粉々に蹴破られた窓ガラスの破片。
サッシはグニャッとひん曲がり、ひしゃげたまま。
足元には半分火の熱で溶けたトランペットやランドセルが放り出されている。
焼け焦げた教科書やノートには生徒の名前が書かれてある。
「私はここにいたんだ!」と叫んでいる。
今も津波の爪痕のままだ。
こんな所にあるはずもない、ありとあらゆる物がそこに土石流とともに折り重なっている。
押し寄せた津波の音が聞こえる!
何もかもを飲み込み、切り刻み、よじり、ねじり、ひんまげ、
全てを渦に巻き込んだいまわしきあの音が。
私は身動きが取れず、思わずうずくまってしまった。
人々の恐怖の叫びが聞こえる!
私は今、石巻の沿岸に立つ門脇小学校の校舎の中にいる。
外を出て周りを見渡せば何もなく、ただそこには平地が広がっていて、
2月の風はとてつもなく冷たく、寒い。
「これからどうすればいいのだろう?」
「どこへ行けばいいのだろう?」
不安におののき、底冷えがしてくる。
校庭の前の県道240号は、沢山の土砂を積んだ10tトラックが、
何かに急かされるようにせわしなく行き交っている。
校舎を背に遥か右には、もくもくと煙を吐きせっせと稼働している工場、
左にはかろうじて原形をとどめているお寺。
3年前まで、ここには人々の幸せがあり、日々の営みがあった。
今はそれが幻であったかのように消え失せ、
地べたにはうっすらと残る家の境界線が残るだけ...。
そして所々には、失われた家族の為に供えられた花がポツリと置かれている。
あの時、門脇小学校は、津波で押し流された多くの車のガソリンで炎に包まれた。
今もなお、すすで真っ黒のいでたちで石巻の沿岸をガンと見つめながら、踏ん張り突っ立っている。
しかし、その怒りと悔しさを隠すように、校舎の正面は全てフェンスで覆われていた。
焼けた校舎の赤錆びた時計は、時を刻むのをやめ、
屋上に掲げられた「すこやかに育て心と体」という文字だけが、異様なまでに真新しく光っている。
ふと、校庭では活動の場所を失ったソフトボール部の女子高生達が
練習に勤しんでいた。
校内へ入ろうとする私は、ソフトボール部の顧問にいきなり止められた。
「ここは立ち入り禁止です!教育委員会の許可がなければ入れません!」
私はすぐさま委員会へ電話をした。
さっきから学校の目の前に観光バスが止まっている。
バスには「DREAM」と書いてある。
中から人々が降り立ち、まるで観光名所のように写真を撮りはじめた。
私も同じように思われたのだろうか?
この無惨なまでに破壊された学校を、
ただの興味本位で訪れたと思われたのだろうか?
委員会のOKを取り付け電話を切った。
私はもう一度、廃墟と化した小学校へ足を踏み入れた。
壊れた廊下の壁に、門脇小学校の校歌が掲げられていた。
太平洋はひろびろと 望みを今日も思わせる楽しく若いこの夢よ光れ ひかれ 美しく
北上川は生きていて 命を深く思わせる明るく高いこの歌よひびけ ひびけ どこまでも
さあ 手をとって 手をとって 進もうよ小学校は門脇
海に希望を見つめ、川の流れに生命を託したこの詩魂が、
私にはあまりにも皮肉に響いた。
涙が止めどもなく流れてくる。
何十年もの間、生徒達に歌われてきたこの校歌は、
今では悲しみの歌となってしまった。
この門脇小学校は、石巻の人々の深い苦しみと悲しみを内包しながらも、
前へ前へ進もうとする東北の人たちの象徴として、このまま立ち続けるのか?
それとも、取り壊されるのか?
校庭でソフトボールの練習をする女子高生達に私は尋ねた。
「ねえみんな!この小学校をどうしたい?」
すると彼女達は即座に答えた。
「残して欲しい!」
「忘れたくないから!」と。
暮らしがあったはずの石巻の大地に、無縁仏を弔う3体の小地蔵様。
白き花たちがささやかに供えられていた。
私は身をかがめて手を合わせた。
防波堤の向こうの海は凪いでいる。
何事もなかったかのように...。
あれから3年たったのに。