「大切にしているのは、事実より記憶なんです」。
そう語るのは、元TBSアナウンサーの久保田智子さん。現在は、広島の被爆者を対象とした「オーラルヒストリー」を研究している。
テレビ越しに久保田さんを見たことがある人も多いのではないだろうか。尺の決まったテレビ報道の中で、テキパキと情報を“さばいていた”彼女がなぜ、ゆっくりじっくり時間をかけて、歴史の証言を集める研究に夢中になっていったのか。
ハフポスト日本版のネット番組「ハフトーク(NewsX)」に出演した久保田さんが、オーラルヒストリーとマスメディアの「聞き方」の違い、そして伝えることの本質について語った。 【文:湯浅裕子/ 編集:南 麻理江】
オーラルヒストリーとは?
元TBSアナウンサーで報道記者としても活動していた久保田智子さんは、2017年にTBSを退職した後、アメリカのコロンビア大学でオーラルヒストリーを研究。帰国後も、オーラルヒストリーの手法を用いて広島の原爆被爆者を対象にした研究を続けている。
「口述歴史」とも訳されるオーラスヒストリーとは、一体どのようなものなのだろうか。「たった一つの明確な定義はないのですが…」と前置きした上で、久保田さんはこう説明する。
《「人々の記憶を、インタビューを通じて記録して、歴史の検証に生かす」ということが基本です。この“記憶”というのがポイントなんです。歴史的に事実かどうか、というよりも、その人の中で、ある出来事がどのような記憶として残っているのか、どのように感じながら話すのかに注目して、検証をしていきます。》
長年、テレビ局員として報道取材をしてきた久保田さん。コンパクトに真実を伝えることを強みとするテレビ報道とは、ある意味で逆の手法ともいえるオーラルヒストリーを学ぶようになった背景には何があったのだろうか。
そこにはひとつの原体験があると久保田さんは話す。
《以前、広島出身の被爆者にインタビューしたことがありました。仕事ではなかったので時間を気にせずに目的もなくダラダラと会話をしていたんですね。その時、ふと気づいたんです。ああ、これは、テレビ用のインタビューでは見えなかったことが見えてくるな、と。
テレビでの報道を目的としてカメラインタビューを行う場合、限られた時間の中で聞きたいことを聞かなければいけません。相手にこういうことを言ってほしい、こういうことを言うだろうな、というゴールイメージがあってインタビューをすることが多いです。でも、そうした、せき立てられない状態だからこそ聞ける声があるんだと初めて実感したんです。
正直、それまで自分はインタビューが得意な方だと思っていたんですね。でもその経験を通じて、実際は自分の聞きたいことだけを聞いて、言ってほしいことを言ってもらっていただけなのかな、と考え始めるようになりました。なんだか相手の話を全く聞くことができていなかったのかなぁと…。それ以来、自分が聞きたいことを聞くんじゃなくて、相手が言いたいことを聞いていきたいと思うようになりました。》
転機が訪れたのは、TBSを退職後、夫のニューヨーク転勤が決まった時だった。
「せっかくアメリカに行くのだから自分も何かしたい」と考え始め、自身が広島出身であることから、被爆者たちの声を残す活動をしたいと思うようになったという。
そこで、歴史の伝承活動について調べていたところ、オーラルヒストリーという存在に出会った。「私がやりたいのはこれかもしれない」と感じた。
その後、2017年9月から米・コロンビア大学の大学院でオーラルヒストリーを学んだ。現在は、広島の原爆被害など戦争の記憶を伝える活動をするため、東京大学大学院でオーラルヒストリーの研究を行っている。
その人にとっての「真実」を尊重する
テレビのアナウンサーや報道記者として長年、ジャーナリズムに立脚したインタビューを実践してきた久保田さん。オーラルヒストリーを学び、両者のインタビュー手法は、根本的な考え方が異なっていることを実感しているという。
《ジャーナリズムのインタビューでは、客観的に事実を伝えることを大きな目的としていますが、オーラルヒストリーは、インタビューする側とされる側の主観の交わりによって会話を作りあげていく、という考え方なんですよね。
インタビューする時間にも大きな違いがあります。テレビのインタビューは限られた短い時間ですが、オーラルヒストリーでは時間を気にせずに、その時に相手が話したいことを話してもらう。2時間のインタビューを複数回行うこともあります。たとえ1回で聞き終わらなくても、「次回にしましょうか」と相手のペースに合わせることができます。これは放送日時が決まっているテレビではできないことですね。》
聞き手と話し手の主観がぶつかりあう2時間。終わった後は「精根尽き果てた“抜け殻”状態です」と久保田さんは笑う。
「当事者が正しいとは限らない」問題をどう考えるか
相手のペースに合わせて、とことん話を聞いていく。しかし「主観」は必ずしも歴史的事実と一致しない場合がある。人間であるがゆえの記憶違いや、あえて虚偽の発言をする場合もあるだろう。そこについて久保田さんはどう考えているのだろうか。
《例えば広島の原爆が落ちた時間は、歴史的な事実で言えば8時15分です。でもインタビューを受けた人が「8時20分のことでした」と発言したら、それは間違いなのか?というと、オーラルヒストリーでは「間違い」とは捉えません。あくまでその人にとっての“真実”は8時20分にある、と考えます。そしてその人がなぜ8時20分と記憶しているのか、その背景を研究するのがオーラルヒストリーなんです。
客観的な歴史的事実(の確からしさ)は否定しないですが、その事実とのズレを研究することで、歴史はもっと豊かになるのではないかと思います。事実を並べた歴史も大事ですが、1人ひとりにとっての真実を残すこともまた、大事なのではないでしょうか。》
単純化されないひとりひとりの歴史を残したい
「ひとりひとりの感情の背景にあるものを伝えなければ、歴史は形骸化するかのではないでしょうか」。
久保田さんは、個々人の「主観」や「記憶」にこだわる理由をこう語る。
《もちろんテレビが、限られた短い時間の中で、視聴者の興味を惹きつけるとなれば、物事の単純化は避けられないです。
でも、そうやって単純化されたことでこぼれ落ちる個人的な感情がこの世の中に残らないとしたら、それはやっぱり良くないと思うんです。なぜその人がそう思ったのか、なぜそう感じたのか、ひとりひとりのすごく個人的な感情の背景を残していかないと歴史自体が形骸化しかねないと感じています。
多くの人に興味を持ってもらうという役割がテレビの役割であるとするならば、その次の役割としてもっと個人的な背景を残すのが、オーラルヒストリーの役割なのかもしれません。》
現在は、オーラルヒストリーを研究しながら広島の被爆者ひとりひとりの記録を残す活動を行っている久保田さん。たとえ専門家じゃなくても、もっと多くの人に相手の話をじっくりと聞く機会をもってほしいという。
《インタビューというと、プロや専門家がやるものだと思われがちです。でも、人とじっくり話すということは難しいことではありません。相手の話を聞いて、相手の気持ちを追体験することで、自分の感情も豊かになります。主観と主観のぶつかり合い。その関係性の中で生まれるものがある。その経験をもっと多くの人にしてみてほしいと思っています。
オーラルヒストリーでのインタビューは、自分と相手で作りあげていくもの。聞き手によってインタビューの内容も変わってきます。そのどれもが、その瞬間の、その人にとっての“真実”です。一面的な記憶だけではなくて、多面的に記憶を集めて、みんなで残していきたいです。》
【文:湯浅裕子 @hirokoyuasa/ 編集:南 麻理江 @scmariesc】