彼の日より沢山の皆様に応援のメッセージを頂きながら、生かされた日々を紡いで、このの2月に80を越した命がここにあることを有り難くも重く受け止めながら、感謝の気持をお伝えしたいと思います。
何の変哲もない人生の晩年に起きた最後の試練だったのでしょうか。平成23年3月11日の先年12月末、生涯の伴侶が急逝して百か日も経たぬ内に大震災と云う思いも掛けない災害を受け、終の棲家までも失った絶望に満ちた日々でした。
あの日の激しくも長い揺れは確かに異常であり、飛び出した道路にひたひたと押し寄せてきた泥水のような津波に追われて逃げた時の恐怖は、今でもしっかりと目にも心にも焼きついております。
晩年に受けた被災には、心身ともに衰えているので、立ち上がることが出来るのか身も心も萎えてしまったのです。そんな中、近くに住む家族のもとに身を寄せることが出来たのは幸いでした。東京から息子も駆けつけてくれ、重なる不幸に家族の絆は一層強まったように思いました。最初の1年は泥に埋もれながら夢中で片付けでした。地域をはじめ、自治体の動きも早く順調に復旧工事は進められ、1年半後には災害跡地に小さいながらも再建することが出来たのは有難いことでした。
自然とは時として無慈悲な苦しみを人間に被ることがあるのです。自然災害は地震ばかりではありません。ゲリラ豪雨による河川の氾濫、突風に竜巻、山地の崩落、大雪による様々な不都合、数え上げたら切りがありません。
私達の先祖はこれ等に対処しながら居住地域を工夫したり、生活自体が自然と根っこの部分で結びつけながら暮らして来ました。自然との共生――それは、未来永劫厳しいものだったはずです。
現状では科学の進歩はすさまじく、かつては戦争の武器として使った原子力を平和利用として便利さや豊かさを追求して来ましたが、現代の我々は急速に自然の脅威を忘れてしまったのではないでしょうか。
身をもって災害を受けない限り、その恐ろしさが実感できなかったのです。ひとりひとりの自己防災意識が不可欠となります。人間の造ったものに絶対神話等あるはずもないのですから。天変地異、異常気象、想定外ではすまされない地球環境は確かに変わってきているのかもしれません。
東日本大震災から丸3年。幸い復旧し日常に戻れた地域もあれば、3年経っても何一つ変わらず破壊されたままの状況が残っている地域もあるのです。それどころか、完全に失われたふるさともあるのです。人生を大きく変えられた人々は何を支えに立ち直ろうとしなければならないのでしょうか。何を云っても慰めにもならないでしょう。
大震災からの3年は長かったような短かったような。最初の2年は、立ち直るために夢中でした。3年目の今年こそは自分自身の終活に心を傾けるべきかと思います。
年を取っただけで何の取り柄もない自分ができることと言えば、健康を維持して元気で留守番をすることを目標として生きて行こうと思って居ます。
何より被災をきっかけに思わぬ方面にご縁を得たことに感謝いたして居ります。ささやかな災害でしたが、『生きてやろうじゃないの!』という本になって読んでくださった方があり、静岡県の中学校の皆さんには若い息吹と未来への夢を共に感じることが出来ました。本のさし絵を描いて下さったイラストレーターの先生には毎日のように愉快な絵葉書を頂き、お腹を抱えて笑うことが出来ました。本当にに元気を頂きました。
今日までも、そしてこれからも絆の糸を大事に、沢山のありがとうの気持ちで許される限り生きてゆきます。
夢の間に 流れを月日に 結ばれし
絆の糸の ありがたきかな
順子