてしまい、「自力で長期間生き抜いてきた」という「伝統」全般の信頼性の根拠がゆらぐことになります。
「良い物だから」ではなく「伝統だから」と保護された時点で、自力での生存ではなくなります。これは、本質的には「自力で生き延びてきた」という「伝統」は崩れたと言うべきではないでしょうか。
時に滅びるものがあるからこそ、「残ったこと」の価値が見いだせるのであって、全てを残そうとした時点で「残ったこと」の価値は弱くなります。
「伝統」は素晴らしいものと思うならばこそ、個別の「伝統」の良し悪しに目を向けて、厳しい選抜は続けなければいけないのではないでしょうか。
「伝統だから」と伝統的なもの全体をただやみくもに守る考え方は、かえって「伝統」の価値を貶めるものと私は思います。
例えば、冒頭の話で言えば、「ハロウィンのような新参のお祭りなんてダメだ、伝統的な祭りを大事にしろ」という「伝統」を盾に「新しい物」を叩くような主張ではなく、「○○という伝統的な祭りはこういう点でハロウィンより良い」と、そのものの本質的な価値を比較するべきでしょう。
もし、時代の流れとして、 ハロウィンの方がその伝統的なお祭りよりも人々に愛されるようになっているとすれば、素直に「伝統的なお祭り」は退くべきではないでしょうか。「新人に価値 で負けたら消える」という姿勢があってこそ、「ベテランが残っていること」に重みが出るはずです。
「伝統だから残す」のではなく、
「残るから伝統」なんです。
「伝統だから残せ」「伝統だから守れ」と声高に言えば言うほど、かえって「伝統」の価値が下がっていく本末転倒になりかねません。
「伝統」を守るためにこそ、「伝統」にも厳しい目が必要、私はそう思います。
P.S.
誤解無いように明記しておきますと、人気がなくなったら完全に「伝統」を滅ぼせという話ではありません。ある種の歴史の「記録」「記憶」の一環として「伝統」を残すことはあってもよいと思います。ですから、ある程度の文化財や無形物の保護は必要と思います。
ただ、「伝統だから大事にしろ」「伝統だからもてはやせ」「伝統だから価値がある」という姿勢や、特に新しい物を叩く理由にするのには違和感があるんですよ。
なかなか価値観が分かれそうなテーマでしたが、みなさんの「伝統」との向き合い方の一助になれば幸いです。
(2337文字)
(2015年10月31日「雪見、月見、花見。」より転載)