Wilmaの記憶 ~著書Destination Earthより抜粋~

自分が今日これから向かおうとしている場所に、同じタイミングで巨大ハリケーンが上陸しようとしている、という状況を飲み込むのに数分はかかっただろうか。
NOAA / Satellite and Information Service

「そう気づいた頃には、私はすっかりこのハリケーンの見えない魅力に心を奪われていたのだ(本文より)」

~霊が見据えるものが真実を生み出し、魂が思い描くものは世界を創る~

(インドの哲学者Sri Aurobindo)

「10月20日: チチェン・イッツァ経由でカンクン入り」

旅程に書かれていた通りに、その日メキシコ国内最新の人気リゾート地であるカンクンへ向かう途中にマヤ文明の遺跡チチェン・イッツァを訪れるべく、私はタクシーを捕まえた。

そして乗り込んでから10分、突然大事な事を言い忘れていたかのようにタクシーの運転手がカタコトの英語で話しかけてきた。

「本当にカンクン、行くの?ハリケーン、来てるよ!」

そう言うと運転手は体を後ろにひねり、後部座席にあった新聞を取って私に手渡した。

そこで私の目に飛び込んできたのは、1面の半分を埋め尽くす巨大なカラー写真。圧倒的な存在感を放つその写真は、まるで大きく渦巻く銀河系のように見える。

「Wilmaだよ」というタクシー運転手の言葉に、私は思わず「Wilmaっていう銀河?」と返しそうになったが、運転手はすぐさま「このハリケーンはでっかいよ!」と付け加えて強調した。さらに新聞の見出しに目をやると「Wilmaが巨大勢力を保ったまま接近へ!」とある。

それでも、運転手はカタコトの英語ながらハッキリとした口調で、「でも大丈夫。カンクンの真上、通らない。Wilmaの中心、10キロ海側、、、メキシコ湾。今晩がピークだって予報、言ってた」と続ける。せっかくの客である私を目的地手前で降ろしたくないのだろう。

自分が今日これから向かおうとしている場所に、同じタイミングで巨大ハリケーンが上陸しようとしている、という状況を飲み込むのに数分はかかっただろうか。

そして次の瞬間、頭に浮かんだのは銀河のようなハリケーンの端から中心に向って進んでいく自分の姿、、、。なぜ突然そのような想いが巡ったのか説明が付かなかったが、それと同時に「ハリケーンの中心は海上で止まらない可能性だってあるよな」とつぶやきそうになる自分に気付く。

そのまま考える間もなく私が口にしたのは、

「よし、じゃあ行こうか!」

、、、あれ?もしかして、今、すごいこと言わなかったか?

そう気づいた頃には、私はすっかりこのハリケーンの見えない魅力に心を奪われていたのだ。これは一生のうち何度も訪れることのない貴重なチャンス、神様が与えてくれた特別なプレゼントに違いない。Wilmaは私に会いに来ているのだ。

今までテレビ画面を通してしか見たことの無い、カリブ海で発生した本物のハリケーンが目の前にやってくる。

折しも、私は律法を超越したユダヤ人の神ヤハウェについて書かれた本、「The Darkness of God」を読み終えたばかりだったし、これから訪れる予定だったチチェン・イッツァ遺跡にはマヤ文明の雷と雨の神「チャク」が祀られているのも偶然とは思えなかった。ちなみにこのチャクは長い髪にトカゲのような目、鋭い牙を持っており、まさにヤハウェのダークサイドの顔を連想させる。

ただ唯一の心配は、ハリケーンが本当にやってくるかどうかということだった。タクシードライバーはもちろん、気象予報士だって今日の天気を読み違えることはある。しかしカンクンのホテルにチェックインしてから数時間後に私が目にした最新ニュースは、Wilmaの進路が若干ずれて中心がカンクン市内上空を通過するだろうと告げていた。

そう、間違いなく私は銀河の中心に向っていたのだ。

私がこれから数日間喜んで閉じ込められようとしていたホテルには、実にバラエティに富んだ性格の面白い旅行者たちが宿泊していた。後にも先にもこれほど濃いキャラクターの面々に私は出会ったことはない。

元ドラッグ密売人のクリスチャン宣教師(実際にハリケーンの襲来を心待ちにしていたのは私とこの人物だけだった)、アメリカに移住してきたウクライナ人のカップル、オレゴン在住の若いロシア人グループ、南太平洋に浮かぶ人口およそ1500人のノーフォーク島からの旅行者、ドイツのミュンヘンからきたユダヤ人、サバイバル知識が豊富で装備も万全だったスイス人の大学教授、そしてキャロルというメキシコ人の女の子は「変人」という言葉がぴったりだった。

果たして、Wilmaは少し遅れたものの21日の深夜に巨大な勢力を保ったままカンクンに到達し、私たちに一生忘れることのない経験をもたらしてくれた。

まさに宇宙空間さえ揺るがすような極上の破壊力を、目で見て、耳で聞いて、体で感じながら喜びに震える私の前で、雷が轟き豪雨と強風が吹き荒れ、木々はマッチ棒のように簡単に倒されていった。

そして何よりも私はWilmaを肌で感じることができたのだ。誰もいない通りに立ち突風に吹き飛ばされそうになり、ホテルの中庭に出て豪雨に身をさらし全身ずぶ濡れになる。風で大きくしなっているヤシの木に近づくと、我が身がWilmaの放つ強大なパワーに飲み込まれていくのを感じた。

しかし、Wilmaが私に与えた強烈なインパクトはそれだけでなかった。時には「神の怒り」とも形容される聖なる破壊力、つまり神が持つ裏の顔のような性質がWilmaの中にはっきりと見て取れたのだ。

破壊と創造は常に一体となっており、新しいものが生まれる前には古きものが取り除かれていくもので、生命とはそのようにして永遠に巡っていく。

そして、人々がその力に怖れひれ伏したヤハウェと、マヤ文明における雷と雨の神チャクの姿は、私の心の中で一つとなり永遠に生き続けるだろう。 

破壊の神、解体の神、そして衰退、カオスの神とも称され恐ろしい牙を持つこの神体を、マヤ文明当時の人々は豪華な神殿に祀りながら永遠に崇め称えたのだが、私がWilmaと共に過ごした時間の中では一時たりとも恐れを抱いたことはなく、それどころかこのハリケーンが放つエネルギーの魅力や、それまで経験したことの無い規模の破壊力にすっかり心奪われてしまっていた。

Wilma の持つ驚異的なパワーはシンプルでありながらどこかアート作品や音楽のような魅惑のハーモニーを奏でているのだが、我々の目や耳ではその壮大な全容を完全に把握することができるものではない。

あの日、銀河の中心が私の元へやってきて、雷神チャクが鋭い牙をむいた。

Wilma は確かに私と出会い、一体となり、そして離れていった。

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