日中関係、文化の力を信じバトンをつぐ

日本の映画『長江』は、シンガーソングライターのさだまさしが監督、主演した。中国で青春時代を過ごした両親の話を聞いて、幼い頃から中国に憧れを抱いていたさだは、家族の歴史と日本文化のルーツを訪ねて長江の河口から上流へと遡った。

文化の交流をたとえるならば、それはバトンリレーのようだ。誰かが差し出したバトンを受け取り、次へと手渡してつないでいく。もちろん、速さを競うのではない。素晴らしい文化を伝えたいと願う人々の思いが「良き連鎖」となって続いていくことがある。

1983年、中国中央電視台(CCTV)が放送したTVシリーズ『話説長江』は、特別な作品として中国のドキュメンタリー史に刻まれている。全長6380キロメートルに及ぶ長江は、中国の「母なる大河」と呼ばれている。このシリーズは、雄大な長江の大自然のみならず、流域の歴史や文化を訪ねて、そこに暮らす人々の日常生活を映し出した。それは、中国の視聴者が長江の全貌を初めて目にした映像だった。

日中が共同で制作

当時は文化大革命を終え、改革開放政策が始まってから間もない頃で、中国の社会は文化や芸術に対する渇望感にあふれていた。『話説長江』は視聴率40%を記録し、主題歌も大ヒットして、1980年代に巻き起こった「文化ブーム」の一翼を担った作品として語り継がれている。だが、日本と中国が共同で制作したという舞台裏はあまり知られていない。実は、1981年に日本で公開されたドキュメンタリー映画『長江』をもとに、CCTVが独自の取材を加えて再編集したのが『話説長江』なのだ。

日本の映画『長江』は、シンガーソングライターのさだまさしが監督、主演した。中国で青春時代を過ごした両親の話を聞いて、幼い頃から中国に憧れを抱いていたさだは、家族の歴史と日本文化のルーツを訪ねて長江の河口から上流へと遡った。1年半をかけた撮影の全行程は約3200キロ、35ミリフィルムの撮影総尺数は約113万フィートに及ぶ。

さだは、湖南省の張家界や、古代の長安と成都を結ぶ要路で、切り立った岩肌に作られた「蜀の桟道」に外国人として初めて足を踏み入れた。「長江の最初の一滴が見たい」という情熱は、映画だけでなく約35億円という巨額の負債も残したが、さだは『長江』について、「50年、100年後に評価される作品だ」と語っている。経済発展によって流域が変貌し、三峡ダムが完成して景観が大きく変わった現在、当時を記録した映像は貴重な資料にもなっている。

『長江』から『話説長江』へとつながったバトンは、それから20年余り後の2006年に新たな展開を見せた。CCTVが『再説長江』と題して当時の撮影場所や出演者を探し出し、現在の姿を伝える番組を放送した。偶然にも同じ年、さだは25年ぶりに北京を訪れ、その歌声を披露した。かつて1980年に北京展覧館で開催したコンサートは、戦後初めて日本人歌手が単独で行った公演として話題になった。長江を描いた3つの映像作品、そして、さだの音楽は、日中の文化交流における歴史の一幕といえるだろう。私自身も、子どもの頃に見た『長江』がきっかけで中国に関心を抱くようになった一人だ。

そして、時計の針は今年2015年へと進む。5月2日、香港の荃湾大会堂でさだのチャリティコンサートが開催される。主催団体の香港留日学友会は日本留学経験者が集う民間団体で、香港の日本人コミュニティと協力して日本・中国・香港を繋ぐ文化交流事業が進められている。さだまさしは東日本大震災の際に香港から寄せられた支援に感謝し、コンサートの収益は被災地の復興支援と香港から日本に留学する学生の支援に充てられるという。コンサートのプレイベントとして、映画『長江』の上映会も予定されている。

摩擦は相互理解のきっかけ

文化の交流は「良き連鎖のバトン」を繋ぐ。民間の文化交流には、喜びや楽しみだけでなく困難も多いが、情熱を注ぐ人々の意志と行動は「良き連鎖」を生み出していく。たとえその中で問題が生じても、矛盾や摩擦は相互理解の契機となり、そうして創り出される文化は人々の共感を呼ぶだろう。

日中間の文化交流には豊かな歴史がある。民間レベルの交流秘話も無数にあるはずだ。ひとつひとつの物語を知ることで、交流をさらに深めていくための示唆が得られるかもしれない。「民間の力」、そして「文化の力」を信じて、「良き連鎖のバトン」を繋いでいきたい。

(2015年4月27日「AJWフォーラム」より転載)

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