ある興味深い科学論文の要旨を読んでいると、それがきっかけとなって、ついつい「ミツバチ」の魅力に心が惹かれてしまいました。その論文自体は、5000回以上のミツバチの「8の字ダンス」を解析し、蜜源の方向と距離をおおよそ割り出し、それをもとに巣の周囲の地域の土地分析を行った報告でした。今回はその報告は置いておき、「ミツバチ」に関する報告のいくつかをもとにして、サイエンス以外の目線からも、この生き物を幅広く捉えてみることを試みます。
去年数々の映画祭ドキュメンタリー部門で拍手喝采を受けた作品はご存知でしょうか。その『More than honey(邦題:みつばちの大地)』というドキュメンタリー映画のキャッチコピーには次のような文章が掲げられています。
ミツバチがいなくなる―世界を旅し、その実情を取材。
地球上の生命を育んできたミツバチ
その知られざる生態と神秘に迫り、
自然と人間の持続可能な関係を問いかける
世界規模でのミツバチの大量死の報告。ミツバチに何が起こったのか。この背景に迫ろうとしたドキュメンタリー番組が、5-6 年前に BBC でいち早く放送されています(タイトルは Who Killed the Honey Bee?)。昨年9月には NHK のクローズアップ現代にも取り上げられたようです。2014 年の今、充分ではないものの、ミツバチの大量死に関する文献は充実の一途をたどり、複数の観点から事象を冷静に分析することが可能となりつつあります。
働き蜂たちは花から花へと忙しなく飛び移り、花蜜や花粉をせっせと巣へと持ち帰ります。花蜜は巣の中で熟成されてやがては蜂蜜となり、私たちの食卓に何とも言えぬ風味と甘さをもたらしてくれます。一部の植物にはミツバチなどの他の動物の手助けをかりなければ受粉し、子孫を残すことができないものがあります。独力で受粉できない植物は多くあります。私たちが普段食べている穀物や野菜、果物の多くも、この小さな「働き者」がいなければ口にすることもできないでしょう。国連食糧農業機関 (The Food and Agriculture Organization of the United Nations/FAO) の推測によれば、世界中の食糧の90% を占める約 100 種類からなる穀類のうち、実に71種類がハチの働きで受粉します。ヨーロッパでは 4000 種類の野菜の受粉をハチが担っています。
こうした現状を鑑みれば、「地球上の生命を育んできた」生き物として把握するよりも、ミツバチは我々人類の生命を育んでいると考える方が実態に即しており、適切と思います。悪知恵を働かせる輩ならば、ミツバチに感染すると致命的な影響を与えるウイルスや細菌を人工的に開発し、ダニに寄生させてばらまくことや特殊な薬剤散布を考えます。野菜や果物の価格、野菜や果物を扱うあらゆる食品製造企業に打撃を与えることができるばかりか、「究極のインサイダー」として、彼らがそれに乗じて利ザヤを稼ぐことは容易いものです。特効薬的なものを開発しておけば、『ナイロビの蜂』の世界です。よからぬ架空の話は置いておき、農水省から各地方農政局宛に配布された資料「花粉交配用みつばちの安定確保にむけた取組の推進について」に注目します。ミツバチは、はちみつ等の有用な畜産物の生産のみならず、いちごやメロン、すいか等園芸作物の花粉交配には不可欠であり、生産現場における省力化及び高品質化を図るうえで重要な役割を担うことが説明されています。
私たちの生活に欠かせない生き物であるかどうか、実際にグラフを見て一緒に考えてみましょう。国連環境計画 (United Nations Environment Programme/UNEP) の発表したレポートによれば、全世界での穀物生産に対するハチなどによる花粉交配の経済効果は 1500 億ユーロ(約20兆円)と見積もられています。世界の全食糧生産の総価値の 10% を占めるほどで、食糧生産ばかりでなく、グローバル経済に与える影響も重大なものがあります。もっとも純粋なミツバチの効果など割り出せるわけもなく(チョウやガなどの野生動物による貢献度が幾ばくかを分析しなければならないので)、経済的効果の数値は研究者によって意見が分かれています。実際に 300億ユーロから600億ユーロだとする報告も上がっています。いずれにせよ、蜂蜜生産の経済効果よりも重要ということです。
図1 農業生産に対する花粉交配の経済効果
横棒は経済効果(単位は 10 億€)を示す。オレンジのバーでトータルの経済効果を、グレーのバーで受粉交配する昆虫の経済効果を示す。上から順に、野菜 (vegetables), 穀物(cereals), 糖科作物 (sugar crops)、油用作物 (edible oil crops)、果物 (fruits)、 根菜類(roots and tubers)、マメ類 (pulse)、 嗜好料作物 (stimulant crops)、 ナッツ類 (nuts)、 香辛用作物 (spices) である。中央に並んだ数値は、1tあたりの平均価格を表示している(単位は€)。UNEP 報告書より引用した。
UNEP の報告書は受粉交配者への脅威が政治的に強調されすぎている面もあり、注意深く読む必要があると考えます。この報告書に本来の文脈が無視されて引用された文献の中から、アルゼンチンの研究者による興味深いデータが見つかりました。その論文のタイトル"The global stock of domesticated honey bees is growing slower than agricultural demand for pollination" が示す通り、冷戦以降のグローバリゼーションが農産物の生産拡大を促し、結果として受粉交配に用いるミツバチの需要も増大したわけですが、肝心のミツバチの供給量が需要に追い付いていないのではないか、というのが彼らの見立てです。
図2 ミツバチ依存的な農作物およびミツバチの生産量の変動
左図はミツバチ依存的な農作物(紫)、ミツバチ非依存的な農作物(緑)の生産高の変化を 1961 年との差で示す。横軸は年で縦軸は % 表示。黄色はミツバチの数を示す。灰色の実線は人口を示している。右図は横軸が養蜂箱の増加率(1961 年と比べて)を、縦軸で農産物生産量を示す。
(Aizen and Harder., 2009)
左のグラフ(図2)が示すように、1990 年あたりを境にして、ミツバチ依存的な農作物の生産量が急激に上昇していることがわかります。この背景には、旧社会主義国にも資本主義の波が押し寄せたこと、そして中国で市場主義経済が導入されたことがあります。その一方で黄色の折れ線が示すように、1960 年以降ミツバチの数自体はほぼ一定の割合で増加しているだけで、農作物の需要に追い付いていないことが明瞭に示されています。
1991年を境にしたミツバチの需要と供給のバランス悪化は、右のグラフでより明瞭に示されています。農業生産量は1961 年からほぼ着実に増加しています。その一方、養蜂箱の数は 1961 年から 1991 年までは比較的安定して増加していたものの、1991 年を境にして数年間で 25% も減少したあと回復基調に戻ったことが示されています。ある農水省の報告書によれば、旧ソ連崩壊後のロシアの農業生産は、ロシア経済全般の不振も重なって急減しており、1998年は1991年比で農業生産高が 60% まで落ちていたようです。
要するに彼らは深刻なミツバチ不足は、全体で見る限り当然の結末だ、と言っているわけです。筆者も彼らの意見とどちらかと言えば親和的です。当然後述するような、農薬や捕食者の侵入による影響が地球規模でみて局所的に発生する場合があるかもしれないが、あくまでそういった問題は局地的に対応すべきものであり、グローバルに捉えるべきではないと考えてもいいでしょう。その点では、喜べたものではありませんが、我が政府の農薬規制に関する後手後手の対応は、結果として優れていたのかもしれません。現在においても地球規模での統計データは収集できていません。データ自体は国・地域ごとに分散しており、データが抜け落ちている国・地域が多すぎるのです。あくまで先進国を初めとした一部の地域での統計値しか入手できない以上、科学的な根拠をもって、蜂が減少しているかどうかを地球規模で議論することは困難でしょう。アメリカで養蜂箱の数が減少していることを案じている人に対しては、海外からの安価なミツバチの輸入量増大の可能性を指摘し、ただ養蜂業者が撤退しただけの可能性の有無を検証すべきと思われます。
もし全体的なミツバチ不足が原因で人々がパニックといっていい状態に陥っているとするならばどうでしょう。いかに近代的な知識や技術を駆使してモダンな生活に浸っているように見えても、実際のところ我々の便利な日常は「砂上の楼閣」なのかもしれません。グローバル化がもたらしたミツバチ依存度の上昇の事実は、私たちが実はいかなる人工的技術でもない、「小さな働き者たち」によってグローバル社会が下支えされている現状を照らし出しています。あくまで我々は人間であり、すべての事象をコントロール下におけると思ったら大間違いだ、という漠然とした戒めは持っておこうと思ったのでした。知らないところで、こうした脆弱性を抱える社会に生きているのでしょうから。
■「ミツバチ」を取り巻く環境
農薬に含まれる化学物質や外来の寄生虫(ダニ)や捕食者(スズメバチ)、蜜源の豊富さ、これらの要素はミツバチの健康に強く影響を与え、その結果最悪の場合、蜂群が崩壊してしまう場合があると考えられています。自然界には 20000 種類ものハチが生息している中で、私たちにとって最も身近なハチが「ミツバチ」であることを説明してきました。中でも特に農産業で活用されているのが、ヨーロッパ原産のセイヨウミツバチです。もともとはヨーロッパに生息していたのですが、人類の移動と産業の発展史とともに生息領域は拡大し、アジアやアフリカ大陸まで生息圏は広がっています。南アメリカには、アフリカ原産のミツバチとの交配から人工的に生み出された、アフリカ化ミツバチが研究室から逃げ出し生息しています。我が国には原産種のニホンミツバチに加え、近代化とともに持ち込まれたセイヨウミツバチが生息しています。学術雑誌 Nature でも報道されましたが、2009 年前後にはニッポンでもセイヨウミツバチの謎の失踪を特徴とする異常が多数報告され、メディアを賑わしました(表1)。
北海道にてミツバチ大量死(2008年、日本農業新聞報道)
水田地帯中心の農薬散布が原因とみられる
岩手県にてミツバチ 700群死滅(2005年)
カメムシ駆除のためのクロチアニジン(ダントツ)原因か
山形県にてミツバチ大量死(2006年、毎日新聞報道)
農薬が原因と見られている。リンゴ農家は人工的に授粉作業を行った。
栃木県にてミツバチ大量死(2009年)
県養蜂組合は JA 全農栃木に対し農薬空中散布に慎重を期すよう異例の要請
千葉県(2009年)
ミツバチ調達6割減。県は農水省に対し要望書提出
神奈川県(2008、2009年)
三浦半島周辺でミツバチがほぼ全滅
石川県(2009年、北國・富山新聞報道)
ミツバチ来年も不足か、衰弱越冬できない恐れ
鳥取県(2009年)
スイカ事業者、交配に必要なミツバチ不足露呈
宮崎・佐賀県(2009年)
ミツバチ大量失踪・ミツバチ不足深刻化
長崎県(2009年)
ミツバチ大量死発生
クロチアニジンはネオニコチノイド系に分類される農薬です。2013 年5月、EU で暫定的にネオニコチノイド系薬剤の使用の一部を制限することが決定しました。一方で国内では重要なコメの生産維持の観点から、稲の害虫であるカメムシにとりわけ効果的で、人に対する毒性が低いとされる薬剤に規制をかけるには至っていません。「我が国では、水稲のカメムシ防除で農薬を使用する時期にミツバチの被害が多く報告されています」とあるように、事態は認識されているようです(農薬による蜜蜂の危害を防止するための我が国の取組)。
専門家はどのように捉えているのか。産総研の岸本充生氏のレポートを見てみましょう(http://www.aist-riss.jp/main/modules/column/atsuo-kishimoto018.html)。
養蜂のために飼育されているミツバチがコロニーごと姿を消す現象が2006年以来世界中で報告されるようになり、これらは蜂群崩壊症候群 (CCD)と呼ばれるようになった。当初は、携帯電話説、遺伝子組み換え作物説、地球温暖化説、など様々な説が提唱されたが、2012年頃から「犯人候補」としてネオニコチノイド系農薬が急速に注目を集めている。ネオニコチノイド系農薬は1990年代初期に「低毒性農薬」として登場し、日本では近年、年間400トンほどが利用されている。
2012年4月、ネオニコチノイド系農薬の1つであるチアメトキサンに曝露したミツバチの帰巣率が下がるという実験結果や、同じくネオニコチノイド系農薬であるイミダクロプリドに曝露したマルハナバチの増殖率(コロニー重量)の低下、および、新しい女王バチの数の85%の低下が見られたという実験結果が Science誌に発表されるや否や、欧州委員会は、欧州食品安全庁(EFSA)に対して3種類(当初は5種類)のネオニコチノイド系農薬のミツバチのリスク評価を依頼した。特に、コロニーの生存と発達への急性及び慢性の影響と、非致死的用量の生存や行動への影響が挙げられた。リスク評価結果は2013年 1月16日に、イミダクロプリド、チアメトキサム、クロチアニジンに ついてそれぞれ公表された。曝露経路は、1)種子と顆粒剤からの粉塵としての飛散、2)花蜜と花粉の摂食を介した曝露、3)葉からの溢液の摂食を介した曝露、の3つが考慮された。しかし、データが十分にないことから、多くの種類の作物について、ミツバチへの急性(死亡)リスクや、ほぼすべての作物について、慢性(死亡)リスクと亜致死リスクは評価できなかった。ただし、データのある一部の作物について、第一段階の極端に安全側の仮定を積み上げて計算されたハザード比(HQ)をもとに、ミツバチへの急性(死亡)リスクの懸念があるという結果が得られた。
「しかし、データが十分にないことから、多くの種類の作物について、ミツバチへの急性(死亡)リスクや、ほぼすべての作物について、慢性(死亡)リスクと亜致死リスクは評価できなかった」とあるように、現状科学的に致死リスクが実証されているわけではない点には、注意を払うべきでしょう。
蜂群が崩壊した巣の様子。成虫でほとんど巣が覆われておらず、成虫の数が急激に減少した可能性が示唆されている。故意に成虫を逃がした後の写真ではないことを前提とする(Vanengelsdorp et al., 2009 より引用)。
上の写真を撮影した研究グループは、アメリカ合衆国における蜂群の喪失状況の調査も請け負っており (beeinformed.org)、プレリミナリーな結果ではあるものの 2013 年 10月1日から 2014 年 4月1日までの状況をすでに報告しています。実際のデータは 7183 もの養蜂農家が維持する 56 万個の巣がどうなったかを、報告をもとに解析したものです。調査協力の規模は、約20% であり、米国内に届け出のある巣の数のうち 2割の実態が抽出されています。調査に協力した養蜂家の2/3 が蜂群崩壊許容度平均値の 18.9% を上回っていました。今季の蜂群崩壊の割合は 23.2% であり、昨年の同時期の 30% や8年間の29.6% と比べても改善されていると捉えられています。実際には毎年調査に協力する養蜂家の面々も違うはずであり、どこまで比較できる数値かはあいまいな点が残りますが、年々数値は悪化し続けているわけではないことは納得してもらえるでしょう。
■ 他の脅威
ミツバチに被害をもたらす要因は、薬剤以外にもありました。ヒトでもマダニを介した重症熱性血小板減少症候群(SFTS)ウイルス感染の報告があるように、ダニはウイルスや細菌の運び屋として猛威を振るう場合があることを私たちは知っています。ミツバチの寄生虫の一つで最大の脅威をもたらす生物として varroa destructor という強烈な学名が付されたダニが知られています。セイヨウミツバチとトウヨウミツバチに寄生します。今ではオーストラリアを除く世界中に分布しています。Varroa は養蜂家としても知られた古代ローマ時代の人物の名前から採用されたようで、この名が語る通り、まさに蜂を破壊してしまう猛者であり、世界中の養蜂家たちから恐れられています。
ダニに寄生されたセイヨウミツバチの成虫。胸部の背側に付着している赤褐色の粒状の物体が問題のダニ。
Stephen Ausmus, USDA Agricultural Research Service, Bugwood.org
ヨーロッパでは外来種のスズメバチによる被害が拡大しています。ニホンミツバチはスズメバチに対する防御行動を取ることができますが、セイヨウミツバチにはこうした習性がなく、なす術なくスズメバチの格好の餌食となっているようです。実際にフランスでは、この獰猛なハンターの分布が2004 年から 2009 年の間だけで急速に拡大していると報告されています。フランスは EU における一大食糧生産拠点であり、農薬規制の実施に向けた政治的取組だけではなく、この問題に対しても敏感にならざるを得ないのでしょう。
参考資料
・Aizen and Harder (2009). The global he global stock of domesticated honey bees is growing slower than agricultural demand for pollination. Curr Biol. 19, 915-8
・UNEP 2010. UNEP Emerging Issues: Global Honey Bee Colony Disorder and Other Threats to Insect Pollinators.
・Vanengelsdorp et al., 2009. Colony collapse disorder: a descriptive study. PLoS One. 8, e6481
・謎のミツバチ大量死 EU 農薬規制の波紋
NHK クローズアップ現代 2013年9月12日放送(テキスト)
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