2017年の秋に仕事を辞めて、京都とインドネシア(スマトラ島・プカンバル)を行ったり 来たりする生活を送っています。
地球の歩き方に載ってない街へTT
インドネシアには、日本人が2万人近く暮らしていると言われています。
しかし、その多くは首都ジャカルタやリゾート地バリに住んでいて、私と主人が住んでいる プカンバル(リアウ州の州都)では、確認できた日本人は今のところ2人というそんな場所です。笑 (1人は現地で日本語の塾を経営されている男性の方、1人はJICAのプログラムで大学の日本語クラスに派遣されている女性の方でした)
プカンバルは国際線空港がある街で、巨大モールも4つあるので大体のものは買い物でき、日本食も中華もイタリアンも食べることができます。 有名な外資系ホテルは進出しておらず、大都会でもリゾートでもないけれど、さすがはイン ドネシア。人口100万人の街と言われています。
英語はまったく通じません。当たり前ですが、日本語はもっと通じません。そのため現地語を覚える必要があります。
でも、英語や日本語が通じる場所だったとしても、現地へ行くなら簡単な会話は現地語でで きるといいなと改めて思ったことがあります。
当初、まったくインドネシア語ができなかった時、なんだか無愛想に感じた現地の人たちが、 挨拶とか簡単な会話ができるようになると一気に人懐っこさを見せてくれた瞬間。 またあの顔を見たい。動機ってこのくらい単純で、明快な方が頑張れるのかも。 今ではインドネシア語でバイクタクシーの運転手さんと会話をしたり、値切り交渉をしたり できるようになりました◎
私は駐在員でも駐妻でもないけれど、大切な人と好きな場所で一緒に暮らす方法をいろいろ試してみたい
私の主人は京都の大学院生で、学生です。彼の研究地の一つがプカンバルにあり、地球温暖化防止のための研究をしています。
主人がプカンバルに行った2ヶ月後、私も2017年秋に会社勤めを辞めて、2ヶ月弱、主人の いるプカンバルに行きました。
生きること(Live)はLifeとWorkの両輪で成り立つものです。今後、長期で行ったとして生 活ができるのか、仕事はどうするのか、実際に現地に入って自分自身で見て考えたいと思い、現地入りしました。
現地にいって思ったのは、インドネシアでの生活面(Life)はなんとかなりそう、むしろ 思ってたより馴染めそう。隣国が近いのも、魅力的。といったこと。
ただ、仕事面(Work)は、やはり軌道に乗るまで時間がかかるだろうから、「種まき期間」や、帰国後次にインドネシア渡航するまでの「つなぎ期間」に、何しよう?ということ でした。
今まで5社で会社員を経験し、ありがたいことに前職を辞める時もいくつかお声がけをいた だきましたが、「インドネシアの地方都市での在宅ワーク」となるとなかなかハードルが高 くて。私はフリーランスとなりました。
また、インドネシアでも暮らしているということで、日本で出会った方からいくつか、現地 での仕事のタネもいただきました。タネでは食べていけないので身を取るべく育てて行くのは自分ですけど。笑
あとは日本帰国時に集中して出稼ぎする、という方法。近隣のシンガポールやジャカルタな どで働くという方法。(プカンバルでは人件費が安く、現実的ではないのです。。)
会社員は辞めましたが、仕事をつくったり、仕事をいただいたりしながら、どこにいても働 くことを続けて、どれが自分たちの生活に合うのかパートナーとも相談しながら、見つけて いきたいと思います。
安定した日本での生活を手放して、多少の苦労を買ってでも、私が大事にしたかったのは、「パートナーとできるだけ一緒に住んで、同じ時を共有したい」ということ。
現実面であるお金とか言葉とかって自分たち次第でなんとかなるんじゃないか。
行ってみること、やってみることは、考えることの何倍も価値があるんじゃないか。
これは安定志向だった私の挑戦でもあります。
自分のブログが人の役に立つのかしらと思いつつ、まったく同じ悩みを持つ人は少なくても、「仕事を辞めて地元に帰りたい」とか「海外で生活してみたい」とか、人の数だけきっと悩 みはあって、誰かの役に立つのかもしれない。
また、私たち自身も不確定な話が多くて考えてもわからないことだらけなので、今と今から 3年後くらいの未来を見据えつつ、活動しつつ、その活動記録と現地での生活と、大好きな 旅の記録をここで発信できたらと考えています。
世界遺産ボロブドゥールにて
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。読んでみたい・知りたい話があればコ メントください♪
※平成28年(2016年10月現在)のインドネシアの在留邦人数は 19,312 人(在インドネシア 日本国大使館HPより抜粋)
Ambassadorのプロフィール
Mana
広島の大学を卒業後、外資系含む5社で働いていました。院生のパートナーが研究のためインドネシア渡航したことを機に、2017年秋に退社し、インドネシア・プカンバルへ。現在はフリーランスに転向し、インドネシアと京都の2拠点生活を実践中。 「パートナーと一緒に暮らせる方法を模索したい」という思いから始まって、住む場所がどこであれ自分にできることを探しながら、時に海外で、時に日本で仕事をしながら暮らしています。現地から、時々京都、たまーに名古屋から、情報発信していきます^ ^
初めましての自己紹介。