気づけば、私はだれよりもハフィントンポストで一番長く働いたインターンになった。期間はなんと約2年!だからこそインターン生として入ったハフィントンポストを少しばかり紹介したいと思う。ネットメディアの世界をぜひ皆さんに覗いてもらい、興味をもってもらえたら嬉しい。
はじめに自己紹介をすると、私は大学3年〜卒業後も1年お世話になり、同期より1年考える期間があった。 1年就職を延ばしたのもハフポの影響。私の人生の大事な分岐点にハフポはいる。
私とハフィントンポストとの出会い
遡って振り返ること大学3年の冬。大学生活を費やしてきた部活もひと段落、目標を達成してしまったこともあり、心がぽっかり空いた変な虚無感が捨てきれずにいた。これでも前から就職先を考えてはいたけど、とりあえずメディアの仕事をやりたかった私はルンルンな気分でハフポに向かった記憶がある。
指定の場所に着くと、とてもメディアの会社が入っているとは言えない使い古された建物...高層ビルを想像していた地方出身の私は、初日に少しばかり肩を落とした。
社員さんに案内されオフィスに入ると、なんと殺風景な!!
教室の一角に少しばかりのデスクに社員さん。そして、奥からは仮眠をとって起きてきたような男性がよろよろ出てきた。苛酷だ……。
そんなことを思いながら、実践。パソコンで記事の入力から教えてもらうが、基本的な操作すらままならないまま。不安すぎた。
これが、ハフィントンポストと私のはじまり。
元々私は、スマホよりはガラケーがよくて、LINEよりはメール派。SNSが苦手と、若者にしては珍しいからこそ、ハフポにいることでネットがもつ影響力の大きさを実感できたと思う。
私たちインターン生がはじめにやる仕事は、ニュース記事の転載を載せるための編集作業。それが出来るようになると、ブログの編集も担当できる。タイトル編集、文章の誤字脱字のチェック、ソーシャル(SNS)にあげるタイトルを構成する。社員ではないが、SNSに投稿する文言でビュー数が変わるからかなり重要な仕事。未だに、限られた文字数で上手くバズらせることは難しく感じる。
はじめの頃は社員の人数も少なく、ニュースやブログの転載はもちろん、話題になりそうな記事も探して書くため、本当に大変だったように感じた。会社の印象は、メディアは身を粉にして働く場所。他のメディアに抱いている印象と変わらなかった。
けれど、制度をよくしようともがいている姿はあったと思う。
就職浪人したきっかけは2周年イベント
入ってから程なくして、ハフポの2周年イベントが自分の世界観を変えた。
イベントの当日はインターン生として会場の手伝いをしていたが、社員さんの計らいで会場の様子を見ることができた。会場では、働き方についてパネルディスカッションで討論中。
ハフポの社員さんもその中に参加していた。まず、変えづらい組織の代表とも言えるマスコミで働く当の本人が自分の会社のイベントで働き方について発言することに、驚いた。
なかでも、武蔵大学社会学部助教の田中俊之さんと女性活用ジャーナリストの中野円佳さんが話す"男女観"に私は惹かれる。ちょうど自分が就職活動で"自分の存在価値"や"個性"について悩んでいたこともあり、その時の自分にとってはすごく気持ちが楽になった。
私が通っていた大学のカラーは、女性は"女性らしく"、服装もお嬢様のような"清楚な服装"が多い。古着好きや好き勝手やりたい自分は、たまに過ごし辛さを感じていたからだ。新卒で働かなきゃいけない風潮があるのも日本ならではではないだろうか。別に休学して、好きなことをやってもいいし、したいことがあるなら退学したっていい。
小学生の頃に塾に通っていたときに言われた言葉が印象深い。
「3浪したら人生が終わると思って勉強しなさい」と言われ、なぜか質問をすると「社会がそれを許さない」と返された。
なぜここまで型にはまる生き方をしなければいけないのか、幼いながらに疑問だった。
音楽やドラマの影響もあってゲイ、いじめ...と言われるマイノリティに対して世間が向ける目に疑問を感じていたから、イベントに参加をしてからハフポが考える先と私が望むことが合わさった気がした。 日本の生き方って生きづらいな。冒頭で書いたように私は大学3年のころ、将来どうするか迷っていた。
新卒で疑問も感じず、当たり前のように働く。折り合いをつけることも大事だけれど、どこか見えない風に流されているように思えた。イベントを通して、表舞台に出ない名もなき個人個人の意見を発信できるブログの可能性に魅了された。創設者のアリアナ・ハフィントンが「ハフィントンポスト」を創設した時の指針が見えているなと感じた。
1年間さらにハフポで修行させてもらえる環境があったことも、決断をより強固にする要因だった。就職よりも、これから面白くなりそうな会社を自分の目で見られるなら見たかった。
考えることが好きな自分は納得できていない中で就職はできないこと、今までストレートで"社会のレール"に乗っていた自分を一歩引いて見ることができるように。
イベントがきっかけで4年の夏、私は、就職浪人する決意をした。
社内の雰囲気が変化した頃
働き始めて1年経った頃にはハフポの仕事も慣れた。社員が増えたことにより役割が分担され、ブログ担当を確立することでハフポの個性が生かせる体制が整う。人数が増えることで単純に作業の効率化が進み、また意見の発信がよりオフィスで活発になってオフィスの雰囲気が変化したことは肌で感じられた。社員さんは、泊まりがけの過酷な状況もほぼなくなっていたんじゃないか(これは重要)。
さらに、前職が全くマスコミと関係ない社員も増えたことで、様々な職業の話が記事を作るためのタネになっている気がした。上司と部下の関係、飲み会の強制、性差別など、ハフポの会社自体、常識化した出来事を変化させる歯車がかみあった時期ではなかっただろうか。
様々な企画の中でも「#飲み会やめる」という企画は、私の中でも感慨深い。飲むことは好きな方で、先輩っ子の自分でも、学生時代は部活の先輩との関係性に時々疲れていたし、自分の予定を犠牲にすることもあったからだ。実際、"飲みニケーション"と呼ばれる場所だからこそ知ることができる情報や先輩の思いもあるけれど。
今も飲む機会はあるし、先輩との飲み会もあるけれど、この企画を通して自分の時間を大切にして、上手くコントロールしようと考えることができた。
最近は、新しい企画も出せるようになるほど会社が回ってきたおかげで、私たちアルバイトに向けられる余裕もできたのではないだろうか。 「ladies be open」という新しい試みも始まった。勢いのある今だからこそ、卒業するのはもったいない気持ちがあるし、寂しい気持ちも混じっている。
最後に
私がこの2年見てきた景色は、素晴らしかった。ハフポの社員さんは、世の中の疑問やタブーな問題を発信する信念がある人たちで、そういった大人に囲まれる環境は、誰でも経験できるわけではない。特殊な仕事場だけれど、より良い環境を当たり前に目指す人たちの中で過ごせたことは私の人生で外せない経験だ。
一人暮らしのフリーターは苦しいことが多かったけれど、社員さんをはじめ家族や友達に助けられてなんとかなった。だから、人生に迷った時は、簡単に就職浪人することは勧められないけれど、自分に向き合う時間は、意外と必要だし、いいもの。
様々なニュースを見て思うことは、自殺や性差別など、誰にも言えないような苦しいことがあるときは、世の中一人じゃないってこと。どんなことをしても、助けてくれる人はいるということは分かってほしい。全ては、自分自身が声に出す勇気に関係してくるのかもしれない。
ただ、世の中の常識と呼ばれることが自分一人一人の常識とは思って過ごすのは、もったいないと感じる。「自分らしく」いることが大切なのかもしれない。生活する中で「自分らしく」が一番難しいから、これからの将来の課題にしようと思う。
私が就職するテレビ業界は、昼夜逆転の生活になるし、体制も大きな職場ということもあり、ハフポのように制度を変えていくことは直接的に難しい。けれども、あるご飯の時に仲良い先輩社員が「メディア自身が変わらずして、世の中が変わるのか」と言ったように、自分がいられる環境になるよう、自分の考えはしっかりと持っていたい。社員さんが自分の価値観から転職をされている環境の中では、あまり深く考えず、やりたいことをやっていこうと思う。柔軟な考えをもてる人間にしてもらった会社にインターン一期生として一番長くいられたことを誇りに思います。
最後に分かったことは単純だけど、世の中一人では生きていけないし、意外と手を差し伸べてくれる世界があるってこと。実際、心に留めて爆発する人もいただろうから、本当に私は恵まれたと思う。 小さな頃に描いていたメディアというざっくりとした世界にはたくさんが仕事があって、私は誰よりも時間をかけたからこそ、納得して次のステップに踏み出せる。
社会人になるにあたって少しだけ不安があるとすれば、ハフポにある、「いつでもお菓子を食べていい」制度がないこと。
私がハフポに役目を果たすためには、一番長くいた学生としてこのブログは書かなければいけないと思っていた。迷っていた時期に声をかけてもらえたことが何より嬉しかった。
私は、ブログを書いた経験はなく、ましてや自ら発信するのに苦手意識すら感じる。けれども、ほんの少しでも発信することで伝わることもあることをハフポで発信している社員さんやブロガーさんから気づかされた。そして、関わった全ての人に感謝を込める形で、今回書くことに至った。
たくさんの知識を無償で与えてくれて、働かせて頂いたことに社員の皆さん、同期・後輩に感謝の気持ちを込めて。
最後にわがままを言って去るならば、綺麗なオフィスでお仕事したかったな!と社員さんの声を代弁して...。なんて。
今までありがとうございました。
一緒に働いてきた社員さんと同期と一緒に送別会にて