「マムシの善三」として知られたヤメ検の弁護士さんに調査してもらったものの、疑惑を晴らすどころか、素人が想像した通り、めくら判を押すためだけに雇われた感がたっぷりで、鎮火するどころか、弁護士さん自らにも火が回って苦情の電話で事務所も大変のご様子だとか。
ご本人は「十分(調査を)尽くしたと思っている」とされていますが、舛添都知事の話を聞いただけで、裏付けを取る調査をした形跡がありません。あの発表内容では、都議会与党も引くに引けず、議会では厳しい質問が舛添都知事に投げかけられていました。
どんどん厳しく突っ込んでいただけば、都議会の議員のみなさまならずとも、政治家は、資金の使い方で襟を正さなければならないという戒めともなりそうです。
また政治資金規正法がいかにザル法なのかが連日伝えられてくると、もしかすると法改正への動きへとつながるのかもしれません。そのあたりは期待したいところです。法律そのものには問題がないというご意見もあるようですが、俺ならちゃんとできる法律だけれど、政治家や弁護士がザルにしていると言っても、現実に起こっていることにどう対処するのかの具体的な知恵が欲しいものです。
それにしても、舛添都知事は選択を間違ったように思います。過信があったのでしょうか。世間を甘く見て、策に溺れてしまったようです。危機への感度が鈍いのでしょうか。
人は万能ではないので、あれだけ常習的に公私混同を行っていたら、いくら取り繕っても、どこかで辻褄があわなくなってくるものです。どんどん追い詰められ、些細な問題まで矛盾を暴かれていきます。今辞任されると都合がよくない議会与党も、下手をすれば燃え上がる怒りの火の手に巻き込まれかねないので、追求の手を緩めるわけにいかなくなってきました。
早期に辞任していれば、これほどの大騒動にはならず、将来の道が残されたでしょうが、文春に「人間失格」の烙印まで押されてしまうと、自ら退路を絶ってしまったのではないでしょうか。第三者の目が入ればまた異なった判断もできたかと思うのですが、相談する人がいないのかも知れません。
今回のヤメ検の弁護士さんも判断を間違ってしまって、舛添都知事と一蓮托生の道を選んでしまいました。調査費用がいくらだったのかは知りませんが、今後を考えると割にあわないのではないかと思います。
本来なら、もっと議論しなければならない、重要な事案もあるのでしょうが、兵庫県の県議などの政務活動費の使い方への疑惑が脳裏に深く刻まれたままの状態で起こったことで、議論するなら「今でしょ」ということでしょうか。こちらは資金ので出口ではなく、入り口の問題でしたが、不起訴処分となったとはいえ、甘利元大臣の口利き疑惑もまだくすぶっているのでなおさらです。
政治と金はつねにつきまとう問題なのでしょうが、だからこそ国民や市民が監視できる仕組みが大切になってきます。今回も、政治資金の使途が公表されていたから、問題が発覚しました。ここは、感情に流されず、政治資金の出口に関した法改正や、国会議員や地方議員が持つさまざまな「手当」などの既得権益にもメスが入っていけばと思う限りです。そうでなければ政治への信頼が高まりません。
(2016年6月8日「大西 宏のマーケティング・エッセンス」より転載)